ドイツ社会民主党
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6 脚注

6.1 注釈

6.2 出典


7 参考文献

8 関連項目

9 外部リンク

概要

全ドイツ労働者協会(ADAV,「ラッサール派」)と社会民主労働者党(ドイツ語版)(SDAP,「アイゼナハ派」)という2つの社会主義者政党が1875年に合同して創設したドイツ社会主義労働者党(SAP)を前身とし、社会主義者鎮圧法失効後の1890年に現在の党名に改名した。1891年マルクス主義に基づくエルフルト綱領(ドイツ語版)を制定し、第2インターナショナルの中心となるが、やがて社会改良主義的な日常的党活動とマルクス主義の革命主義の矛盾から修正主義派、中央派、急進左派に党内分裂した。1914年第一次世界大戦が勃発すると戦争を支持したが、その方針を巡る対立から中央派の一部や急進左派が党を去り、彼らは独立社会民主党(USPD)や共産党(KPD)を形成することになる。

1918年11月のドイツ革命直前に政権に参加し、革命の中で社民党党首エーベルトが政権を掌握。労兵評議会の全権掌握(プロレタリア独裁)を要求する在野の急進左派勢力を武力で制圧して国民議会を招集し、当時世界で最も民主的と言われたヴァイマル憲法の可決を主導した。ヴァイマル共和政下では中央党(Zentrum)や民主党(DDP)とともに穏健左派・リベラルの連立政権ヴァイマル連合(ドイツ語版)を形成することが多かった。1919年から1925年までエーベルトが初代大統領を務め、1919年から1920年1928年から1930年にかけては首班で内閣を組閣した(シャイデマン内閣、バウアー内閣、ミュラー内閣)。1933年国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP,ナチス)が政権に就くと活動を禁止され、解散に追い込まれた。

第二次世界大戦後に西ドイツでも東ドイツでも再建されたが、東ドイツでは1946年に共産党に強制合併されてドイツ社会主義統一党(SED)となり、以降1989年の再建まで社民党は禁止された。西ドイツでは中道右派キリスト教民主同盟(CDU)と並ぶ二大政党の一つとなり、1959年にはゴーデスベルク綱領を制定してマルクス主義の階級闘争と絶縁して階級政党から中道左派の国民政党へと路線変更した。1960年には北大西洋条約機構(NATO)による西側軍事同盟も容認の立場へ転換した。1966年にはキリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟(CDU/CSU)と大連立を組んで戦後初めて政権に参加し、ついで1969年から1982年にかけては自由民主党(FDP)と連立を組んで首班で政権を担当した(ブラント内閣、シュミット内閣)。

1989年10月には東欧革命により民主化の進む東ドイツで社会民主党(ドイツ語版)が再建され、西側社民党の支援を受けた。1990年9月にドイツ再統一を前にして東側社民党は西側社民党に合流した。

1998年から2005年まで同盟90/緑の党と連立して首班で政権を担当し(シュレーダー内閣)、ついで2005年から2009年までと2013年から現在までCDU/CSUと大連立を組んで連立与党となっている。

ラッサールが全ドイツ労働者協会を創設した1863年5月23日を党の創設日と見做しており[1]、ドイツ現存最古の政党にあたる。国際的にもイギリス労働党フランス社会党などと共に欧州の社会民主主義政党の中核的存在として知られる。日本社民党とも友好関係にある。
党史
帝政時代
ラッサール派とアイゼナハ派 ドイツ社会民主党の前身である全ドイツ労働者協会、社会民主労働者党(ドイツ語版)、ドイツ社会主義労働者党に関連する人々。アウグスト・ベーベル(左上)、ヴィルヘルム・リープクネヒト(右上)、カール・マルクス(中央)、カール・ヴィルヘルム・テルケ(ドイツ語版)(左下)、フェルディナント・ラッサール(右下)

1863年5月23日プロイセン王国の社会主義者フェルディナント・ラッサールザクセン王国首都ライプツィヒにおいて全ドイツ労働者協会(ADAV)を創設した[4]。ドイツ社会民主党では、同協会の創設をもって自党の創設と見做している[1]。この協会は普通選挙を労働者階級の社会的利益を十分に代表させる手段として、その実現のため合法的手段で労働運動を組織する事を目的に掲げていた[4]。プロイセン衆議院(ドイツ語版)の第一党であるドイツ進歩党(DFP)やドイツ国民協会(ドイツ語版)などブルジョワ自由主義者の影響力から脱して創設されたドイツで初めての労働者階級独自の政党だったが、指導者のラッサールは普通選挙や社会政策ドイツ統一を実現するためには王党派のプロイセン首相オットー・フォン・ビスマルクと接近することも厭わなかったため、民主主義革命への志向は希薄になりがちだった[5]

そうしたラッサールの親ビスマルク的労働運動を嫌っていたイギリス亡命中の社会主義者カール・マルクスの支持者ヴィルヘルム・リープクネヒトアウグスト・ベーベルは、1866年ザクセン人民党を創設し、ついで1869年8月のアイゼナハ大会でマルクス主義的なアイゼナハ綱領(ドイツ語版)のもとに社会民主労働者党(ドイツ語版)(SDAP)を創設し、ビスマルクによる小ドイツ主義ドイツ統一事業、すなわちオーストリアをドイツから排除してプロイセンの権威主義体制を全ドイツに拡大させる形でのドイツ統一に反対した。


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