中東
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この項目では、西アジアの地域について説明しています。中国の地域については「中国東北部」をご覧ください。

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中東
Middle East
伝統的中東
中東の地図

中東(ちゅうとう、英語: Middle East)は、狭義の地域概念では、インド以西のアフガニスタンを除く西アジアアフリカ北東部の総称。西ヨーロッパから見た文化の同一性や距離感によって、おおまかに定義される地政学あるいは国際政治学上の地理区分。
目次

1 日本における「中東」の概念

2 欧米諸国における「中東」の概念

3 アメリカの中東戦略

4 日本との関係

5 中東の国 - 首都の一覧

5.1 伝統的中東

5.2 拡大中東

5.3 表註


6 言語

7 宗教

8 民族

9 政治

10 歴史

11 中東の主要都市

12 脚注

13 関連項目

14 外部リンク

日本における「中東」の概念

日本における中東の概念は、欧米とはやや異なり、イスラム教の戒律と慣習に基づく文化領域の概念として極めて広域に用いられることが一般的である。具体的には、北アフリカエジプト以西のマグリブ地域(リビアスーダンを含む)、またはソマリアなどを含めたり、西南アジアパキスタンアフガニスタン、場合によってはヨーロッパのキプロスや旧ソ連領の中央アジア諸国を含めたりする場合がある。その為、日本における中東の地域概念の広がりを厳密に定義することは困難である。

このような不確かな概念にも係わらず、日本で中東の概念が広く用いられているのは、広大な範囲に広がるイスラム教国の中から東南アジア南アジアブラックアフリカなどイスラム以外の宗教と入り乱れてまとまった地域を形成している国々を除外し、逆にイスラム教国に取り囲まれているがイスラム教国ではないイスラエルレバノン・キプロスなどを組み込んだ地域を「イスラム」という言葉を用いずに表現するのにもっとも適当な概念だからであろう。特に地理的にはアフリカに属すが、政治的・文化的には西アジアのアラブ諸国と同じマシュリク(東アラブ)に属すエジプトを西アジアと一体の地域として扱うためには非常に便利な地域概念と思われる。
欧米諸国における「中東」の概念

中東は、19世紀以降にイギリスなどがインド以西の地域を植民地化するに当たって考え出された概念である。元来はイランアフガニスタンおよびその周辺を指す概念であり、現在の中東に含まれる地中海沿岸地域は近東と称されていた。しかし、中東と近東の概念を混同した中近東という概念の登場を経て、第二次世界大戦中にイギリス軍によってはじめて現在の中東の概念が使用されるようになった。

以降、欧米諸国では、「中東」はほぼアフガニスタンを除く西アジアアフリカ北東部の国々を指す概念として用いられ、具体的には、アラブ首長国連邦 (UAE)、イエメンイスラエルイラクイランエジプトオマーンカタールクウェートサウジアラビアシリアトルコバーレーンヨルダンレバノンの諸国、及びパレスチナ自治政府の管轄地域がその概念の中に含まれている。
アメリカの中東戦略

冷戦崩壊以降、国際安全保障環境は民族・宗教対立の表面化、核拡散、国際秩序の地域分化などが顕著となった。アメリカは、産油国でありながらかつ紛争の絶えない中東への介入を拡大させ、湾岸戦争後はイラクに対する敵視政策を拡大してきた。2001年における4年ごとの国防見直し (QDR) においては中東から東アジアにかけての広い地域を不安定の弧と位置づけ、対アジア戦略の中枢に据えてきた。中でも中東は紛争の絶えない地域でありアメリカの世界戦略の軸とされてきた。

こうしたアメリカの中東への介入によりアルカーイダはアメリカに対する敵視・敵対・テロ活動を増大させ、2001年にアメリカ同時多発テロ事件が勃発、アメリカの富の象徴、ニューヨークマンハッタン世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)、並びにアメリカの国防機関の中枢、国防総省へのテロが発生し、時のジョージ・W・ブッシュ大統領は、このテロを「新しい戦争」と呼び、ますます中東への介入を強めた。

しかし、国際法上、テロに対する戦争が困難だったアメリカはテロ支援国家を攻撃することによりこれに対抗しようとした。その結果がアフガニスタンターリバーン政権打倒であり、イラク戦争であった。イラク戦争をはじめとするアメリカの中東戦略は国連安保理の承認を経ずに自国とイギリスを中心とした有志連合によって攻撃をしたため、国際社会から批判された。

アフガニスタンに対してはアフガニスタン戦争でターリバーン政権を打倒し、国連安全保障理事会で採択したアフガニスタンの再建・復興プロセスに基づいて、暫定国会選挙、新憲法案の採択、憲法承認国民投票、正式国会選挙、大統領選挙と政府の樹立などの政治体制の変革を遂行し、2014年末中のアフガニスタンへの派遣軍の全軍撤退をめざしているが、タリバーンによるテロは収束せず治安回復や復興計画が進展していない[1]

イラクに対してはイラク戦争でフセイン政権を打倒し、国連安全保障理事会で採択したイラクの再建・復興プロセスに基づいて、暫定国会選挙、新憲法案の採択、憲法承認国民投票、首相の選挙と政府の樹立などの政治体制の変革を遂行し、テロが完全に収束せずテロによる死傷者が発生している状況ではあるが、2011年末にイラクへの派遣軍を全撤退させた[2]
日本との関係

20世紀前半の中東は欧米列強の侵略に悩まされた地域である。植民地支配からの独立後、また中東戦争時に欧米諸国が一斉に人材や資本を引き上げた時に西側諸国として唯一、政府開発援助国際協力機構を通じて国際協力を続けた。日本にとっても豊かな産油国であるこれらの国との関係はエネルギー安全保障上において重要なパートナーであり、日本から東南アジアインド洋、そして中東にかけて伸びる海洋交通路即ちシーレーンの防衛が課題となっている。

1970年代から1980年代にかけて新左翼系国際テロ組織日本赤軍による活動拠点となり、多数の民間人が犠牲になったテルアビブ空港乱射事件や日航機ハイジャック事件などの日本赤軍事件の舞台ともなった。

アメリカ合衆国によるイラク戦争の開戦後は、日本もアメリカの同盟国としてイラク戦争の支持を表明し、イラク戦争の後方支援並びにイラク戦後復興支援に尽力している。日本のイラクへの自衛隊派遣に反対する人々は「アメリカの戦争への協力」、「アメリカのいいなり」、「イラク国民のためにならない」、「自衛隊の派遣は憲法違反」、「武装組織との戦闘によりイラク国民にも自衛隊にも死傷者が発生したらイラク国民の対日感情が悪化する」などの理由で批判し、日本の左派系のマスコミによって論争になった。


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