ワイト島
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ワイト島

カウンティカウンシルのモットー All this beauty is of God
この地の美は全て神のもの

地理
様態典礼および非都市カウンティ、単一自治体カウンティ
リージョンイングランド南東部
面積
総面積46 位
380 km2 (150 sq mi)
カウンシル所在地ニューポート
ISO 3166-2GB-IOW
ONSコード00MW
NUTS 3UKG11
人口統計
人口
総人口 (2007)
人口密度
約140,000
368 /km2 (950 /sq mi)
民族構成98.7% 白色人種
政治
カウンティカウンシルなし
国会議員

アンドリュー・ターナー (C)

ディストリクト
N/A

ワイト島(ワイトとう、the Isle of Wight)はイギリスイングランドの島であり、島全体で1をなす。本土(グレートブリテン島)から狭い海峡を挟んだ南方に位置し、対岸はハンプシャー州。
目次

1 概要

2 地形と野生生物

3 歴史

4 政治

5 言語と方言

5.1 出典


6 経済

6.1 工業と農業

6.2 サービス産業

6.2.1 観光と自然遺産

6.2.2 運輸と通信



7 刑務所

8 観光名所

9 小説や音楽に出てくるワイト島

10 関連項目

11 外部リンク

概要

ワイト島はヴィクトリア朝にリゾート地として大衆化した場所で、自然が美しく、毎年世界でも有名なレガッタが行われるカウズの王立ヨット隊の本拠地として知られている。ここは住民が普段「島」と呼んでいる。15世紀に一時イングランドに支配されたことや詩人アルフレッド・テニスンの自宅やヴィクトリア女王が好んだ避暑地であり、女王が晩年を過ごしたオズボーン・ハウスなど豊富な歴史がある。海運では飛行艇や世界最初のホーヴァークラフトが作られるなどの産業がある。1970年には前年のウッドストックを上回る約60万人が集まった過去最大のロック音楽祭のひとつワイト島音楽祭の拠点になった。ワイト島音楽祭は2002年にメッセージ性のない形で復活し、2006年の呼び物は、コールドプレイフー・ファイターズプロディジーであった。ワイト島はヨーロッパ恐竜化石が最も豊富な場所のひとつでもある。

686年大ブリテン島から約1世紀遅れてブリテン諸島で最後にキリスト教に改宗した。

1997年ラットランドが復活するまでワイト島はイングランド最小のだったが、今でも下院議員1名に対しイギリスの選挙区で最も多い住民132731人という比率は変わっていない。

ワイト島の州花は、Pyramidal Orchid(ラン科の一種)[1]である。
地形と野生生物

ワイト島はほぼ菱形をしていて、面積は147平方マイル(381km2)である。主に島の西側に当たる島の約半分は、ワイト島特定自然保護区に指定されている。度々「イングランドの縮小版」として引き合いに出されるほどに島の景観は変化に富んでいる。西部地区は田園地帯が中心で、恐らく風景画として島では最適な場所であり、島の全域をニードルズまで走る有名な白亜質の草丘分水嶺が聳える急峻な海岸線がある。島の最高地点は、イギリスでマリリンと呼ばれる種類の山でもあるセントボニフェースダウン(241m/791ft)である。 ニードルズとアラム湾の良く知られた眺望

残りの場所も変化に富んでいて、緩やかな崖と岩棚のある恐らく野生生物にはとにかく重要な一番有名な生息地があり、国際的な保護区域である。ヤー川が島の東端のベンブリッジ港を形成する北東に緩やかに流れる一方で、メディナ川が北のソレント海峡に流れ込んでいる。紛らわしいことに西に流れる川もヤー川と呼んでいて、フレッシュウォーター湾からヤーマスの比較的広い河口までの短い距離を流れている。それぞれを区別する必要があるときは、川の名前に「東」や「西」を付けている。島の南部は、イギリス海峡に面している。

島の野生生物は、グレートブリテン島とは異なる特徴的な生物相をもつ。リスは在来種のキタリスが多く、グレートブリテン島で分布を広げている外来種のハイイロリスがいない[2]。また、野生のシカもいないが、ヤマネ科コウモリの希少種が発見されている。タテハチョウの一種・グランヴィルヒョウモンモドキ Melitaea cinxia はユーラシア大陸に広く分布するが、イギリスではワイト島の脆い崖周辺だけに分布している。 ワイト島とソレント海峡の衛星写真

本土から島に渡るには船が一般的で、リミントンからヤーマス、サウサンプトンから東カウズ、ポーツマスからフィッシュボーンとフェリーが運航されている。車を使わない人は、サウスシー・ライド間を運航するホバークラフトが使えるし、サウサンプトン・西カウズ間やポーツマス・ライドピアヘッド間は、2隻の双胴船が運航している。最近では島と本土を直接結ぶ鉄道もある。島にはベンブリッジとサンダウンに軽飛行機用の空港もある。

島にはアソシエーション・オブ・トレイン・オペレーティング・カンパニーズ(ATOC、イギリス鉄道運行企業連合。イギリスの旅客列車運行会社の代表団体)に属する最小の鉄道会社であるアイランド・ラインの本社があり、同社が島の東部ライドピアヘッド・シャクリン間約8.5マイルのワイト島線の列車(ナショナル・レールに含まれる)を運行している。スモールブルック連絡駅でワイト島線と連絡する蒸気機関車の保存鉄道ワイト島蒸気鉄道もある。
歴史

現在ワイト島を形成している場所の多くは、白亜紀の堆積物で、現在のイングランド南岸地域の多くを形成している入り組んだ川谷であった。当時の沼地と池は、化石の宝庫で、現在ヨーロッパ恐竜の化石が見付かる最も重要な場所のひとつになっている(詳しくはワイト島の恐竜を参照のこと)。

ワイト島は最後の氷河期の終わりのある時期に島になったが、後氷期の隆起で沈降が起こったためにソレント海峡に海水が流れ込み島を形成した。島はローマ人にはVectisとして知られるケルト族の島となり、ローマ帝国ウェスパシアヌスに占領された。ローマ帝国の支配が終わると、アングロ・サクソン族の侵攻が始まる頃ゲルマン系のジュート族が開拓した。VectisがWihtに転化して(ラテン語のvは[w]と発音した)島名の語源になった。

ノルマンディー公ギヨームの侵攻でワイト島卿が設けられた。キャリスブルック修道院とキャリスブルック城の砦が造られた。ワイト島が完全に国王の支配を受けることになるのは、最後のノルマン卿イザベラ・ド・フォルトビュスが死んで1293年エドワード1世に売られてからである。その後、ヘンリー6世が自ら戴冠したヘンリー・ド・ボーシャンがワイト島の王であった一時期を除いて、ワイト島卿は王の任命制になった。ヘンリーは1445年に22歳で没した。男子の王位継承者はなく、王統は途絶えた。

ヘンリー8世は海軍を発展させ、時に修道院を解体した物を建造物にしてヤーマス、東西カウ、サンダウンで島の防衛にあたれるようにポーツマスを母港とした。


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