ワシントンD.C.
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人口構成「友情の門」。チャイナタウンの中心にある。

2010年における人口の割合は、50.7%がアフリカ系アメリカ人(黒人)、38.5%がコーカサス系(白人)、9.1%がヒスパニック(人種は様々)、4.4%がその他(インディアン、アラスカ先住民、ハワイ先住民、南洋諸島先住民など)、3.5%がアジア系、2.9%が混血である[2]。黒人はワシントンD.C.で最も多くを占めるものの、郊外へ去る者が多いため、その人口は一貫して減少傾向にある。同時に、ワシントンD.C.で昔から黒人の居住地域だった多くの場所が高級住宅化していることもあり、白人の人口は一貫して増加傾向にある[72]。このことは、2000年と比べて、アフリカ系アメリカ人の人口が6.2%減少し、反対にコーカサス系は13.8%増加していることに表れている[73]。移民の主な出身地としては、エルサルバドルベトナムエチオピアなどがあり、エルサルバドル人はマウント・プレザント近辺に集まっている[74]

2000年の国勢調査によって、ワシントンD.C.の成人のうち推計3万3000人が自らをゲイレズビアンまたはバイセクシュアルだと考えていることが明らかになった。これは市の成人人口の8.1%に当たる[75]。このようにLGBTの人口は相当大きく、また政治的風土もリベラルだが、連邦議会における反対論も原因して、同性結婚はワシントンD.C.の法律では認められていない[76]。しかし、家庭内パートナーシップ法 (Domestic partnership law) によって、同性のカップルも、他の法域で認められているシビル・ユニオンと似た法的取り扱いを受けることができる[76]

2007年の報告によって、ワシントンD.C.の居住者の3分の1が機能的非識字(仕事や日常生活上の読み書き能力が不十分な状態)であることが分かった(全国における割合は5分の1)。英語に習熟していない移民もその一つの原因であると考えられている[77]。2005年に行われた研究では、ワシントンD.C.の5歳以上の居住者のうち85.16%が家で英語のみを使用しており、8.78%がスペイン語を使用していることが分かった。フランス語がそれに次いで1.35%である[78]。機能的文盲率の高さとは対照的に、ワシントンD.C.の居住者のうち45%が少なくとも4年制大学の学位を持っており、国内で4番目に高い割合である[79]

また、2000年のデータによると、半数以上の居住者が自分をキリスト教徒だと考えている。28%がカトリック、6.8%が南部バプテスト連盟、1.3%が正教会(ギリシャ正教)又は東方諸教会、21.8%が他のプロテスタント教派である。イスラム教徒は人口の10.6%、ユダヤ教徒は4.5%、26.8%は無宗教である[80]
インディアン部族

この地に先住したインディアン部族はコノイ族、デラウェア族、ナンチコーク族、ポウハタン族ショーニー族、サスケハンナ族など。そのことごとくがアメリカ政府に虐殺され、19世紀には他州へと強制移住させられた。この地に残ったインディアン部族はすべて「絶滅部族」とみなされ、保留地 (Reservation) を没収されていて、部族単位では存在しないことになっている。

1944年にワシントンD.C.に結成された「アメリカインディアン国民会議 (National Congress of American Indians)」は、インディアン寄宿学校で白人同化教育を受けた、全米のインディアンたちによる初の本格的なロビー運動組織である。彼らは「大声でほえまくる赤い番犬」と呼ばれたが、活動自体は保守的で、AIM などとは違い、若い世代からは「白人寄り」と批判された。

2004年には、この地に全米のインディアン部族の文化展示を目的とした「国立アメリカ・インディアン博物館」が開設された。

≪アメリカ連邦政府に公認要求中のインディアン部族≫

チェロキー・タスカローラ族・亀の島国家」
※「亀の島」はインディアンが北米大陸を指す呼び名
インディアン・カジノ

現在のところ、ワシントンD.C.でインディアン部族が運営する「インディアン・カジノ」は一軒もない。同地ではインディアン部族は存在しないことになっており、今後も開設される望みは薄い。
内務省BIA

ワシントンD.C.にはアメリカ内務省、BIA(インディアン管理局)がある。BIA は内務省の出先機関で、インディアン部族の公認権限を持ち、彼らに「連邦が保留した土地」(Reservation) を「与え」、その保留地に管理官を駐在させて部族政府の監視・管理を行う行政機関で、インディアンの生殺与奪権を握るアメリカ合衆国内のインディアン行政官庁の総元締めである。

1824年の発足以来、BIA はインディアンの権利を搾取する官僚組織として腐敗し続け、インディアンたちからは、「インディアンのバスティーユ監獄」と呼ばれた。1973年のラコタスー族の「ウーンデッド・ニー占拠」の際には腐敗したオグララ部族政府を援助し、部族政府によるスー族へのテロ弾圧を支援している。このBIA局長には20世紀になってからインディアンから選ばれるようになったが、官僚機構の中の傀儡、お飾りに過ぎず、しばしば部族会議との癒着などが批判されたのである。

ポーニー族出身のBIA副長官、ケビン・ガバー(1997年 - 2001年まで就任)が、2世紀近くにわたる内務省BIAの対インディアン政策の犯罪性を認め、その施政を正式に民族浄化だとし、「歴史的謝罪」を行ったのは、ようやく21世紀を前にした、2000年になってからのことであった。


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