公衆衛生
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公衆衛生(こうしゅうえいせい、: public health)は、集団の健康の分析に基づく地域全体の健康への脅威を扱う。健康は多くの機関により、さまざまに定義されている。疾病の実態調査の標準を設定・提供する国際連合の機関である世界保健機関は、健康を「身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」と定義している。


目次

1 概要

2 歴史

2.1 ヨーロッパ

2.2 日本


3 公衆衛生の教育研究機関

3.1 国立保健医療科学院

3.2 大学公衆衛生学講座

3.3 公衆衛生大学院


4 公衆衛生上最近のできごと

5 参考文献

6 関連項目

7 外部リンク


概要

公衆衛生は多くの分野からなるが、典型的な区分としては疫学生物統計学医療制度がある。また、環境社会行動衛生、職業衛生、食品衛生も重要な分野である。

世界保健機関は公衆衛生を「組織された地域社会の努力を通して、疾病を予防し、生命を延長し、身体的、精神的機能の増進をはかる科学であり技術である」と定義している。

大学の教室の名称等で公衆衛生学と称される場合もある。

臨床医学が個人水準で健康を扱うのに対して、公衆衛生は社会水準で健康を取り扱う。例えば、生活習慣病対策・伝染病感染症)予防・公害対策・上水道下水道・食品衛生など社会保障の基礎となる分野について研究する。

類義語に衛生学がある。
歴史「医学と医療の年表」も参照

公衆衛生とは現代的概念であるが、起源は太古より見出される。近代医学が誕生するまで人々の生命を脅かした主な病気は、伝染病、飢餓による栄養障害、戦争での外傷などであった[1]。感染症には致命的なものが多く栄養障害や戦争による外傷も最終的には感染症の併発が死因となった例が数多かったと考えられている[1]
ヨーロッパ種痘を行うエドワード・ジェンナーの風刺画(1802年)エドウィン・チャドウィックは英国1848年公衆衛生法の制定に寄与したジョン・スノウはロンドン・コレラ発生地点を地図上の点でまとめた(1854年)

古代ローマでは上水道や公衆浴場の整備が衛生状態の向上に寄与し、公衆衛生の歴史の原点となった[2]ローマ時代には、適切な汚物の排出路は都市における公衆衛生の常識だと理解されていた。

一方、ローマ時代にはキリスト教の浸透により科学的思考が抑制され、古代ギリシャで発展した医学や医療は中世になると長い停滞期を迎えた[3]。ヨーロッパでは8世紀にはペスト、12世紀にはコレラなど疫病の大流行を経験したがほとんどなす術がなかった[3]

都市化の頃より、汚染された水や適切なゴミ処理がされないと、伝染病が流行するということが、いわゆる「瘴気説」として知られていた。ヨーロッパで黒死病が流行した14世紀には、死体を遠ざけておくことがバクテリアによる感染を遠ざけると信じられていた。

15世紀になるとルネッサンスを契機に因習や宗教の呪縛から解き放たれて自然科学は飛躍的に発展した[3]

オランダでは顕微鏡が発明され、ルイ・パスツールロベルト・コッホなどによる微生物学の業績へとつながった[3]。また、科学的な疫学は1854年のロンドンコレラ大流行において、公衆の井戸水が原因であるとジョン・スノウが見つけたことに源を発する。スノウ博士は当時主流であった瘴気説に対抗する細菌説を信じていた。コレラは消毒の不足によると教えていた瘴気説では、コレラは自然発生的に広まると考えられていた。ワクチン接種はエドワード・ジェンナーが天然痘治療に成功した1820年代に普及をしている。

先進国では衛生状態や栄養状況が改善され急性伝染病は減少したが、産業革命以後も過酷で劣悪な労働環境などから結核などの慢性伝染病は流行した[1]

20世紀後半には先進諸国では、社会基盤の整備、栄養状態の改善、科学教育の普及、抗生物質の出現などにより感染症の脅威が低減し人類の疾病構造は一変した[1]
日本

明治文明開化以降の近代的な「公衆衛生」に相当する概念としては、当時医学の諸制度はドイツに倣っていたことが多かったため、ドイツ流に「Hygiene(衛生または衛生学)」、あるいはイギリスの制度を模倣して導入されていった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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