チロル
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この項目では、ヨーロッパ中部にある地域について説明しています。その他の用法については「チロル (曖昧さ回避)」をご覧ください。

チロル地方Tirol
ユーロリージョン「チロル=南チロル=トレンティーノ」の位置
最大都市 インスブルック
構成地域 チロル州
ボルツァーノ自治県
トレント自治県
ユーロリージョン「チロル=南チロル=トレンティーノ」を構成する3地域    チロル州(北チロル・東チロル)
オーストリア)    ボルツァーノ自治県(南チロル)
イタリア)    トレント自治県(トレンティーノ)
イタリア

チロル、ティロール(: Tirol、: Tyrol)は、ヨーロッパ中部にある、オーストリアイタリアにまたがるアルプス山脈東部の地域である。大部分の住民はドイツ系バイエルン人アレマン人の一部)で、イタリア側においても初等教育よりドイツ語が使用されている。

中世以来ハプスブルク家の所領であった「チロル伯領」にあたる地域で、第一次世界大戦後にオーストリアとイタリアに分割され、今日に至る。オーストリア側の北チロル (Nordtirol) と東チロル (Osttirol) はチロル州に属している。イタリア側の地域のうち、南チロル (Sudtirol) はボルツァーノ自治県として、また「ヴェルシュチロル」(Welschtirol) [1]とも呼ばれたトレンティーノはトレント自治県として、それぞれ独立の県となっている。この2県を合わせてトレンティーノ=アルト・アディジェ特別自治州を構成する。

チロル州とボルツァーノ自治県・トレント自治県はユーロリージョン「チロル=南チロル=トレンティーノ」 (Tyrol?South Tyrol?Trentino Euroregion) を構成しており、これがかつての「チロル伯領」とほぼ一致[2]する。
目次

1 名称

2 歴史

2.1 古代

2.2 中世

2.2.1 司教領の成立とチロル伯の台頭

2.2.2 ハプスブルク家による統治


2.3 近代・現代

2.3.1 ナポレオンとチロル

2.3.2 オーストリア帝国の統治

2.3.3 第一次世界大戦以後

2.3.4 第二次世界大戦以後



3 経済・産業

4 参照

5 脚注

6 関連項目

7 外部リンク

名称 チロルの地図(1888年)

「チロル」という広域地名は、南チロル(ボルツァーノ県)のメラン(イタリア語メラーノ)近郊にあるチロル(イタリア語ティローロ[3]に起源を持つ。ここにあるチロル城の城主であったチロル伯が勢力を拡大した結果、その領地全体が「チロル」と呼ばれるようになった。

現地のバイエルン語ではTiaroi(ティアロル)、ドイツ語ではTirol [tiro?l](ティロール)、イタリア語ではTirolo(ティローロ)と呼ばれる。また英語ではTyrol [tiroul](ティロウル)となる。

日本語ではドイツ語名をローマ字読みした「チロル」が広く使われているが、ti と chi の発音を区別する意図から最近は「ティロル」という表記もみられる。
歴史

チロルは地政学上、南ドイツの都市郡とイタリアを結ぶアルプス越えの要衝である。
古代

現在のチロルの地域に人類が居住し始めたのは中石器時代にまでさかのぼるが、ローマ帝国領となる前にここに住んでいたラエティア人について詳しいことは知られていない。紀元前15年ティベリウス大ドルススはこの地を征服してローマ帝国の版図に加え、ラエティア属州とノリクム属州を設置した。
中世

西ローマ帝国の衰退後は東ゴート王国の、次いでバイエルン部族大公の支配下に入った。
司教領の成立とチロル伯の台頭 「チロル」という地名の由来となったチロル城。南チロル・メラン(現在はイタリア領のボルツァーノ自治県メラーノ)近郊のチロル(ティローロ)にある

1027年神聖ローマ皇帝コンラート2世は、ブリクセン司教とトリエント司教を神聖ローマ帝国の帝国諸侯とした。これにより、両司教領はバイエルンから切り離された。神聖ローマ皇帝は、伝統的にローマでローマ教皇から戴冠されるものと考えられており、アルプスの安全な通行が求められたのである。実際、両司教はさまざまな圧力にもかかわらず、帝国に対して忠実であった。その後数世紀をかけて両司教の世俗の権力が低下すると、代わって新たな勢力がこの地方に台頭することになった。

メラン(メラーノ)に近いティロール(ティローロ)のティロール城を拠点としたティロール伯(以下、「チロル伯」と記す)は、トリエントとブリクセンの両司教に臣従し、12世紀以後は代官に任じられて両司教領の運営にあたった。力を蓄えたチロル伯はやがて両司教の領主権を侵奪した。13世紀半ばにチロル伯位はアルベルト3世から娘婿のゲルツ伯マインハルト1世 (it:Mainardo I di Tirolo-Gorizia) へと継承され、マインハルト1世はティロール=ゲルツ伯となった(この家系はゲルツ伯家、マインハルト家と呼ばれる)。マインハルト1世の子のマインハルト2世は、さらにケルンテン公にも就いた。

広域地名としての「チロル」という名称は、13世紀頃に成立した。それまでこの地方は Land im Gebirge あるい Land der Gebirge(「山岳の地」)と総称されていたが、1248年の文献で dominium comitis Tyrolis、すなわち「ティロール伯の領域」の名で呼ばれている。ダンテの『神曲』(14世紀初頭成立)にも、ティロル地方は "Tiralli" として言及されており("Suso in Italia bella giace un laco, a pie de l'Alpe che serra Lamagna sovra Tiralli, c'ha nome Benaco"(地獄篇 XX, 61-63))、ドイツとイタリアの間にある広大な領域としてみなされている。
ハプスブルク家による統治 チロル女伯マルガレーテ・マウルタッシュ。“マウルタッシュ”は醜女を意味するあだ名である

1335年、ゲルツ伯家のハインリヒ6世が没し、唯一の女子マルガレーテ・マウルタッシュが伯位を継承したが(チロル女伯)、領土の相続をめぐってルクセンブルク家ヴィッテルスバッハ家ハプスブルク家が介入し、混迷に陥った。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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