マニフェスト
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この項目では、政権公約について説明しています。その他の用法については「マニフェスト (曖昧さ回避)」をご覧ください。

 
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マニフェスト(英語: manifesto)とは
個人または団体がその方針や意図を広く多数の者に向かって知らせるための文書や演説。声明文(せいめいぶん)・宣言書(宣言)を意味する漢語

上記が転じて、選挙において政党が公約に掲げる要目を投票に先立って発表する案内書。選挙公約(せんきょこうやく)を意味する外来語。→ 本項で詳述。

目次

1 概要

2 起源

3 イギリスのマニフェスト

3.1 背景

3.2 命令的委任に関する議論


4 日本のマニフェスト

4.1 概要

4.2 要件

4.3 経緯

4.3.1 議会不信

4.3.2 議会制民主主義における「公約」

4.3.3 「マニフェスト」の導入

4.3.4 「マニフェスト」の実施

4.3.5 「マニフェスト」の死語化


4.4 マニフェストの具体例

4.5 ローカル・マニフェスト


5 日本以外のマニフェスト

6 国際公約

7 主なマニフェスト(年代順)

8 脚注

8.1 注釈

8.2 出典


9 文献情報

10 関連項目

11 外部リンク

概要

日本ではその体裁から「有権者団との契約」と主張されることが多いが[* 1][1][2]、実際に法的拘束力があるものではなく、あくまでも選挙公約の一形態にすぎない。本家のイギリスでも法的な意味での契約の命令的性格については否定されている[3]

日本では、選挙においては政党の選挙公約の声明(書)において英語のマニフェストがよく使われたことからこの意味に限定されていることが多く、有権者に政策本位の判断を促すことを目的として、政党または首長議員等の候補者が当選後に実行する政策を予め確約(公約)し、それを明確に知らせるための声明(書)との意味になる。この場合のマニフェストは「政策綱領」「政権公約」「政策宣言」「(政治的)基本方針」などと訳すことが多い。しかし、この用法は「選挙ごとに、政治の基本政策・基本理念が変わる」ことを意味する結果となることから、「選挙公約」、「(政治的)基本方針」とすることが適当であるとの論点もある。

「マニフェスト」という語については有名なものとして「共産党宣言」(Manifest der Kommunistischen Partei)がある。
起源

マニフェスト(Manifesto)の語源については、ラテン語で「手(manus)」と、「打つ(fendere)」が合わさった、とする説が有力。「手で打つ」⇒「手で感じられるほど明らかな」⇒「はっきり示す」と派生したと考えられている。これがイタリア語でManifesto (伊)「声明(文)・宣言(文)」となる。その後、イギリスにおいて党首の演説がManifesto(声明文)と呼ばれるようになる。manifest(英)は英語の一般名詞・動詞・形容詞であるが、イタリア語・ラテン語由来のManifestoと記述する場合はとくに政治上の声明文を意味する名詞となる。manifestの発音 /?man?fest/ は「マニフェスト」に近く[4]、manifestoは/?man??fest??/ /?man??festo?/というように語尾が二重母音になっており「マニフェストウ」に近い[5]。日本語表記のさい「マニュフェスト」とは記述しない。

Manifestoと呼ばれる党首の(所信表明)演説がイギリスで最初に選挙公約として使われるようになったのは1835年の総選挙(英語版)において保守党党首・首相サー・ロバート・ピール准男爵がタムワース選挙区(英語版)の選挙区民に向けて出したものだとされる。この「タムワース・マニフェスト」は保守党党首で前首相でもあったピールの個人的な公約の性格が強いものであった。この声明は翌年の総選挙において保守党の政治方針として公式に採用された。以来、イギリスでは総選挙ごとに主要政党はマニフェストを発表してきた。1906年には労働党が政党の公約として初めてマニフェストを出す。現在のように冊子の形になったのは1935年総選挙時の保守党のものが最初であるとされる。また1980年代初頭以降、各党のマニフェストは写真入りのカラー印刷冊子となった[6]。現在、日本においていわれる選挙公約としてのマニフェストは、このイギリスの19世紀以来の政治慣行を参考にしたものである。しかし、イギリスにおけるマニフェストには、数値目標や財源が詳しく記載されていると言う理解は誤りであり、イギリスの下院議員や研究者たちも、こうした理解を否定している[7]
イギリスのマニフェスト

イギリスの最初のマニフェストは1835年の総選挙においてロバート・ピールが自身のタムワース選挙区の選挙区民に向けて出したものだとされる。ただしこの「タムワース・マニフェスト」はピールの個人的な所信表明の性格が強いものであった。1906年には労働党が政党の公約として初めてマニフェストを出す。現在のように冊子の形になったのは1935年総選挙時の保守党のものが最初であるとされる。また1980年代初頭以降、各党のマニフェストは写真入りのカラー印刷冊子となった[6]
背景

政策綱領声明文であるManifestoが具体的な選挙公約声明文となる構図は本家のイギリスの議会制度が大きく関わっている。イギリスでは当初Manifestoは党首など政治家の個人的な所信表明や、党内で決定された政策方針の要領を党大会で声明文として出すという内輪での使用を念頭に置いたものであった。しかし19世紀の選挙制度改革により比例代表制が廃止され1人区が支持されるようになる。[* 2]この小選挙区選挙制度では、たいていの場合は第一党が過半数で与党となる。

一方でイギリスの上院(貴族院)は貴族議員による終身制[* 3]であり、党派の固定が19世紀から問題とされていた。特に19世紀後半の各種社会政策について労働党の法案や予算案をしばしば否決することで挫折させており、1911年の議会法をめぐる議論、1918年のブライス・リポートをめぐる議論を経て上院の構成・および権限の見直しがおこなわれ、第二次世界大戦後の1945年に労働党が伸張して以降、産業の国有化など非伝統的政策の議案について、下院の総選挙で政権を取った党が明確に掲げた政策公約について国民の民意の反映として廃案にはしない、あるいは成立を遅延させないという伝統(ソールズベリー・ドクトリン[9][10][11])が確立している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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