バーレーン
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政治
政体

かつては絶対君主制で、「クウェートより危うい国」とされていたが、湾岸戦争以後、民主化を求める国民による暴動が絶えず、首長(アミール)であるシャイフ・ハマド・ビン・イーサー・アール・ハリーファの下で次々と民主化を実行し、2002年より政体を立憲君主制とし、君主の称号をマリク(国王)と改めた。シャイフ・ハマド・ビン・イーサー・アール・ハリーファ首長は国王(マリク)に即位した。二院制議会(国王が任命する評議院と直接選挙による代議院)を設置し、内閣には国王によって任命される首相を置き、男女平等参政権司法権の独立などの体制を整えている。
外交

外交面では中東地域の国々やイギリスフランス日本アメリカを始め、多くの国と良好な関係を築いており、また親米国だが、カタールとハワール諸島に関しての領土問題がある。イラクと関係が悪かったこともあり、湾岸戦争時にミサイルで狙われたこともある。またペルシア湾を挟んで向かい合う大国イランとは、パフラヴィー朝が「バーレーンは歴史的にみてイラン(ペルシア)の領土である」と領有権を主張していたことから、同国に対して警戒心が強いとされる。イスラーム革命後は、イランが国内のシーア派を扇動して体制転覆を図るのではないかと脅威に感じており、バーレーンのスンナ派住民の間には、こうした警戒心から反イラン・反シーア派感情が強いとされる。アメリカも「敵の敵は味方」思考からスンナ派(政権側で少数派)のシーア派(国内多数)弾圧に懸念を表明しつつも、対話を促す程度にとどまってきた。

2016年1月2日にサウジアラビアがイスラム教シーア派の有力指導者を処刑したことをきっかけにサウジアラビアとイランの関係は急速に悪化し、イランの首都テヘランにあるサウジアラビア大使館が襲撃されたことをきっかけにサウジアラビアはイランとの国交を断絶し、これに続いてバーレーンもイランとの国交断絶を行っている[4]

隣国サウジアラビアとは、王家が同じ部族の出身ということもあって関係が深く、実質的な保護国となっている。2011年バーレーン騒乱の際は、サウジアラビアの軍事介入によって事態が収束した。
軍事詳細は「バーレーン国防軍」を参照

軍事面では湾岸戦争後、アメリカと防衛協定を結び、アメリカ軍が駐留しており、第5艦隊の司令部がある。2015年には明治維新以降として、史上初の多国籍国際合同艦隊の司令官職として、日本の海上自衛隊より任命された幹部自衛官が赴任し、当地バーレーン第5艦隊での国際協力任務を完遂した。南部の約25%がアメリカ軍基地となっている。
経済 バーレーンの首都、マナーマ

IMFの統計によると、2011年のバーレーンのGDPは約261億ドルと推計されており[5]日本島根県よりやや小さい経済規模である[6]

中東で最も早く石油採掘を行った国で、GDPの約30%は石油関連事業によるものであり、その恩恵で国民には所得税が皆無であるが、1970年ごろから石油が枯渇し始め、このままいくと、あと20年余りで完全に枯渇するという問題に直面していた。資源探査を続けた結果、2018年4月1日、政府は西部沖合で国内で確認されていた埋蔵量を上回る規模の油田を発見したと発表している[7]

隣国サウジアラビアとは橋で結ばれているため、経済的な結びつきが強い。加えて同国が事実上の鎖国体制を敷いていることやペルシャ湾の入口にあるという地理的特性を活かし、中東のビジネスの拠点、金融センターを目指してインフラ整備を進め、石油精製やアルミ精製、貿易、観光などの新規事業も積極的に展開し、多国籍企業を始めとした外国資本が多数進出している。2010年9月、英国のシンクタンクのZ/Yenグループによると、バーレーンは世界第42位の金融センターと評価されており、中東ではドバイカタールに次ぐ第3位である[8]

観光にも力を入れており、現在は豊かな国の一つとして数えられているが、失業率が15%超 (政府発表値約6.6%:2003年) とGDPと比べて高い。

通貨単位はバーレーン・ディナール。レートは1米ドル=0.377バーレーン・ディナール(2010年12月3日現在)
交通

国営航空会社ガルフ・エアアジアヨーロッパアフリカオセアニア諸国に乗り入れている他、世界各国の航空会社がバーレーン国際空港に乗り入れている。日本から行く場合は、ドバイやドーハなどで乗り換えていくのが一般的である。

島国ではあるが、1986年にキング・ファハド・コーズウェイが開通、サウジアラビアとの間を車で行き来することが可能になっている。

2008年にライトレールの建設計画が公表されたが、2009年からの建設予定が度々延期が繰り返されている。
国民 バーレーンの世代別人口分布

国籍

バーレーン国籍  46%
外国籍  54%

2010年の調査によると、バーレーン国籍は46%(568,390人)に過ぎず、半数以上の54%(666,172人)を外国人労働者が占めている。外国人労働者の中で最大の勢力はインド人で290,000人を数える。

住民はアラブ人が7割ほどを占めている(バーレーン人が63%、その他のアラブ人が10%)。その他にイラン人が8%、アジア人(印僑など)が19%などとなっている。シーア派多数の人口構成を変えるために、パキスタン等他のスンナ派イスラーム諸国からの移民を受け入れ、国籍を与えていると言われている。
言語

言語は公用語がアラビア語で、日常的にはバーレーン方言が話される。他にペルシア語ウルドゥー語ヒンディー語などが使われる。英語も広く使われている。
宗教

イスラム教の宗派

シーア派  75%
スンニ派  25%

宗教は、バーレーン国籍保持者に限ると、イスラームが99.8%に達し国教となっている。そのうちシーア派が75%、スンナ派が25%となっている。外国籍を含むと、イスラームが70.2%にまで下がり、残りはキリスト教が14%、ヒンドゥー教が10%などとなっている。近年はインドなどからの労働者の増加により、非イスラム教の割合が増加傾向にある。少数派であるスンナ派は政治やビジネスなどの面で優遇されて支配層を形成しているのに対して、多数派であるシーア派は貧困層が多く、公務員や警察には登用されないなど差別的な待遇に不満を感じているとされる。こうした不満が、2011年バーレーン騒乱に繋がったと見る向きもある。
宗教的規制

全世界からビジネスマンや観光客が来ることもあってか、サウジアラビアイラン等の周辺国に比べると、宗教的規制はかなりゆるやかである。例えばアルコールは自由に飲むことができ、週末になると飲酒を禁じられている周辺国から酒を求めて人々が集まって盛り上がる。また、女性も顔や姿を隠す必要はない。
文化 バーレーンの観光 バーレーンGP
音楽

欧米の軽音楽の聴取が自由であり、それらに影響された軽音楽がバーレーンでも製作されている。1981年にデビューしたオシリス (Osiris) はバーレーンを代表するロック・バンドで、ヨーロッパでもレコード、CDが発売されている。
女性の社会進出

女性の政治的社会進出も他の湾岸諸国に比べて進んでおり、就業率は23.5%(2001年)、大学進学率は11.8%(2001年、男子は13.2%)と高い水準を誇る[9]

またサビーカ王妃がアラブ女性連合最高評議会の議長を務めるほか、第61回国連総会議長のハヤー・アール・ハリーファ、同国初の女性閣僚となったナダー・アッバース・ハッファーズ博士など政府の要職に女性が就くことも珍しくない。


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