中国地方
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この項目では、日本国内の一地方について説明しています。その他の用法については「中国 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

中国地方のデータ
5県の合計
日本
面積31,921.65km2
推計人口7,399,777人
(2016年10月1日)
人口密度231.8人/km2
(2016年10月1日)
位置

中国地方(ちゅうごくちほう)は、本州の西部に位置する、日本の地域のひとつ。

鳥取県島根県岡山県広島県山口県の5より構成される[1]。なお、行政上の管轄としては気象庁は山口県を除き、海上保安庁は山口県西北部、国土交通省海事事務所は下関市を除く。


目次

1 概要

2 地理

2.1 気候


3 歴史

3.1 古代

3.2 平安時代

3.3 鎌倉時代 - 室町時代

3.4 戦国時代 - 江戸時代

3.5 幕末から第二次大戦まで

3.6 第二次大戦後


4 地域

4.1 主な地域圏


5 人口

5.1 各県の人口

5.2 年齢構成

5.3 主要都市


6 経済

7 交通

7.1 概要

7.2 鉄道

7.3 道路

7.4 空港


8 主な高等教育機関

8.1 大学

8.2 短期大学

8.3 高等専門学校

8.4 文部科学省所管外の教育施設


9 スポーツ

10 方言

11 脚注

11.1 注釈

11.2 出典


12 関連項目


概要

「中国」地方という呼び名の由来ははっきりしていないが、一説には古代畿内を中心に令制国を「近国」「中国」「遠国」に区別したとき、この地方のほとんどが「中国」に相当したからだとされている[2]

表記・発音共に同様の中国(現在中華人民共和国が支配している地域)と区別するため、他の日本の地域とは異なり「地方」を省略することは現在では少ないが、かつての日本では中国地方を単に「中国」と呼び、明治時代の内村鑑三広島人と山口人を「中国人」と呼んだ。そして現在混同しやすい大陸中国のことは西欧での呼称SINA(ラテン語)に当て字をして「支那」、大陸に住む多様な人種を総称して「支那人」と呼んでいた[3]

文献上の早い例は、南朝 : 正平4年/北朝 : 貞和5年(1349年)に足利直冬が備中、備後、安芸、周防、長門、出雲、伯耆、因幡の8カ国を成敗する「中国探題」として見られる(「師守記」「太平記」)こと、翌50年に高師泰が足利直冬討伐に「発向中国(ちゅうごくにはっこうす)」(「祇園執行日記」)、54年に将軍義詮が細川頼有に「中国凶徒退治」を命じた(「永青文庫文書」)こと等。南北朝時代中頃には中央の支配者層に、現在の中国地方(時には四国を含めた範囲)がほぼ「中国」として認識されていた。また、中央政治権力にとって敵方地、あるいは敵方との拮抗地域であった(岸田裕之執筆「中国」の項、『日本史大事典4』平凡社1993年)。とはいえ、この当時の「中国」の呼称は俗称に過ぎず、日本の八地方制度の1つとして「中国地方」とされるのは大正時代以降である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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