ドイツ社会民主党
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ドイツ政党ドイツ社会民主党
Sozialdemokratische Partei Deutschlands

党首(Vorsitzender)アンドレア・ナーレス
成立年月日1863年5月23日[1]
(全ドイツ労働者協会創設)
前身政党ドイツ社会主義労働者党
本部所在地ベルリン10963・ヴィルヘルム通り(ドイツ語版)140・ヴィリー・ブラント・ハウス(ドイツ語版)
ドイツ連邦議会議席数153 / 709   (22%)(2018年5月29日現在)
連邦参議院議席数20 / 69   (29%)(2018年5月29日現在)
党員・党友数45万7700人[2](2018年3月31日現在)
政治的思想・立場中道左派[3]
社会民主主義
民主社会主義
親欧州主義(英語版)
マルクス主義(1959年に放棄)
機関紙フォアヴェルツ (前進)(ドイツ語版)
公式サイト ⇒SPD
公式カラー
国際組織第二インターナショナル労働社会主義インターナショナル社会主義インターナショナル
欧州社会党
社会民主進歩同盟
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ドイツ社会民主党(ドイツしゃかいみんしゅとう、ドイツ語:Sozialdemokratische Partei Deutschlands、略称 SPD(エス・ペー・デー))は、ドイツ中道左派社会民主主義政党社会主義インターナショナル加盟。
目次

1 概要

2 党史

2.1 帝政時代

2.1.1 創設と党勢拡大

2.1.2 修正主義派と中央派と急進左派

2.1.3 植民地に対する見解

2.1.4 政府への接近

2.1.5 第一次世界大戦


2.2 ドイツ革命

2.3 革命後、ヴァイマル共和政確立まで

2.3.1 人民代表評議会政府

2.3.2 国民議会召集


2.4 ヴァイマル共和政時代

2.4.1 社民党政権(1919年-1920年)

2.4.2 中央党を中心とした政権(1920年-1927年)

2.4.3 ミュラー内閣(1928年-1930年)

2.4.4 大統領内閣(1930年-1933年)


2.5 ナチ党政権下

2.6 第二次世界大戦後

2.6.1 再建

2.6.1.1 ソ連占領地域・東ドイツ

2.6.1.2 西側占領地域・西ドイツ


2.6.2 野党として

2.6.3 階級政党から国民政党へ

2.6.4 戦後初めての政権

2.6.5 コール政権下の野党時代

2.6.6 東ドイツでの社民党再建

2.6.7 シュレーダー政権(赤緑連合)の誕生

2.6.8 2度目の大連立発足

2.6.9 2009年連邦議会選挙での敗北、下野

2.6.10 3度目の大連立へ

2.6.11 4度目の大連立へ



3 政策

3.1 公約遂行


4 選挙結果

4.1 帝国議会

4.2 国民議会と国会

4.3 連邦議会

4.4 人民議会

4.5 欧州議会


5 歴代党首

5.1 第二次世界大戦前

5.2 第二次世界大戦後


6 脚注

6.1 注釈

6.2 出典


7 参考文献

8 関連項目

9 外部リンク

概要

全ドイツ労働者協会(ADAV,「ラッサール派」)と社会民主労働者党(ドイツ語版)(SDAP,「アイゼナハ派」)が1875年に合同して創設したドイツ社会主義労働者党(SAP)を前身とし、社会主義者鎮圧法失効後の1890年に現在の党名に改名した。1891年マルクス主義に基づくエルフルト綱領(ドイツ語版)を制定し、第2インターナショナルの中心となるが、やがて社会改良主義的な日常的党活動とマルクス主義の革命主義の矛盾から修正主義派、中央派、急進左派に分裂。1914年第一次世界大戦が勃発すると戦争を支持したが、その方針を巡る対立から中央派の一部や急進左派が党を去り、彼らは独立社会民主党(USPD)や共産党(KPD)を形成することになる。

1918年11月のドイツ革命直前に政権に参加し、革命の中で社民党党首エーベルトが政権を掌握。労兵評議会の全権掌握(プロレタリア独裁)を要求する在野の急進左派勢力を武力で制圧して国民議会を招集し、当時世界で最も民主的と言われたヴァイマル憲法の可決を主導した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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