三里塚闘争
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三里塚闘争

日時1966年6月22日から現在
場所千葉県成田市及び芝山町
北緯35度45分55秒 東経140度23分08秒 / 北緯35.76528度 東経140.38556度 / 35.76528; 140.38556座標: 北緯35度45分55秒 東経140度23分08秒 / 北緯35.76528度 東経140.38556度 / 35.76528; 140.38556
原因日本国政府が地域住民との合意形成を軽視して強硬な空港建設を推進したため
手段デモ活動座り込み暴動テロ
参加集団

三里塚芝山連合空港反対同盟全日本学生自治会総連合

指導者

戸村一作

死傷者数
死者


警察官4人
東峰十字路事件(3人)
芝山町長宅前臨時派出所襲撃事件(1人)

工事作業員2人
東鉄工業作業員宿舎放火殺人事件

収用委員会会長1人
千葉県収用委員会会長襲撃事件の後遺症を苦にした自殺

航空機メーカー役員の家族1人
日本飛行機専務宅放火殺人事件

反対派活動家3人
東山事件(1人)
成田空港管制塔占拠事件(2人、うち1人は刑事施設での拘禁反応で発症した精神疾患による自殺。)

反対派農民1人
→自殺

三里塚闘争(さんりづかとうそう)は、千葉県成田市農村地区名称である三里塚とその近辺で継続している成田市・芝山町の地元住民及び新左翼活動家らによる新東京国際空港(成田空港、2004年4月1日以降の正式名称は「成田国際空港」)の建設・存続に反対する闘争(紛争)のことを指す。成田闘争(なりたとうそう)とも呼ばれる。

闘争は、空港の建設地が現在の位置に決定するまでの経緯や空港用地内外の民有地取得問題・騒音問題などから空港建設に反発する地元住民らが革新政党指導の下で結成した「三里塚芝山連合空港反対同盟」による反対運動を源流とする。反対運動は、やがて開港を急ぐ政府による機動隊投入等の強硬策に対抗するために新左翼党派と合同することとなり、過激化した。「ボタンのかけ違い」と呼ばれる政府側と反対派のすれ違いの連続の結果、激しい闘争によって開港が当初予定より大幅に遅れただけでなく、双方に死者を出す惨事となった。

開港後も過激派によるテロゲリラ事件や強固な反対運動が継続し空港の拡張が停滞したため、一時は世界屈指の国際空港としての地位を謳歌していた成田空港も各国間の空港開発競争の中で次第に劣勢となっていった。また、地域社会にも住民間の対立をはじめとする爪痕を残すなど、現在に至るまで大きな影を落としている。

一方で、この闘争は公共事業のあり方について国内外に大きな波紋を呼んだ。「成田空港問題の年表」も参照
目次

1 空港計画浮上前の三里塚周辺

1.1 御料牧場

1.2 古村

1.3 開拓部落


2 紛争発生の経緯

2.1 逼迫する航空需要

2.2 新空港計画の策定と富里空港案

2.2.1 新空港の青写真と航空審議会答申

2.2.2 建設省・党人派との対立

2.2.3 富里案の一時内定


2.3 三里塚・芝山の登場

2.3.1 水面下の調整

2.3.2 閣議決定と動揺する地域



3 開港までの紛争の経過

3.1 初期の三里塚闘争

3.1.1 反対同盟の結成

3.1.2 条件賛成派の動き、住民間の対立

3.1.3 測量クイ打ち阻止闘争と革新政党の離反


3.2 新左翼党派の介入

3.3 闘争の激化、開港

3.3.1 一期地区の収用

3.3.2 膠着期

3.3.3 妨害の中での開港



4 開港後の動き

4.1 日本の表玄関となった成田

4.2 反対同盟の分裂と過激化する新左翼

4.3 和解と現状


5 三里塚闘争の公共政策への影響

6 資料画像

7 脚注

7.1 注釈

7.2 出典


8 参考文献

9 関連項目

10 外部リンク

空港計画浮上前の三里塚周辺十余三天神峰東峰取香駒井野天浪東三里塚三里塚宮内庁下総御料牧場岩山木の根横堀古込一鍬田堀之内本城西三里塚南三里塚三里塚御料大清水小菅長田野毛平小泉吉岡川上菱田大里 成田国際空港周辺の地区
 古村を中心とした地区
 戦後開拓を中心とした地区
 明治・大正開墾を中心とした地区

1930年当時の宮内省下総御料牧場

芝山町の谷津田(2009年4月)


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