倫理学
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倫理学(りんりがく、: Ηθικ?、: ethica、: ethics)あるいは道徳哲学(どうとくてつがく、: moral philosophy)とは一般に行動の規範となる物事の道徳的な評価を理解しようとする哲学の研究領域の一つである。

法哲学政治哲学も規範や価値をその研究の対象として持つが、こちらは国家的な行為についての規範(正義)を論ずることとなる。ただしこれら二つの学問分野が全く違う分野として扱われるようになったのは比較的最近である。
目次

1 概観

2 歴史

2.1 ギリシア・ローマ

2.1.1 ソクラテス以前

2.1.2 ソクラテス・プラトン

2.1.3 アリストテレス以降


2.2 インド

2.3 中国


3 分類

3.1 メタ倫理学

3.2 規範倫理学

3.3 応用倫理学(applied ethics)

3.4 宗教からの分離


4 脚注

5 参考文献

6 関連項目

7 外部リンク

概観

倫理学の研究対象とは道徳の概念によって見定めることができる。この道徳の定義の問題に対して異なる見解が示されているが、一般的に道徳とは社会において人々が依拠するべき規範を確認するものである。しかし、道徳とは理性によりもたらされるものであるのか、感情によってもたらされるものであるかについては議論が分かれている。デイヴィッド・ヒュームの見解によれば、事実についての「である」という言明から規範についての「であるべき」という言明を結論付けることは論理的にできない。これはヒュームの法則とも呼ばれる主張であり、したがって理性によって道徳的な判断を導くことは不可能であると考える。ヒュームは道徳的な判断が感情に起因するものであるという立場にあり、より厳密には自身の利益から道徳性が発生したとも論じている。一方でイマヌエル・カントは理性から道徳法則を導き出している。カントは道徳性を自由選択と関連づけて理解しており、人間は自分自身の理性に従う時にだけ自由になることができると考える。そして理性によって人格として行為するための道徳的な規範の実在が主張される。このような道徳性の根源についての研究はメタ倫理学(Meta-ethics)の研究として包括することができる。

また道徳性の具体的な内容については規範倫理学(Normative ethics)という研究領域で扱われている。この領域で古典的アプローチの一つに徳倫理学がある。プラトンアリストテレスの研究はその中でも最も古い研究であり、彼の分析は人間に固有の特徴に基づいた美徳を中心に展開している。例えば危機に際して蛮勇でも臆病でもなく、その中庸の勇敢さを発揮する人間の特性を指して美徳と呼ぶ。このような研究に対して義務論の学説は道徳規則に基づいている。カントは人間の道徳法則としてどのような場合においても無条件に行為を規定する定言命法という原理を提唱した。この立場において人間は実在する道徳規則に対して従う義務を負うことが主張される。また義務論と反対の立場に置くことができる立場として結果論の立場がある。この立場に立った功利主義の理論がジェレミー・ベンサムによって提示されている。ベンサムによれば、行為を正当化する時の判断の基準点とは行為によってもたらされる結果であり、具体的には効用によって計算される。ベンサムは行為がもたらす快楽の程度を最大化するように行為する最大多数の最大幸福の原理を提唱した。
歴史
ギリシア・ローマ
ソクラテス以前

古代ギリシア伝統神話に囚われない哲学的営みは、アナトリア半島小アジア半島)西海岸のイオニア学派に始まる「自然哲学」と、イタリア半島南部(マグナ・グラエキア)のイタリア学派ピタゴラス学派エレア派)に始まる「数理哲学論理哲学」という2つの潮流が主導する形で始まった。その中には、ピタゴラス学派(ピタゴラス教団)のように宗教教団的色彩を帯びたり、ヘラクレイトスのようにその世界観と共に倫理を説く者もいたが、後世で大きな潮流を成すには至らなかった。(とはいえ、これらが後述するプラトンの思想形成に一定の影響を与えた事実は見逃せない。)
ソクラテス・プラトン

ここに、第3の哲学として「倫理哲学」(倫理学)を確立・大成するに至ったのが、アテナイを拠点としたソクラテスと、彼を題材として多くの著作を残したプラトンである。(紀元後3世紀に『ギリシア哲学者列伝』を書いたディオゲネス・ラエルティオスも、その著書の中で、ソクラテスを「倫理学」の祖と明記している[1]。)

ソクラテスは、問答法弁証法ディアレクティケー)を駆使しながら、「」の執拗な探求とその実践、そしてアテナイ人をはじめとする民衆への普及に生涯を費やした。彼自身は著書を残さなかったが、彼の弟子の1人であるプラトンが、(アテナイの民衆に刑死に追い込まれたその悲劇的な死も含め)その生涯を題材に数多くの著作(対話篇)を残し、彼の学園アカデメイアを中心に普及させたことで、その学派アカデメイア派の隆盛とともに、後世に大きな潮流を形成するに至った。

プラトンは、40歳頃にイタリア半島南部(マグナ・グラエキア)に旅行し、当地のピタゴラス学派エレア派と交流を持ったことで、独自の思想を形成するに至り、「イデア論」を背景として「善のイデア」を探求していく倫理学思想を確立した。この倫理学は、個人で完結するものではなく、哲人王夜の会議を通じて、現実の政治・法治・国家運営へと適用・活用されることが要請される。

また、ソクラテスには、プラトンの他に数多くの弟子・友人がおり、その中からはメガラのエウクレイデスに始まるメガラ学派アリスティッポスに始まるキュレネ派アンティステネスに始まるキュニコス派といった学派や、多くの著作を残したクセノポン等を輩出し、後世に影響を与えた。
アリストテレス以降

プラトンのアカデメイアで学んだアリストテレスは、アレクサンドロス大王の家庭教師を経つつ、50歳ごろにアテナイ郊外に自身の学園リュケイオンを設立し、倫理学を含む総合的な学究に務めた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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