デヴィ・スカルノ
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デヴィ・スカルノ
生誕1940年2月6日(70歳)
日本 東京府東京市麻布区麻布霞町
職業元インドネシア大統領夫人
アースエイドソサエティ総裁
配偶スカルノ大統領
 ・編・歴 

デヴィ・スカルノ(Dewi Sukarno、1940年2月6日 - )は、日本生まれでインドネシアの国際文化人(自称)、タレントコメンテーターインドネシアスカルノ元大統領夫人。NPO法人アースエイドソサエティ総裁。本名はラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)、旧名(日本名)は根本 七保子(ねもと なおこ)。
目次

1 人物

2 経歴

2.1 ホステス

2.2 大統領夫人

2.3 スカルノ失脚

2.4 スカルノ死後


3 思想

4 現在

4.1 各方面で活躍

4.2 芸風

4.3 パーティ

4.4 北朝鮮との関係

4.5 誤認写真の流用


5 交友関係

6 関連項目

7 参考文献・出典

8 外部リンク

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人物

東京市麻布区麻布霞町(現・東京都港区麻布)出身。父や兄は霞町界隈の大工であった。インドネシアの故スカルノ大統領元夫人(4人の夫人のうちの第3夫人にあたる)。現在の本名であるラトナ・サリ・デヴィ・スカルノは、同大統領から命名された名前で、名前の由来はサンスクリット語で「宝石の聖なる女神」という意味である。

スカルノ大統領失脚後、フランスへ亡命。社交界で活躍。その後、数年はインドネシアに戻り石油事業家等を経て、ニューヨークへ移住する。その後は日本に帰国。現在のタレント活動等に至る。「デヴィ夫人」の愛称バラエティ番組等に出演。その歯に衣着せぬ発言が話題になった。現在もセレブ・ご意見番として芸能界で活躍中。

芸能活動以外には、主催チャリティパーティの慈善活動や国際問題、政治的意見にも精通する。大統領夫人時代に親交があった北朝鮮拉致問題餓死問題にも意欲的に活動。日本の拉致被害者援助や120トンの米支援を行っている。株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役。

スカルノ大統領との間に生まれた一人娘カリナは2005年11月26日にオランダで米系大手金融機関シティバンクの欧州・中近東・アフリカ地区CEOのフレデリック・F・シーガスと挙式している。[1]

現在は北品川在住。諸外国での生活により、インドネシア語(マレー語)・仏語・英語に堪能である。清水ミチコ物まねされている。
経歴
ホステス

15才だった1955年(昭和30年)、新東宝制作の映画『女教師の記録 青ヶ島の子供たち』(主演:左幸子香川京子池内淳子)にエキストラ出演したことがある。映像は現存し(モノクロ映画)、近年でもテレビ番組で出演シーンが紹介されたことがある。引きで撮られているが、本屋で立ち読みをしている制服姿の女子学生役で、セリフはないが姿が確認できる。貧しい家計を楽にするため東京都立三田高等学校定時制部を中退後、赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」のホステスとなる。

1959年に、インドネシアへの日本政府の開発援助に伴い「東日貿易の秘書」として、スカルノ大統領のもとに送り込まれた。総合商社丸紅からスカルノへの「夜のプレゼント」というような意味があったといわれている。この一件に当時「昭和フィクサー」と呼ばれた児玉誉士夫が関わっていたとされ、児玉は巨額の謝礼を得たという。
大統領夫人スカルノ


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Momi