ヴァンダル戦争
◇ピンチです!◇
◇暇つぶし何某◇

[Wikipedia|▼Menu]

ヴァンダル戦争
ユスティニアヌス1世の再征服戦争中

  526年時点のヴァンダル王国の領域。

533年? 534年
場所現代のチュニジアアルジェリア東部
結果

東ローマ帝国の勝利。
ヴァンダル王国の滅亡。
領土の
変化アフリカ属州の獲得

衝突した勢力
東ローマ帝国ヴァンダル王国
指揮官
ベリサリウスゲリメル
戦力
歩兵10,000
騎兵5,000

約50,000人
(動員時150,000人)[1]

ヴァンダル戦争(ヴァンダルせんそう、533年 - 534年)は、北アフリカ(現在のチュニジアアルジェリア東部)において東ローマ帝国ヴァンダル王国との間で行われた戦争である。この戦争はユスティニアヌス1世による西方再征服戦争の最初の戦いであり、東ローマ帝国軍の速やかなる勝利に終わった。ヴァンダル王国は滅亡し、北アフリカにおけるローマ帝国の支配が再建された。


目次

1 背景

2 両軍の戦争準備

3 アド・デキムムの戦い

4 トリカマルムの戦いとゲリメルの降伏

5 戦後

6 脚注

6.1 注釈

6.2 出典


7 参考文献

8 関連項目


背景詳細は「ヴァンダル王国」および「ヴァンダル族」を参照ヴァンダル族によるローマ劫掠。
ハインリヒ・ロイテマン (en) 画。ヴァンダル戦争関係地図と経過
@トリポリタニアでの反乱。キレナイカより侵攻した東ローマ軍が属州を占領。(533年春)
Aサルデーニャでのゴダスの反乱。ヴァンダル王ゲリメルは鎮圧のためのツァツォン率いるヴァンダル艦隊を派遣。(533年春)
Bベリサリウス率いる東ローマ遠征艦隊がコンスタンティノープルを出帆。ギリシャ、シチリアを経てアフリカへと向かう。(533年6月-9月)
C東ローマ軍がヴァダ岬に上陸し、艦隊と並行して海岸線に沿って、ゲリメル王の追跡を受けつつ[2]、カルタゴへ向けて北上。両軍はアド・デキムムで会戦。(9月14日)
Dゲリメルはブラ・レジアへと敗走し、ツァツォンの軍を呼び戻す。ヴァンダル軍はカルタゴへ前進。ベリサリウスは出撃してトリカマルムでヴァンダル軍と会戦。(533年11月?12月)
E東ゴート軍がリリュバエウムを占拠。(533年秋)
Fゲリメルはパップア山地に逃れ、東ローマ軍に包囲される。(533/534年冬);ベリサリウスはヒッポーネでヴァンダル王室の財宝を接収[3]。;ゲリメルが降伏。(534年3月)

5世紀の西ローマ帝国騒乱期にヴァンダル族はライン川を渡ってガリアに入り、さらに同盟部族のアラン族とともにイベリア半島にまで侵入していた[4]。429年、ヴァンダル王ガイセリックは皇帝と反目していたアフリカ総督(vicarius)ボニファティウス (en) の招きに応じて、彼の民とともに海峡を越えて北アフリカに進出した[5]。現地のローマ軍はボニファティウスの反乱と432年の彼の死によって弱体化しており、ヴァンダル族は容易くローマ領を占拠できた。439年にカルタゴが占領され、続く20年間のうちにガイセリックはアフリカ管区 (en) だけでなく、強力な海軍を用いてシチリアサルデーニャコルシカそしてバレアレス諸島をも手中に収めた[6]

続く数十年間、熟練したヴァンダル海軍は地中海全域を跳梁し、455年にローマ劫掠 (en) を行い[7]、そして468年にはバシリスクス率いる東ローマ艦隊を撃滅している[8]

この敗北とヴァンダル海賊の跋扈は東ローマ帝国を酷く痛めつけ、さらにヴァンダル族の宗教政策が関係を悪化させた。ヴァンダル族は熱烈なアリウス派であり、カトリック教徒の迫害を行った[9]


ご協力下さい!!
■暇つぶし何某■

[次ページ]
[記事の検索]
[おまかせリスト]
[ブックマーク登録]
[mixiチェック!]
[Twitterに投稿]
[オプション/リンク一覧]
[話題のニュース]
[列車運行情報]
[暇つぶしWikipedia]

Size:52 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:FIRTREE