兵庫県立星陵高等学校
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この項目では、兵庫県の星陵高等学校について説明しています。その他の用法については「星陵高等学校」をご覧ください。

兵庫県立星陵高等学校

過去の名称神戸商業講習所
兵庫県立神戸商業学校
兵庫県立第一神戸商業学校
兵庫県立第一神戸商業高等学校
兵庫県立第四神戸中学校
兵庫県立垂水高等学校
国公私立の別公立学校
設置者 兵庫県
学区第1学区
設立年月日1878年
(※普商分離以後は、創立年として1941年
創立記念日11月1日
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学期3学期制
高校コード28107H
所在地〒655-0038
兵庫県神戸市垂水区星陵台四丁目3番2号北緯34度38分41.6秒東経135度2分58.4秒座標: 北緯34度38分41.6秒 東経135度2分58.4秒
外部リンク ⇒公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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兵庫県立星陵高等学校(ひょうごけんりつ せいりょうこうとうがっこう)は、兵庫県神戸市垂水区星陵台四丁目にある県立高等学校


目次

1 沿革

1.1 普商分離


2 校章・校歌

3 設置学科

4 教育目標

5 出身者

6 関連項目

7 脚注

8 外部リンク


沿革

1878年 兵庫県八部郡神戸町(現 神戸市中央区北長狭通四丁目40番地)に神戸商業講習所開校(その後、兵庫県立神戸商業学校、兵庫県立第一神戸商業学校と改称)

1932年 兵庫県立第一神戸商業学校が星陵台(現:星陵高校校地)に移転

1941年 兵庫県立第四神戸中学校、神戸市生田区の北長狭小学校を仮校舎として開校 戦中戦後の混乱期のため、自前の校舎を持つことなく仮校舎を転々とする

1946年2月3日?6月24日 第四神戸中学校、第一神戸商業学校に一時的に間借り

1948年4月1日 学制改革により、第一神戸商業学校が第一神戸商業高等学校に、第四神戸中学校が垂水高等学校に改称

1948年5月13日 第一神戸商業高等学校と垂水高等学校の統合が決定 垂水高が星陵台の県商校舎に移転する

1948年9月1日 兵庫県立第一神戸商業高等学校と兵庫県立垂水高等学校が統合され、兵庫県立星陵高等学校が発足

1949年4月1日 普通科・商業科に女子学生が入学(星陵4回)し男女共学となる

1958年11月1日 星陵高校創立記念日、「創立80周年記念式典」挙行(当時の星陵高校では1948年を学校創立年としていたが、そのうえで、この年は県商80周年・四中17周年・星陵10周年を“代表して”80周年として実施。この状態が1962年の学校分離まで続く)

1962年4月1日 星稜高校から分離する形で、兵庫県立神戸商業高等学校新設。発足の経緯から、校舎未完成であった第1学期は星陵高校を間借り(県商校舎完成後も、星陵商業科に在籍していた2・3年生は引き続き卒業まで星陵高校で授業、教員も両校別であった)

普商分離兵庫県立神戸商業高等学校もあわせて参照のこと

1948年9月1日 学制改革に続く公立高校の総合制を背景に、1878年創立の兵庫県立第一神戸商業高等学校(旧県商。旧制時代は兵庫県立第一神戸商業学校)が、普通科の兵庫県立垂水高等学校(1941年に兵庫県立第四神戸中学校として創立)を統合して、普通科・商業科の「兵庫県立星陵高等学校」に改称した(なお、旧両校の校長ともが離任し新校長が就任したのは同年11月1日で、この日を、星陵高校では1950年から創立記念日としている[1])。1949年時点で、小学区制・総合制によって星陵高校は普通科・商業科とも、垂水区内のみから進学できる高校となった。その後、小学区制は若干見直され「神戸第3学区」となった際、(当時学区内に長田高校・須磨高校もあった)普通科に対して、商業科は学区全域から入学する傾向になった。さらに、伝統ある商業科単独校「県商」“復活”の気運が卒業生(神商同窓会)や神戸商工会議所を中心に活発化したこと、垂水区内での宅地開発に伴う人口増加を受けて普通科定員の増大が課題となったことも後押しとなり、「普商分離」が行われることになった。協議の結果、星陵高校は維持したうえで昭和37年度(1962年)から商業科の募集を停止(1964年3月に星陵商業科の全生徒が卒業し星陵は普通科単独校となった)、同年度から商業科単独校の兵庫県立神戸商業高等学校(県商)が新校地となる現在地に新設され、神戸市内全域から生徒を募集した。なお、戦後の商業科単独高校誕生自体は第1号ではないが、誕生実現への動きは、神商同窓会など県商の働きかけによるところが大きい。その後、1962年に本校隣接地に兵庫県立神戸商業高等学校(県商)が新設されたことに合わせ、本校商業科は募集停止を経て1964年3月の全生徒卒業をもって廃止[2]、本校は普通科単独校となった(普商分離[3])。したがって、本校の学校自体の誕生はこの経緯ゆえに1878年にさかのぼるが、普商分離後は商業学校の流れを一切分離し神戸四中のみを前身とする1941年の創立とみなすようになった(県商側が創立を1878年とみなしている。また、普商分離以前の星陵高校では学校創立年を1948年としていた)。本校の校地および旧校舎が1932年に兵庫県立第一神戸商業学校のものとして整備されたのは、この経緯ゆえである。同窓会組織については、四中同窓会・財団法人神商同窓会・星陵同窓会があったが普商分離の際に神商同窓会は県商に帰属(星陵とは離別)、その後四中同窓会と星陵同窓会は統合した(したがって星陵商業科卒業生は、普通科卒業生と同様に星陵同窓会の会員である。ただし、神商同窓会に参加することも可能となっている)。

