利根型重巡洋艦
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利根型重巡洋艦

1942年頃の利根
艦級概観
艦種重巡洋艦
艦名川の名
前型最上型重巡洋艦
次型伊吹型重巡洋艦
阿賀野型軽巡洋艦[1]
性能諸元
排水量基準:11,213t 公試:13,320t
全長201.6m
全幅19.4m
吃水6.23m (公試)
機関ロ号艦本式缶8基
艦本式タービン4基4軸
152,000馬力(計画)
最大速力35kt (計画)
35.55kt(利根公試)
航続距離18ktで8,000
燃料2,690t
乗員利根竣工時定員869名[2]
武装50口径三年式20.3cm連装砲4基8門
40口径八九式12.7cm連装高角砲4基8門
九六式25mm連装機銃6基12挺
13mm連装機銃2基4挺
九〇式61cm3連装魚雷発射管4基
装甲舷側:145mm 甲板:35mm
航空機水上機6機 (呉式2号射出機2基)

利根型重巡洋艦(とねがたじゅうじゅんようかん)は、大日本帝国海軍重巡洋艦。同型艦は2隻。太平洋戦争直前に竣工している。水上偵察機を6機搭載するなど航空索敵能力を重視し、ミッドウェー海戦レイテ沖海戦など、数々の大規模海戦に参加した。福井静夫は本型を理想に近い巡洋艦と評している[3]
目次

1 概要

2 同型艦

3 脚注

4 参考文献

5 関連項目

6 外部リンク

概要

日本海軍は、海戦における航空索敵手段、とりわけ機動部隊において空母が攻撃隊の発艦準備に専心できるよう、随伴する巡洋艦の持つ水上偵察機の力を重視していた。だが、アメリカ海軍の巡洋艦は日本のそれを上回り、4機の水上機を搭載可能であった。そこで、1934年昭和9年)から最上型軽巡洋艦を改良、主砲の門数を妥協した代わりに、水上偵察機6機を積める水上機母艦とでも呼ぶべき本型の設計が開始された。

計画開始時が軽巡洋艦であったために、艦名はにちなんだものとなっている。1935年(昭和10年)に起工した段階ではロンドン海軍軍縮会議の制限があったため、諸外国には「基準排水量8,636トン、水線全長187.21 m、喫水4.42 m、最大口径砲15.5 cm砲」という要目の巡洋艦と通告した[4][5]1936年(昭和11年)に軍縮条約から脱退したことで重巡洋艦の保有制限が失効し、建造途中で15.5 cm砲搭載の軽巡洋艦から、日本軍重巡洋艦の共通武装である50口径三年式20.3 cm連装砲を搭載した重巡洋艦へ設計変更された。また艦が完成する前に第四艦隊事件友鶴事件が発生したため、急遽船体構造の見直しと強化が行われた。こうした諸処の設計変更と船体強化などにより、設計当初より排水量の増加と若干の速力低下があった。「利根」が1938年(昭和13年)11月に、「筑摩」が1939年(昭和14年)5月に就役した。なお、利根に搭載予定の15.5cm砲塔は1939年(昭和14年)2月に特務艦「知床」によって呉工廠から長崎造船所へ運ばれたという[6] 洋上補給を行う利根。

利根型の特徴は、前部に20.3 cm連装砲塔4基を集中配置し、後部(後檣より後ろすべて)が水上偵察機の航空兵装となっていることにある。この配置によって、艦載機が主砲の爆風で破損する危険性がなくなり、常時全主砲を発射できるようにもなった。(妙高型重巡洋艦妙高スラバヤ沖海戦で、高雄型重巡洋艦高雄は駆逐艦ピルスバリーを撃沈した際にそれぞれ射出を待っていた艦載機を4番主砲の爆風で破壊している) 艦載機は露天繋止で格納庫はない。カタパルトの設けられた甲板は艦載機繋止甲板より一段高くなっており、艦載機はスロープであがる。この低い繋止甲板は波浪に洗われやすく、搭載機のメンテナンス性に問題があった。(のち連合艦隊旗艦として竣工した大淀は軽巡洋艦ながら格納庫を持つに至っている。)計画では6機の航空機を搭載可能だが、実際に搭載した数はそれよりも少ない。戦前は三座水偵2機、二座水偵4機、1940年(昭和15年)に三座水偵1機、二座水偵3機、レイテ沖海戦時には零式水上偵察機5機だった[7]

4基の主砲塔は第1・第2砲塔が背負い式で、第3・第4砲塔は同じ最上甲板レベルでともに後ろに向けられている。これは後部に主砲がないので、後方射界を稼ぐための配置である。砲の集中配置は、集中防御の範囲を狭められ、同時にその分居住性が高まるなどの利点もあるが(利根型はその居住性のよさのため乗員に好評であった[8])、艦全体の重量配分の面で不利な他、斉射時の砲弾の相互干渉が大きいため、散布界が大きくなるという欠点があった[9]。しかし、この問題はのち、一斉打ち方の際は左右両砲の発砲電路が0.03秒という微小な間隔で接続されるように改正され、解消した[10]

主砲を前部に集中配置したことにより集中防御の範囲も狭められたためもあり、装甲防御の厚みは日本海軍重巡洋艦としては最高で、また外板より内側に垂直装甲があるという日本海軍艦艇には珍しいインターナル・アーマー方式を採用、水中防御はそれをはさむ重油層で構成するという、複層型液層防御となっていた。

また航続力も日本巡洋艦中最大で、利根、筑摩ともども対米戦初期の真珠湾攻撃ミッドウェイ海戦といった機動部隊の長駆行動作戦に参加、索敵機を飛ばし活躍している。

利根型の就役は対米戦の前だが、その設計の改良・後継型は計画されず、次級重巡建造計画は利根型の前級にあたる鈴谷型を僅かに部分改正した伊吹であった。しかしその伊吹も建造途中で空母に設計変更されたため、結局、利根型が日本海軍が就役させた最後の重巡となった。
同型艦

利根

筑摩

脚注

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^ 日本海軍の内規処理上、本級及び最上型は二等巡洋艦である。
^ 昭和13年11月20日付 海軍内令 第974号制定、海軍定員令「第48表ノ2 二等巡洋艦定員表 其ノ5」。この数字は飛行科要員を含み特修兵を含まない。
^ 雑誌「丸」編集部『写真集・日本の重巡』177頁
^ 「第5275号 9.12.14 利根」p.2
^ 「第171号の13 10.10.18 筑摩」p.2
^ 「軍艦利根15糎5砲塔特務艦便にて輸送の件」p.2
^ 「捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(6)」p.45
^ 『写真集 日本の軍艦 ありし日のわが海軍艦艇』福井静夫著 株式会社ベストセラーズ
^ #海軍生活放談436頁
^ 「利根型重巡 [歴史群像]太平洋戦史シリーズVol.47」学習研究社 p.130


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