マット・ヒューズ
基本情報
本名マシュー・アレン・ヒューズ
(Matthew Allen Hughes)[1]
国籍 アメリカ合衆国
誕生日1973年10月13日(38歳)
出身地イリノイ州ヒルズボロ
マット・ヒューズ(Matt Hughes、男性、1973年10月13日 - )は、アメリカ合衆国の総合格闘家。イリノイ州ヒルズボロ出身。HITスクワッド所属。元UFC世界ウェルター級王者。
サイドポジションから自身の足と腕で相手の両腕を固定して、頭部にパウンドや肘を放つマット・ヒューズ・ポジションを得意とする。
双子の兄マーク・ヒューズも総合格闘家である。 ヒルズボロ高校時代はレスリングで、イリノイ州王者に2度なり、ハイスクール・オールアメリカンに選出された。大学でもレスリングを続け、オールアメリカンに選ばれた[2]。 パット・ミレティッチの指導を受け1998年に総合格闘技デビュー。レスリングをベースにした体力と投げを武器に、Extreme Challengeなどローカルプロモーションで活躍。1999年5月には修斗へ初来日。郷野聡寛に勝利を収めた。同年9月にUFC初参戦。 2000年12月にデニス・ホールマンに敗れてからしばらくの間はUFCからのオファーが途絶えるが、日本のリングスなどで実績を重ねる。 2001年11月2日、UFC復帰戦にしてカーロス・ニュートンのウェルター級王座に挑戦。ニュートンの三角絞めをリフトした際に失神してしまうが、そのままニュートンを床に落としてバスターで失神させた。両者が失神する事態となったが、裁定はヒューズのKO勝ちとなり、第3代世界ウェルター級王者となった。 2002年3月22日には、桜井"マッハ"速人にTKO勝ちし、初防衛に成功。その後もタイトルを防衛するが、2004年1月31日、ライト級から転向したBJペンにチョークスリーパーで一本負けし、王座防衛は5回でストップした。 2004年10月22日、ペンの返上によって空位になったウェルター級王座をジョルジュ・サンピエールと争い、王座に返り咲く。以降、フランク・トリッグ、ジョー・リッグスを連破し、2006年5月27日のUFC 60では「レジェンド」のホイス・グレイシーの挑戦を受け、ホイスに全く何もさせず、パウンドによるレフェリーストップで勝利。この試合の全米PPV件数は60万件を突破した。 2005年8月から11月にかけて放送されたリアリティ番組「The Ultimate Fighter」のシーズン2でリッチ・フランクリンと共にコーチを務めた。 2006年9月23日にはUFCに復帰したペンとのリベンジマッチを行い、TKOで勝利し、王座を防衛した。しかし、同年11月18日、ジョルジュ・サンピエールとの再戦で、KO負けを喫し、王者から陥落した。 2007年3月3日、UFC 68でクリス・ライトルと対戦、判定勝ち。 2007年9月から「The Ultimate Fighter」のシーズン6ではチーム・ヒューズのヘッドコーチを務めた。同年、自らのチームH.I.T.(Hughes Intensive Training)スクアッドを立ち上げるため、長年在籍したミレティッチMAを脱退した。 2007年12月29日、9か月ぶりの参戦となったUFC 79でマット・セラとのウェルター級タイトルマッチが予定されていたが、セラの負傷により替わってジョルジュ・サンピエールと再戦し、腕ひしぎ十字固めにより一本負け。 2008年には自伝「Made in America」を出版した。若き日のヒューズの犯罪も含めた武勇伝や、更生後は敬虔なクリスチャンになったことなどが書かれている。 2008年6月7日、UFC 85でチアゴ・アウベスと対戦し、2ラウンドに顔面に跳び膝蹴りを受けTKO負け。この試合はアウベスの4ポンドの計量オーバーにより、175ポンドのキャッチウェイトバウトとして行われた。 2009年5月23日、UFC 98でマット・セラと対戦し、3-0の判定勝ち[3]。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2010年4月10日、アブダビで開催されたUFC 112ではヘンゾ・グレイシーと対戦。
目次
1 来歴
2 戦績
3 獲得タイトル
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
来歴
◇ピンチです!◇
■暇つぶし何某■