1948年4月1日の学制改革に際しては、県立第一神戸商業高等学校・県立垂水高等学校ともに旧制に引き続き男子校であり、さらにそのまま同年9月1日に統合し県立星陵高等学校となったため、男女共学化は、翌1949年の小学区制実施に伴い女子生徒が普通科・商業科に入学した際に実現している(星陵4回)。ちなみに、県立垂水高等学校の近所には県立第四神戸女子高等学校(県四高女。神戸四中開校の1年後に開校)が歌敷山にあったが、県四高女は垂水高校よりもはるかに遠距離にある県立第二神戸高等学校(旧制神戸二中)に移転・合併し兵庫県立兵庫高等学校となった。この経緯として、垂水高校が、神戸四中の創立から5年程度という比較的歴史の浅かったことに加え、戦後1946年2月3日に校舎(戦時中の1944年に完成した木造校舎[4])を焼失し仮校舎状態であったことから、県四高女との統合を構想しつつも受け入れられる状態になく県四高女側からの拒否もあり破談となったうえ、当初は在校生の輩出をもって廃校にする予定があったとされている。学校の存続を模索するなかで、健在であった校舎を新制中学に払い下げられるのを危惧し旧制神戸二中との統合を拒否した兵庫県立第二神戸女子高等学校(県二高女。現:兵庫県立夢野台高等学校)への統合を生徒側が望むも、県当局より「垂水から旧制中学=新制普通科高校がなくなるのは好ましくない」とされ、立ち消えとなっている。その後、公立高校の総合制を受け、同じく垂水区内にあった県立第一神戸商業高等学校が、普通科独自新設に代えて県立垂水高校を吸収することになり、垂水高校側から見ればようやく独自の校舎を持つことになったうえ、学校自体が一転存続することになった。

兵庫県立第一神戸商業学校以来の校舎は、1990年代前半に全面的に改築された[5]。なお、この改築の間、本校は一時的に、当時隣接地に(学園都市にキャンパスを移転した跡として)残っていた旧神戸商科大学の建物に移転している。
校章・校歌

下半分の角取り半円形に特徴のある校章は1949年に制定され、県立第一神戸商業高校(旧県商)の校章と県立垂水高校(垂高)の校章とを意匠統合したものである。なお、この校章の「」2画め左右両端の丸みを尖らせて角取り半円形の下端巻き込みをやや小さくしたものが垂高の校章で、これは、神戸四中の校章の輪郭に「」の文字をはめたものである。また、(2画め両端の丸みや下端巻き込みにいたった曲線的意匠を持っている)旧県商の校章は、現在の
兵庫県立神戸商業高等学校(県商)の校章と同一である。

校歌は、旧制から移行した新制高校には珍しい、オーケストラが原曲となっている。日本最古の商業高校の歴史を有する旧県商の伝統を汲む高校であることをオーケストラの校歌とすることで表現した、と、校歌制定当時に説明されている。

設置学科

全日制課程

普通科


教育目標

生徒一人ひとりのニーズに応じた学習指導の徹底を図る

震災に学び、人間尊重の精神に基づく教育の充実を図る

進路指導の充実深化を図る

国際性を涵養し、共生と自主責任の心を育てる

恵まれた教育環境を教育活動に生かす

出身者

井上堯之(ミュージシャン)

井上慶太(プロ棋士)

生田敬太郎(ミュージシャン)

西尾維新(作家)

上田崇順(アナウンサー)

内橋克人(経済評論家、新聞記者)

駒田健吾(アナウンサー)

南部靖之(企業経営者)


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