信玄公旗掛松事件
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日野春駅前にある信玄公旗掛松碑
(2013年4月5日撮影)風林火山の旗

信玄公旗掛松事件(しんげんこうはたかけまつじけん)は、1914年大正3年)12月に一本の老松が蒸気機関車の影響で枯れたことから、所有者の清水倫茂(しみずりんも)[† 1] が1917年(大正6年)に国を相手取り起こした損害賠償請求事件である。

この松樹は武田信玄軍旗を立て掛けたという伝承・由来のある「信玄公旗掛松」と呼ばれていた老松で、国鉄(現JR東日本中央本線日野春駅山梨県北杜市長坂町富岡)駅構内に隣接した線路脇に生育していたが、老松の所有者(地権者)であった清水倫茂は、蒸気機関車煤煙蒸気振動などにより枯死してしまったとして、一個人として国(鉄道院)を相手取り訴訟を起こした。

国家賠償法成立以前の、大正年間1910年代 - 1920年代)に起きた当訴訟事件は、鉄道事業という公共性の高いものであっても、「他人の権利を侵略・侵害することは法の認許するところではない、松樹を枯死させたことは、権利の内容を超えた権利の行為である。」、すなわち「権利の濫用」に当たると司法によって判断され[1]第一審甲府地方裁判所第二審東京控訴院に続いて、上告審大審院(第二民事部)に至るまで、原告である清水倫茂が被告である国に勝訴した歴史的裁判であった[2](大判大正8年3月3日民録25輯356頁)。

これは近代日本の民事裁判判決において、権利の濫用の法理が実質的に初めて採用された民事訴訟案件であり、加害者の権利行使の不法性(違法性)について重要な判断が示されるなど[3]、その後の末川博我妻栄青山道夫ら、日本の法学者による「権利濫用論」研究の契機となった、日本国内の法曹界では著名な判例である[4][5][6]


目次

1 事件の背景としての地理関係

1.1 七里岩台地と日野春原野

1.2 信玄公旗掛松


2 事件の背景としての鉄道事業

2.1 「国は悪をなさず」という認識


3 裁判の経過

3.1 提訴に至るまでの経緯

3.1.1 事件の発端

3.1.2 鉄道院への上申書提出

3.1.3 信玄公旗掛松の枯死

3.1.4 鉄道院への直接損害賠償請求


3.2 甲府地方裁判所への提訴

3.2.1 弁護士・藤巻嘉一郎

3.2.2 提訴をとりまく報道と口頭弁論

3.2.3 鉄道院からの松枝剪除要求の逆提訴

3.2.4 甲府地方裁判所の判決


3.3 東京控訴院での判決

3.3.1 鉄道院による控訴

3.3.2 控訴判決


3.4 大審院での勝訴

3.5 信玄公旗掛松への賠償額決定

3.5.1 示談交渉と鑑定人による樹齢鑑定

3.5.2 裁判の終結



4 権利濫用論に与えた影響


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