トーテムポール
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アラスカ州ケチカン市に建つトリンギット族のトーテムポール

トーテムポール(英語: totem pole)は、北アメリカ大陸の太平洋に面した北西沿岸部に住む先住民の多くが、彼らの家の中、家の前、あるいは墓地などに立ててきた、柱状の木の彫刻で、人々の出自家系に関わる紋章や、彼らが伝えてきて、かつ「所有する」伝説物語の登場者などを彫刻したもの。

彼らの彫刻柱の呼称には「トーテム」という表現があるものの、この地域の彫像は崇拝の対象としての偶像ではなく、宗教的な意味合いはまったくないので、トーテムポールという表現は正確なものとはいえない。しかし、長い間使用されてきて、通称として確立された表現となっている。先住民たちは英語表現としては単に「ポール」(pole、「柱」) と呼ぶことが多い[1]


目次

1 トーテムポールを彫刻してきた人々

2 歴史

3 目的

4 彫像

5 部族による外観と様式

6 彫刻柱の素材

7 トーテムポールを見ることができる場所

8 脚注

9 参考文献(日本語)

10 関連項目


トーテムポールを彫刻してきた人々

北西沿岸インディアン(Northwest Coast Indians)とかつて呼ばれた先住民の居住領域は、北はアメリカ合衆国アラスカ州の太平洋岸から、南はカリフォルニア州の最北端にまで達する、太平洋岸である。一般的に、沿岸から約100キロから150キロ前後内陸に入った段階で、彼らの領域は終わっている。

トーテムポールを彫ってきた部族は、この北西沿岸の先住民のうち、おおよそ北から順にトリンギット族(クリンキット族)、ハイダ族、チムシャン族 (ツィムシャン族)、ベラクーラ族(ヌハルク族)、クワキウトル族(クヮクヮキワク族、クヮクヮカワク族、クワギル族などとも呼ばれる)、ヌーチャーヌルス族、沿岸セイリッシュ族(サリシ族とも発音される)である。ただしチムシャン族はニスガ族ギックサン族、それに沿岸チムシャン族の三つの支族によって構成されている。

なお、北西沿岸の先住民たちを含め、アメリカ合衆国においてもカナダにおいても、先住民たちは、今日、「インディアン」という表現を避け、"First Nations People" 、"Native People"、"Indigenous People" を好んで使っている。この背景には、先住民たちが自分たちを呼称する場合には、個々の部族名を使うのが一般的であり、また、移民として数多くのインド大陸からの到着者が多くなり、誤解を生じやすくなったという事情がある。ただし、法律的には両国において依然として「インディアン」という表現が生きてはいるが、公の場において使われる言葉ではなくなっている。これは日本において法律的に「土人」という言葉が最近まで生きていたとはいえ、実際には長く使われてこなかったのと同様といえる。
歴史

トーテムポールの起源は明確ではないが、18世紀後半になり、白人が北アメリカ北西沿岸部をひんぱんに航海するようになったときには、すでにその存在が確認され、記録、報告されている。しかしながら、それ以前のトーテムポールの存在については確認することができない。その理由としては、太平洋岸北西部は雨の多い温帯雨林が広がるため木材が腐食しやすく、考古学的な調査によっても18世紀より古いものが発見されないためであり、また、北西沿岸の先住民は、トーテムポールは建立することに意義があり、保存や維持修復することには意義はないと考え、ゆえに、自然に朽ちるにまかせ、その地に返すものとしているからである。白人が一帯に進出し、とくに19世紀後半から20世紀にかけて、博物館などで保存するために収集が始められ、今日、それらを世界各地の博物館で見ることができる。

トーテムポールの彫刻と建立は19世紀の中ごろにピークを迎え、1860年代から白人が持ち込んだ天然痘を主とする伝染病によって先住民の人口が激減したことと、1885年にカナダ連邦政府によるポトラッチ禁止命令が出されたこと、さらに偶像を嫌ったキリスト教の宣教者の指導によって、急速に衰退していった。しかし、20世紀の前半にまず先住民の伝統文化に対する認識が高まり始め、古いトーテムポールの保存が始まり、第二次世界大戦後になり、積極的な保存・修復が各地で行われるようになった。そして、1950年代末から1960年代の初めには博物館における修復や、古い秀逸なトーテムポールの複製の制作が行われるようになった。そして1970年代以降には再び数多くのトーテムポールが彫刻され、建立されたが、これらは主に博物館や公共の場における展示品としてのものが多かった。しかし、1970年代後半以降になると、次第に伝統的な北西沿岸世界の先住民たちの個人的な象徴としてのトーテムポールが建立されるようになってきている。
目的

トーテムポールはハウスポスト(家柱)、すなわち家の中の屋根を支える柱として存在していたのが、18世紀の後半に白人の航海者によって確認されている。こうした彫刻柱には、その持ち主、あるいはその彫刻柱が立てられた対象者に関わる個人的な紋章や、彼らの一族に関わる物語の登場者が刻まれている。
独立柱と付属柱
独立柱は家屋から独立して建てられるトーテムポールで、付属柱は家屋の内部、あるいは外部に、建物の一部として立てられるトーテムポールである。さらに、トーテムポール全体は建立された目的によって次のように分類することができる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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