バーレーン
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国名

正式名称はアラビア語で ????? ???????(ラテン文字:  Mamlakat al-Ba?rayn マムラカトゥ・アル=バフライン)、通称、???????( al-Ba?rayn アル=バフライン)。

公式の英語表記は Kingdom of Bahrain。通称 Bahrain。国民・形容詞はBahraini。

日本語の表記はバーレーン王国。通称バーレーン。バハレーン、バハレインと書かれることもある[2]正則アラビア語に従った仮名表記では「バフライン」になる。

国名の?????は[3]アラビア語で「二つの海」という意味であり、島に湧く淡水と島を囲む海水を表すとされている。2002年、バーレーン国(State of Bahrain)から現在の名称に変更した。
歴史詳細は「バーレーンの歴史(英語版)」を参照

かつてはディルムン文明と呼ばれるエジプト文明シュメール文明に匹敵する文化の中心地であったといわれている。15世紀ごろまでは真珠の産地であった。

16世紀、ペルシャの圧力を受ける中、ポルトガルが進出

1782年 ハリーファ家がカタールから移住。支配が始まる

1867年 カタール・バーレーン戦争(英語版)

1868年 イギリス・バーレーン合意(英語版)

1880年 イギリス保護国となる

1931年 米国の国際石油資本スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア(英語版)(通称ソーカル、SoCal。現:シェブロン)の子会社であるen:Bahrain Petroleum Company(BAPCO)が石油(en:First Oil Well, Bahrain)を発見。

1968年 イギリス軍のスエズ以東撤退が発表されたのを契機に、バーレーンを含む湾岸の9首長国が連邦結成協定を結ぶ

1971年 バーレーン国として独立

1975年 議会廃止

1990年代 en:1990s uprising in Bahrain

2001年 民主化推進に向け、国民投票を実施

2002年 国名をバーレーン王国へ改称し、絶対君主制から立憲君主制へ移行

2011年 2011年バーレーン騒乱。シーア派国民による反政府デモが起こる。

地理 バーレーンの地図「バーレーンの都市の一覧」も参照

サウジアラビアの東、ペルシャ湾内にある群島。国土の大半が砂漠石灰岩に覆われている。

ケッペンの気候区分砂漠気候(BW)。

サウジアラビアとは「キング・ファハド・コーズウェイ」という全長約24kmの橋によって結ばれている。
地方行政区分詳細は「バーレーンの行政区画」を参照 地方行政区分

4つの県がある。2003年7月3日までは12の行政区に分けられていた。
南部県

北部県

首都県

ムハッラク県

政治
政体

かつては絶対君主制で、「クウェートより危うい国」とされていたが、湾岸戦争以後、民主化を求める国民による暴動が絶えず、首長(アミール)であるシャイフ・ハマド・ビン・イーサー・アール・ハリーファの下で次々と民主化を実行し、2002年より政体を立憲君主制とし、君主の称号をマリク(国王)と改めた。シャイフ・ハマド・ビン・イーサー・アール・ハリーファ首長は国王(マリク)に即位した。二院制議会(国王が任命する評議院と直接選挙による代議院)を設置し、内閣には国王によって任命される首相を置き、男女平等参政権司法権の独立などの体制を整えている。
外交

外交面では中東地域の国々やイギリスフランス日本アメリカを始め、多くの国と良好な関係を築いており、また親米国だが、カタールとハワール諸島に関しての領土問題がある。イラクと関係が悪かったこともあり、湾岸戦争時にミサイルで狙われたこともある。またペルシア湾を挟んで向かい合う大国イランとは、パフラヴィー朝が「バーレーンは歴史的にみてイラン(ペルシア)の領土である」と領有権を主張していたことから、同国に対して警戒心が強いとされる。イスラーム革命後は、イランが国内のシーア派を扇動して体制転覆を図るのではないかと脅威に感じており、バーレーンのスンナ派住民の間には、こうした警戒心から反イラン・反シーア派感情が強いとされる。アメリカも「敵の敵は味方」思考からスンナ派(政権側で少数派)のシーア派(国内多数)弾圧に懸念を表明しつつも、対話を促す程度にとどまってきた。

2016年1月2日にサウジアラビアがイスラム教シーア派の有力指導者を処刑したことをきっかけにサウジアラビアとイランの関係は急速に悪化し、イランの首都テヘランにあるサウジアラビア大使館が襲撃されたことをきっかけにサウジアラビアはイランとの国交を断絶し、これに続いてバーレーンもイランとの国交断絶を行っている[4]

隣国サウジアラビアとは、王家が同じ部族の出身ということもあって関係が深く、実質的な保護国となっている。2011年バーレーン騒乱の際は、サウジアラビアの軍事介入によって事態が収束した。
軍事詳細は「バーレーン国防軍」を参照

軍事面では湾岸戦争後、アメリカと防衛協定を結び、アメリカ軍が駐留しており、第5艦隊の司令部がある。2015年には明治維新以降として、史上初の多国籍国際合同艦隊の司令官職として、日本の海上自衛隊より任命された幹部自衛官が赴任し、当地バーレーン第5艦隊での国際協力任務を完遂した。南部の約25%がアメリカ軍基地となっている。
経済 バーレーンの首都、マナーマ

IMFの統計によると、2011年のバーレーンのGDPは約261億ドルと推計されており[5]日本島根県よりやや小さい経済規模である[6]

中東で最も早く石油採掘を行った国で、GDPの約30%は石油関連事業によるものであり、その恩恵で国民には所得税が皆無であるが、1970年ごろから石油が枯渇し始め、このままいくと、あと20年余りで完全に枯渇するという問題に直面していた。資源探査を続けた結果、2018年4月1日、政府は西部沖合で国内で確認されていた埋蔵量を上回る規模の油田を発見したと発表している[7]

隣国サウジアラビアとは橋で結ばれているため、経済的な結びつきが強い。加えて同国が事実上の鎖国体制を敷いていることやペルシャ湾の入口にあるという地理的特性を活かし、中東のビジネスの拠点、金融センターを目指してインフラ整備を進め、石油精製やアルミ精製、貿易、観光などの新規事業も積極的に展開し、多国籍企業を始めとした外国資本が多数進出している。2010年9月、英国のシンクタンクのZ/Yenグループによると、バーレーンは世界第42位の金融センターと評価されており、中東ではドバイカタールに次ぐ第3位である[8]

観光にも力を入れており、現在は豊かな国の一つとして数えられているが、失業率が15%超 (政府発表値約6.6%:2003年) とGDPと比べて高い。

通貨単位はバーレーン・ディナール。レートは1米ドル=0.377バーレーン・ディナール(2010年12月3日現在)
交通


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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