ラ・マルセイエーズ
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La Marseillaise
和訳例:ラ・マルセイエーズ
ラ・マルセイエーズを初披露する
ルージェ・ド・リール大尉

国歌の対象
フランス
フランス領ギアナ
フランス領ポリネシア
グアドループ
マルティニーク
マヨット
ニューカレドニア
レユニオン
サン・バルテルミー
サン・マルタン
サンピエール・ミクロン
ウォリス・フツナ
作詞ルージェ・ド・リール(1792年)
作曲ルージェ・ド・リール(1792年)
採用時期1795年

試聴
ラ・マルセイエーズ(演奏のみ)
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メディアを再生する La Marseillaise (1907).

ラ・マルセイエーズ(: La Marseillaise、フランス語発音: [la ma?s??j?z]発音例)は、フランス国歌である。マルセイユの歌とも言う。もとはフランス革命のときの革命歌で、マルセイユの連盟兵(義勇兵)が隊歌として歌って広めたことからこの名前がある。
目次

1 概要

1.1 作曲の経緯

1.2 フランス国歌になるまで

1.3 団結の歌から追悼の歌へ


2 他の楽曲への影響

3 歌詞

4 関連書籍

5 脚注

5.1 注釈

5.2 出典


6 関連項目

7 外部リンク

概要 「ラ・マルセイエーズ」の楽譜
作曲の経緯

この歌は、フランス革命政府がオーストリアへ宣戦布告したという知らせがストラスブールに届いた1792年4月25日から翌26日の夜にかけて、市長フィリップ=フレデリク・ド・ディートリヒ男爵 (Philippe Friedrich Dietrich) の要望で、当地に駐屯していた工兵大尉ルージェ・ド・リールが出征する部隊を鼓舞するために、一夜にして作詞作曲したというのが定説である。このとき付けられたタイトルは『ライン軍のための軍歌 (Chant de guerre pour l'armee du Rhin) 』 であった。リール大尉はこの曲を当時のライン方面軍司令官ニコラ・リュクネール元帥に献呈した。

その後、この歌は全国にパンフレットという形で流布され、テュイルリー宮襲撃事件の約2週間前にマルセイユ連盟兵がパリ入城したときに口ずさんでいたことをきっかけとしてパリ市民の間で流行した。このために元々の題名ではなく、現在の『ラ・マルセイエーズ[注釈 1]』という形で定着した。さらに1795年7月14日国民公会で国歌として採用されたのである。

初期出版の楽譜に作曲者名が記されていないことなどから、作曲者は不明とされるが、ルージェ・ド・リールの別の詩『自由への讃歌 (L'Hymne a la Liberte) 』に曲を付けたことのある作曲家イグナツ・プライエルこそが真の作曲者ではないかという異説もある。また、現在7節あるうちの最後の節(「子供の歌」)は同年10月に付け加えられ、ジャン=バティスト・デュボワ、マリー=ジョゼフ・シェニエ(詩人)、デュボワ神父の作だと言われているが、フランス政府の公式見解としては7番(7節)の歌詞は作者不詳とされている。
フランス国歌になるまで

1804年ナポレオン・ボナパルトが皇帝になると、「暴君(専制君主)を倒せ」という部分の暴君(ティラン)は世襲君主全般をさすことから、国歌を『出陣の歌』に変更し、『ラ・マルセイエーズ』は第一帝政から王政復古にかけては、特別な許しがある場合を除いては、公の場で歌うことは禁止されていた。1830年七月革命以降は晴れて解禁となり、第三共和政下で再び国歌に制定され、同年にベルリオーズが独唱者と二重合唱、オーケストラのための編曲を施した。第四共和政の「1946年憲法」、第五共和政の「1958年憲法」いずれにも『ラ・マルセイエーズ』を国歌として定める旨が明記されている。

現在の第五共和政憲法には以下のように規定されている。

第1章主権

第2条(共和国の言語、国旗・国歌、標語、原理)

国語はフランス語である。

国旗は青白赤より構成される三色旗である。

国歌は「ラ・マルセイエーズ」である。

標語は「自由・平等・友愛」である。

原理は「人民の人民による人民のための政治」である。



団結の歌から追悼の歌へ

2015年11月13日にパリ同時多発テロが起きたときには「フランスとパリ市民との連帯」をあらわすためなどの理由で『ラ・マルセイエーズ』の演奏がなされた。事件当日に開催された国民議会臨時会合では犠牲者への黙祷の後、誰ともなしに『ラ・マルセイエーズ』が歌われだし大合唱となった。国民議会で議員によって『ラ・マルセイエーズ』が歌われるのは第一次世界大戦終結後の以来である[1]。また同月17日ベルサイユ宮殿で大統領の招集で開催された元老院、国民議会の両院合同議会でも両院議員によって『ラ・マルセイエーズ』が合唱された[2]。また元老院でも同様に黙祷の後に『ラ・マルセイエーズ』の合唱が行われた。事件から2週間後の11月27日にオテル・デ・ザンヴァリッドで開催された追悼式典ではベルリオーズ編曲の『ラ・マルセイエーズ』が演奏された[3]

このほか民間レベルでも、11月15日にノートルダム大聖堂でのアンドレ・ヴァン=トロワ枢機卿司式の追悼ミサではオルガニストのオリヴィエ・ラトリーよる編曲のオルガン版『ラ・マルセイエーズ』が演奏された[4]。11月17日のウェンブリースタジアムでのサッカーフランス代表サッカーイングランド代表の親善試合などでも『ラ・マルセイエーズ』が「テロの犠牲者への追悼とフランスとの連帯」を表すために演奏された。


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