バブル崩壊
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この項目では、1990年代の日本のバブル崩壊について説明しています。経済現象一般については「バブル経済」をご覧ください。
バブル景気 > バブル崩壊

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バブル崩壊(バブルほうかい)は、日本バブル景気後退期または後退期末期から景気回復に転じるまでの期間を指す。

内閣府景気基準日付でのバブル崩壊期間(平成不況(第1次平成不況)や複合不況とも呼ばれる)は、1991年(平成3年)3月から1993年(平成5年)10月までの景気後退期を指す。

バブル崩壊により1973年(昭和48年)12月から続いた安定成長期は終わり、失われた20年と呼ばれる低成長期に突入した。


目次

1 概要

2 要因

3 展開

4 地価下落・住宅価格下落

5 不良債権拡大

6 大手金融機関の破綻

7 メインバンク喪失

8 住専破綻

9 ゼネコン問題

10 BIS規制

11 貸し渋り・貸し剥がし

12 引当金

13 格付け引き下げ

14 ジャパン・プレミアム

15 日本国外からの撤退

16 雇用の抑制

16.1 公務員人気

16.2 一時的な雇用情勢回復


17 アウトソーシング(業務請負)・労働者派遣

18 株持ち合いの解消

19 会社資産売却

20 土地の評価方法の変化

21 変額保険

22 保険会社破綻

23 バブル崩壊後の経済政策

24 脚注

24.1 注釈

24.2 出典


25 関連項目

26 外部リンク


概要

バブル崩壊という現象は単に景気循環における景気後退という面だけでなく、急激な信用収縮、土地や株の高値を維持してきた投機意欲の急激な減退、そして、政策の錯誤が絡んでいる。 1980年代後半には、テレビ等のマスメディアの必要以上の毎日繰り返された不動産価値の宣伝により[1]、地価は異常な伸びを見せる。 バブル経済時代に土地を担保に行われた融資は、地価の下落によって、担保価値が融資額を下回る担保割れの状態に陥った。また、各事業会社の収益は、未曾有の不景気で大きく低下した。こうして、銀行が大量に抱え込むことになった不良債権は、銀行経営を悪化させ、大きなツケとして1990年代に残された。

また、4大証券会社(野村證券山一証券日興証券大和証券)は、株取引で損失を被った一部の顧客に対して「損失補填」を行なったため、証券取引等監視委員会設立のきっかけとなった。

公示価格では、北海道、東北、四国、九州など1993年頃まで地価が高騰していた地方都市もある。1956年 - 2008年の日本の実質GDP成長率の推移
要因

1990年3月大蔵省銀行局長土田正顕から通達された「土地関連融資の抑制について」(総量規制)に加えて、日本銀行総裁三重野康による金融引き締めは急激なものとなり、信用収縮が一気に進んだ。信用崩壊のさなかにおいても金融引き締めは続けられ、日本の経済を極度に悪化させた。

前年の1989年に導入された消費税も、経済実態に鑑みると導入が遅過ぎたこともあり、結果的にこの金融引き締め策は失敗に終わった。バブル経済を抑制する目的で実施した日本国政府や日本銀行による金融引き締め策が、結果的に失敗に終わったことで、逆に景気に悪影響を及ぼした遠因となった。

西村吉正は「資産価格の高騰で国民の間に格差ができた。だからバブル潰し・正常化が最大の課題だというのが当時の多くの人たちの認識だった」と述べている[2]

1989年5月から1年3カ月の間に5回の利上げが実施され、2.5%だった公定歩合は6%台まで引き上げられた[3]マネーサプライの増加率は、1990年には11.7%、1991年には3.6%、1992年には0.6%となっている[4]

ただし、マネーサプライ増加率の減少はマイナスになるほどのものではなかった。

政府は、日銀の公定歩合の急激な引き上げに続き、不動産の総量規制、地価税の創設、固定資産税の課税強化、土地取引きの届け出制、特別土地保有税の見直し、譲渡所得の課税強化、土地取得金利分の損益通算繰り入れを認めないなどの対策を打ち出していった[5]

さらに、バブル崩壊後の政治状況は、1992年の東京佐川急便事件に端を発した金丸信の議員辞職、経世会分裂、小沢一郎新生党旗揚げなどの政界再編、細川政権誕生による55年体制の崩壊、政治改革、細川首相の電撃辞任、羽田孜の短期政権、さらに、自社さ連立政権による村山富市への政権交代など、大混乱の状態であり、政治はバブル崩壊後の経済状況に十分な対応ができなかった。「三重野康#バブル経済とその崩壊への対処」も参照
展開

日経平均株価については、1989年の大納会(12月29日)に終値の最高値38,915円87銭を付けたのをピークに暴落に転じ、湾岸危機と原油高や公定歩合の急激な引き上げが起こった後の1990年10月1日には一時20,000円割れと、わずか9か月あまりの間に半値近い水準にまで暴落した。1993年末には、日本の株式価値総額は1989年末の株価の59%にまで減少した[6]

景気については、景気動向指数(CI)をみると、1990年10月をピークに低下傾向となり、1993年12月まで低下した。地価は、1991年秋頃(東京、大阪の大都市圏では1990年秋頃から、地方圏では1992年、公示価格ではさらに1年遅れの1993年頃に[7]、路線価も1992年初頭をピークに下落していった。

1992年春、エコノミストの高尾義一は「日経公社債情報」で「このままでは戦後最大の不況となる」と悲観的な経済見通しを公表、この見通しがきっかけで株価が急落した(高尾ショック)[8]。1992年8月、東証に上場されていた株式の時価総額は1989年末の611兆円から269兆円と半分以下となっていた[9]

全国の地価は1992年に入ってから下落し始め、1993年には全国商業地平均で前年比10%以上の値下がりを記録した[10]

1999年以降(1990年代後半から2000年代前半、2000年のITバブル崩壊も含む)の景気が急速に悪化し、企業の倒産や人員削減による失業、新規採用の抑制による苛酷な就職難が発生し、本格的に実害をこうむった。1999年以降(1997年の消費税5%増税とアジア通貨危機の影響による更なる不況の深刻化がきっかけ)は社会全体の雇用者賃金の減少や、それ以前よりもさらに非正規雇用社員が増加していった。それまでの好景気は株や土地への異常な投機熱によるもので、実体を伴わないもの、すなわちバブルであったことが明らかになり、振り返って「バブル景気」と呼ばれるようになった。
地価下落・住宅価格下落

1980年代末期の日本での不動産バブルは、価格上昇の原資は主に国内のマネーだけであった[11]


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