利根川水系8ダム
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利根川水系8ダム(とねがわすいけい8ダム)とは、利根川に建設されたダムの内、東京都を始めとする首都圏へ上水道を供給することを目的の一つにしている多目的ダム群の総称。
目次

1 該当するダム

2 目的

3 沿革

3.1 治水事業としての計画

3.2 治水から利水へ


4 開発にまつわる問題

5 消えたダム計画

6 関連項目

7 出典

該当するダム

全て国土交通省関東地方整備局あるいは独立行政法人水資源機構が管理している。以下のダムが包括されており、何れも群馬県(下久保ダムは一部埼玉県、渡良瀬遊水地は一部栃木県に重なっている)に建設されている。国土交通省は単に「利根川上流ダム群」と総称しているが、夏季、特に渇水が問題化してくるとニュースや天気予報においてこの呼称で貯水量が報道されるケースが多い。

矢木沢ダム(利根川)
1967年・水資源機構〕

藤原ダム(利根川)
1957年・国土交通省〕

奈良俣ダム楢俣川
1990年・水資源機構〕

相俣ダム(赤谷川)
1959年・国土交通省〕

薗原ダム(片品川)
1965年・国土交通省〕

下久保ダム神流川
1968年・水資源機構〕

草木ダム渡良瀬川
1976年・水資源機構〕

渡良瀬遊水地(渡良瀬川)
(渡良瀬第一貯水池)
1989年・国土交通省〕


注)表中の西暦は完成年、括弧内は管理主体を表す。

目的

8ダムの中において最大級の規模を誇るのは矢木沢ダムであり、高さ131.0mで総貯水容量は利根川水系の全てのダムにおいて最大の2億430万トンである。ダムの高さで言えば奈良俣ダムの158.0mが最高であり、日本のダムにおいて第4位の高さとなる。法的には藤原・相俣が河川総合開発事業に基づくダム、薗原が特定多目的ダム法に基づくダムであり、渡良瀬貯水池を除く残りのダムは水資源機構法に基づく多目的ダムである。いずれも主務大臣は国土交通大臣である。

目的は洪水調節、不特定利水を主目的とし、この他にかんがい上水道工業用水道の供給、発電を行う。ただし、上水道目的を有するのは矢木沢・奈良俣・下久保・草木・渡良瀬貯水池の5ダムであり、8ダム全部が『首都圏の水がめ』であるという表現は厳密には当を得ていない。なお、発電に関しては東京電力によって矢木沢発電所矢木沢ダム須田貝ダムとの間で、また玉原発電所藤原ダム玉原ダムとの間で揚水発電を行っている。これらの発電所で発生した電気は首都圏へ供給されている。
沿革
治水事業としての計画

利根川水系でダムによる河川開発が計画されたのは1947年(昭和22年)のカスリーン台風がきっかけである。埼玉県大利根町(現加須市)で堤防を決壊させた利根川の濁流は、江戸川堤防沿いを南下して首都・東京へ流入し多大な被害をもたらした。首都水没という非常事態を経験した政府は、旧内務省1939年(昭和14年)より実施していた『利根川改修増補計画』の修正を迫られた。当時全国各地で水害による重大な被害が頻発しており、混乱した日本経済が更に疲弊することを警戒した経済安定本部は諮問機関である「治水調査会」に対し、根本的な河川改修の方策を図らせた。

検討の結果、1935年(昭和10年)より全国7河川1湖沼で進められていた『河水統制計画』をベースに、洪水調節を主目的とし利水も兼備した多目的貯水池による河川総合開発が最適とする結論を出した。1949年(昭和24年)、経済安定本部は利根川を始めとする全国主要10水系に対し『河川改修改訂計画』を発表し、多目的ダムによる治水を強力に推進しようとした。利根川においては同年『利根川改修改訂計画』が纏められ、利根川と烏川が合流する直下の八斗島(現・群馬県伊勢崎市八斗島町。因みに国土交通省による利根川本川直轄管理区域の上流端は烏川合流点である)地点において、基本高水流量(基準とする洪水流量)をカスリーン台風時の洪水流量である17,000トン/秒に抑えることとした。これを受け河川整備計画として全体の70%程度(14,000トン/秒)を堤防整備などの河川改修で対処し、残りの3,000トン/秒を上流ダム群で抑制することとした。同時に1931年(昭和6年)から進行していた鬼怒川河水統制事業も併合し、鬼怒川上流にダムを建設して利根川下流の洪水調節も図ることとした。

これらの計画に基づき、既に複数地点で予備調査が進められていたダム計画が、正式に建設省の事業として推進されることとなった。当初対象となった河川は利根川本川の他赤谷川・片品川・吾妻川・烏川・神流川・鬼怒川といった利根川水系の主要支川であり、これらの河川に計9基のダムを建設することで利根川中流?下流域の治水を河川改修とのコンビネーションで実施した。従って当初は治水に重点が置かれていた。因みに1950年代当初に計画・建設されていたダム計画は以下の通りである。

一次
支川
(本川)二次
支川ダム名堤高
(m)総貯水
容量
(千m3)型式沿革
利根川?矢木沢ダム100.0108,300アーチ「奥利根電源開発計画」・「東京都上水道計画」で戦前より調査。改修計画により建設省に事業移管され、規模を大幅に拡大。
利根川?藤原ダム103.066,500重力式1948年(昭和23年)より調査開始。後に堤高を9.0m低減する。
利根川?岩本ダム75.0120,000重力式1952年(昭和27年)に計画発表。当初は洪水時以外は貯水しない「穴あきダム」として計画。後に大幅な変更を加え、「沼田ダム計画」になる。
赤谷川?相俣ダム67.025,000重力式1948年に調査が開始されたが、その後事業が群馬県に移管。工事に着手するが左岸台地より漏水が発生。再度建設省に事業移管。
片品川?薗原ダム85.520,310重力式1948年調査開始。後に当初計画から堤高を9.0m低減
吾妻川?八ッ場ダム115.073,100重力式1952年に計画発表。だが吾妻川の酸性水問題が解決せず、一旦白紙に。白砂川・温川のダム計画振り替え案が出るが決定に至らず。品木ダム完成による吾妻川中和事業によって酸性水問題が解決したため、1968年(昭和43年)に事業再開、1億トンダムに拡大。
烏川神流川坂原ダム101.022,000重力式当初は上流の鬼石町坂原地点(現・藤岡市)に計画。1959年(昭和34年)に下流部約5.0kmの地点に計画が変更され、下久保ダムとなる。
鬼怒川?川俣ダム102.031,900アーチ1938年(昭和13年)日本発送電による発電ダムとして調査開始。その後1952年より建設省に事業移管。後に堤高は120.0mとなり貯水容量も5千万トン増える。最終的に3.0m堤高を下げ、現行計画となる。
鬼怒川男鹿川五十里ダム112.055,000重力式1931年(昭和6年)より事業着手。1941年(昭和16年)からは『鬼怒川河水統制事業』として現地点より2.5km上流の海尻地点でロックフィルダムとして建設開始するが戦争で中断。戦後現地点に変更され海尻地点は放棄。

治水から利水へ

1951年(昭和26年)には国土総合開発法の施行に伴い利根川水系は『利根特定地域総合開発計画』の指定地域となり、より強力な河川開発を行うことと成った。


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