バリ島
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宗教詳細は「バリ・ヒンドゥー」を参照日々のお供え物

「神々の島」とも形容されるバリ島では、人々のおよそ90%が、バリ土着の信仰とインド仏教ヒンドゥー教習合によって成り立つバリ・ヒンドゥーと呼ばれる信仰を奉じている。バリの慣習村(デサ・アダット)では、土地や祖先神への信仰が生きており、人々はデサ・アダットの土地を清浄に保ち、穢れを避ける義務を負っている。このために、古くからの慣習(アダット)もかなり色濃く残されており、店や家の前には毎朝チャナンと呼ばれるお供え物をするなど、宗教的な活動に多くの時間が使われ、したがって、バリ島では毎日、島のどこかで祭りが行われているのである。バリ人は祭りごとが大好きであるとの話がよく耳にされるが、バリ人にとってのお祭り(ウパチャラ)とはあくまで以上のような宗教的な儀式なのである。こうした背景から、バリ人は非常に精神的に満足した者が多いといわれる。

また、バリ・ヒンドゥーの世界観は方角によっても支えられている。とりわけ重要なのが「カジャ」(側)と「クロッド」(側)の組み合わせである。カジャとクロッドの対比は、上と下、優と劣、清浄と不浄といった象徴的価値観と密接に繋がっており、寺院の位置や葬儀の場所、屋敷の構造などが、この対比に従って決められている。また、この秩序観から、人の頭を触ったり頭の上に手をかざすことや、左手で金銭を扱ったり食事をすることがタブーとされている。[要出典]

このようにバリ島はバリ・ヒンドゥーのコスモロジーに根ざした世界が広がっているが、1990年代以降、ジャワ島を中心として数多くの人々が、観光産業での労働従事を目的として移り住み始めるようになっており、イスラム教徒が急増している[38]
言語

伝統的な言語としてバリ語が存在し、多くの人々はバリ語を用いてきたが、公式的にはインドネシアの公用語であるインドネシア語が用いられたり、学校教育や主要マス・メディアもインドネシア語が利用されている。都市部ではインドネシア語を主として用いる層も増えている[39]。ただし、2000年代からの地方分権化を背景としたバリ文化再興の運動(アジェグ・バリ)の一環として、義務教育でバリ文字が教えられるようになっている。そして、2006年からはバリ・ポストから「オルティ・バリ」というバリ語の新聞が週刊で復刊され、バリの文芸作家たちが作品を発表していたり、バリ語のラジオ放送が盛んになったり、バリ語のポップ歌謡も流行りだしている[40]
文化と芸術 - 観光文化としての伝統文化

米の女神デウィ・スリレゴン

先に見たように島南部を中心として土地が肥沃であったことから、昔からバリの人々は余裕を持った生活を送ることができた。そこで、農民は朝夕それぞれ2、3時間働くと、その日の残りは絵画、彫刻、音楽、ダンスなどの創作活動に当てるなど、美術・芸術活動にも勤しんでいた[41]

バリの美術には、古くからのインド的性格が残存しており、時代が新しくなるにつれ、バリ島独自の土着的な性格が強くなっていく。インド色の濃い遺品として、例えば、ペジュン出土の粘土製の奉納板(8世紀頃)にはインドのパーラ朝美術を思わせる仏教尊像が描かれている。さらにインド・ヒンドゥーの石彫であるドゥルガー像(11世紀頃)が傑作として挙げられる。

ただし、今日のバリで見られる、とりわけ観光客向けの芸能・美術のほとんどは、1920年代以降のオランダ植民地時代以降の歴史のなかでバリを訪れた欧米人との共同作業によって構築されたものである[42]。そして、これらの文化芸能は、当時の欧米人によっても、また戦後のインドネシア政府によっても、さらには大衆観光客によっても、バリの「伝統文化」として表象され、「ツーリスト・パフォーマンスが、いまやバリの伝統として認められている」[43]。今日のバリの「伝統文化」は「観光文化」にほかならないのである[44]

さらに、スハルト体制崩壊後は、分権化の流れの中で、地域自治の確立を目指す動きがインドネシア社会全体でみられるようになり、バリでは、その一環として地域文化の振興が掲げられ、『バリポスト』を中心として、バリTVが創設されるなど、アジェグ・バリの運動が起きている[45]。もちろん、現在のバリでも近代的な西洋文化を巧みに取り込み続けており、街では携帯電話を手にメールを打つ姿なども多く見られるし、また、島民の移動手段は主にオートバイとなっている。
舞踊・音楽ケチャ

バリ島の祭礼や儀礼には、必ず舞踊が伴う。そうした舞踏・音楽芸能についていえば、舞踊芸術のケチャレゴンバロン・ダンス、憑依舞踊のサンヒャン・ドゥダリ、そして、これらの伴奏にも使われるガムランやジュゴグ(竹のガムラン)がよく知られている。これらは、確かに元来は共同体の宗教儀礼として行われてきたものであるが、実際に観光客に見せているのは、共同体の祭祀からは切り離され観光用に仕組まれたレパートリーである。

その成立過程を見てみると、オランダ植民統治時代に当時の中心地シガラジャでクビヤールと呼ばれる舞踊・音楽・ガムラン編成が生まれている。そして、1920年代後半に観光客を運ぶ運転手を通じて瞬く間に南部にも広がり、観光のための創作活動が盛んになり、こうして舞踊芸術が宗教的文脈から切り離されていったのである[46]

例えば、バロンとランダの戦いをモチーフとしたチャロナラン劇は、そもそもは宗教儀礼として19世紀末に成立したものであるが、トランス状態に陥った男性がクリスで胸を突くといった場面が見られる21世紀現在の演劇性に富んだ形態は、1930年代前後に「観光客に分かりやすく見せるために」成立し島内に広まったものである[47]

今日のバリの舞踊芸術は、宗教的な重要性に応じて、以下の3段階に区分されている。

タリ・ワリ (tari wali)
共同体の宗教儀式そのもの、または儀式を完結するものとして機能する舞踊。「ワリ」は「捧げ物」ないし「供物」を意味する。ルジャン、ペンデット、サンギャン、バリス・グデなどが含まれる。

タリ・ブバリ (tari bebali)
ワリに比べて儀式性、限定性は弱いが、宗教儀式の伴奏あるいは奉納芸として機能する。トペン、ガンプーなど。

タリ・バリ=バリアン (tari balih-balihan)
タリ・バリ=バリアンは「見せ物」を意味し、観賞用、娯楽用に作られたものを指す。クビヤール・スタイルのものはこれに属する。
影絵芝居影絵芝居に使う操り人形、ワヤン・クリ


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