なかむら あつお
中村 敦夫
本名中村 敦雄(読みも同じ)
(旧姓:遠藤)
生年月日1940年2月18日(70歳)
出生地 日本・東京市
職業俳優、元参議院議員、ジャーナリスト、エッセイスト
ジャンル舞台、テレビドラマ、映画
活動期間1964年 - 現在
活動内容1960年:俳優座養成所入所
1963年:俳優座入団
1971年:『春の坂道』
1972年:『木枯し紋次郎』
1974年:『おしどり右京捕物車』
1976年:『必殺仕業人』
1984年:『中村敦夫の地球発22時』
1989年:『中村敦夫のTHE・サンデー』
家族妻、長男、長女、弟(中村勝行)、妹
公式サイト ⇒中村敦夫公式サイト
主な作品
『春の坂道』
『木枯し紋次郎』
『おしどり右京捕物車』
『必殺シリーズ』
『地球発22時』
『THE・サンデー』
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日本の政治家中村敦夫なかむら あつお
生年月日1940年2月18日
出生地東京市
現職俳優、ジャーナリスト、エッセイスト、作家、脚本家
所属政党みどりの会議
公式サイト ⇒中村敦夫公式サイト
参議院議員
選挙区東京都選挙区
当選回数1回
任期1998年 - 2004年
表・話・編・歴
中村 敦夫(なかむら あつお、本名:中村 敦雄(読み同じ)/旧姓:遠藤、1940年2月18日 - )は、俳優、作家、脚本家、元参議院議員(1期)。みどりの会議(新党さきがけから改称。現在は解散)の代表を務めていた。中村企画所属で、同社の社長も務める。
父は元読売新聞記者の遠藤節(えんどう さだむ、1907年 - 1969年)[1]。弟は「ザ・ハングマン」の脚本などで知られるシナリオライターの中村勝行。 遠藤家の長男として生まれた。両親の離婚後、母方の中村姓を名乗る[2]。幼年期に東京大空襲があり、福島県いわき市に疎開。その後、在学していた福島県立磐城高等学校から東京都立新宿高等学校へ転校[3]。1958年、東京外国語大学インドネシア語学科に入学。これが後に『ジャカルタの目』、『チェンマイの首』、『マニラの鼻』といった、東南アジアを舞台とする国際小説執筆へと繋がる。 1959年に大学を中退し、俳優座養成所を経て劇団俳優座に入る。若手のリーダー的存在であり有望株であった半面、俳優座首脳と対立することも多く、左翼傾向の強い劇団内では異端児であった。そのため「トロツキスト」のレッテルを貼られたが、もともとトロツキーなど知りもしなかった。却ってトロツキーの著書を手にしたところ、なかなかいいことが書いてあると思ったという。1971年、中村ら中堅・若手が希望した『はんらん狂想曲』の上演に幹部が反対したことで、俳優座首脳との対立が決定的となる。中村は『はんらん狂想曲』を自主公演した後、市原悦子、菅貫太郎、原田芳雄らと共に俳優座を退団した。 1968年に起きた陳玉璽事件に衝撃を受け、アムネスティ・インターナショナル日本支部設立に携わる。
目次
1 来歴・人物
2 出演
2.1 俳優としての主な出演作品
2.1.1 映画
2.1.2 テレビドラマ
2.2 コマーシャル
3 著書
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
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来歴・人物
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