セントクリストファー・ネイビス
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セントクリストファー・ネイビス連邦
セントキッツ・ネイビス連邦
Federation of Saint Christopher and Nevis
Federation of Saint Kitts and Nevis


国旗)(国章

国の標語:Country Above Self
(英語: 私利を超越する国)国歌O Land of Beauty!

公用語英語
首都バセテール
最大の都市バセテール
政府

女王エリザベス2世
総督タプリー・シートン(英語版)
首相マーク・ブラントリー(英語版)


面積

総計261km2206位
水面積率極僅か


人口

総計(2014年54,698人(188位
人口密度209.57人/km2

GDP(自国通貨表示)

合計(xxxx年)xxx,xxx東カリブ・ドル(EC$)

GDP (MER)

合計(2005年)4億2100万ドル(???位

GDP (PPP)

合計(2002年)3億3,900万ドル(185位
1人あたり8,800ドル

独立
 - 日付イギリスより
1983年9月19日
通貨東カリブ・ドル(EC$) (XEC)
時間帯UTC -4(DST:なし)
ISO 3166-1KN / KNA
ccTLD.kn
国際電話番号1-869

セントクリストファー・ネイビス連邦(セントクリストファー・ネイビスれんぽう)、またはセントキッツ・ネイビス連邦は、西インド諸島小アンティル諸島内のリーワード諸島に位置するセントクリストファー島(セントキッツ島)とネイビス島の2つの島からなる英連邦王国の一国たる立憲君主制国家。島国であり、海を隔てて北西にイギリス領アンギラ、東にアンティグア・バーブーダ、南西にイギリス領モントセラトが存在する。首都はバセテール

イギリス連邦加盟国。ミニ国家の一つである。面積と人口は共に南北中アメリカにおいて一番小さく、独立年も一番新しい。
目次

1 国名

2 歴史

3 政治

4 軍事

5 地方行政区分

6 地理

6.1 交通


7 経済

8 国民

9 文化

9.1 世界遺産


10 著名な出身者

11 脚注

12 参考文献

13 関連項目

14 外部リンク

国名

正式名称は Federation of Saint Christopher and Nevis(フェデレイション・オブ・セイント・クリストファー・アンド・ニィヴィス)。しかし現在では Federation of Saint Kitts and Nevis(フェデレイション・オブ・セイント・キッツ・アンド・ニィヴィス)と呼ぶことの方が多くなっている。セントクリストファー・ネイビスの外務省は、どちらも正式名称であるとの立場をとっている。通称は Saint Kitts and Nevisが一般的で、St. Kitts & Nevisと表記されることも多い。

日本語では、セントクリストファー・ネイビスが最も一般的な表記である。日本の外務省表記は、セントクリストファー・ネーヴィスだが、外務省が編集協力する『世界の国一覧表 2007年版』(世界の動き社)ではセントキッツ・ネービスと表記されている。文部科学省の教科書検定では、首都名は世界の動き社の『世界の国一覧表』に倣うことと指導されているため、検定教科書(社会科・地理歴史科)や地図帳ではセントキッツ・ネービスと表記されている(ただし『世界の国一覧表』が廃刊になったため今後の方針は不明、世界史の教科書ではそれほど検定基準が厳格に運用されてはいない)。ネイビスは、ネビス、ネービス、ネイヴィス、ネーヴィスとも表記されている。

ふたつある島の大きい方がセントクリストファー島。クリストファー・コロンブスが自身の名の由来でもある聖クリストフォルスの名をこの島に付けた。その英語形がセイントクリストファーだが、クリストファーという人名の短縮形がキッツなので、セイントキッツとも呼ばれるようになった。島民からはキティシャンの愛称で親しまれている。

小さい方がネイビス島。コロンブスらがこの島を発見した時、島の最高峰の頂上が白雲に覆われている様子を見て山頂に雪が積もっていると勘違いしたことから、スペイン語で雪を意味するニエベ (Nieve) と命名された。その英語形がニィヴィスである。島民からはニビジャンと呼ばれている。
歴史

1493年11月12日 クリストファー・コロンブスらによってセントクリストファー島(セントキッツ島)とネイビス島が「発見」された。

1623年 サー・トーマス・ワーナー、セントクリストファー島に到着する。

1624年 サー・トーマスがイギリスの入植者一団を連れてセントクリストファー島へ初めて永続的入植をする。

1625年 フランスのピエール・ブランもフランスから入植者を引き連れて島に入植。

1626年 イギリスとフランスの入植者との関係が悪化。先住民のカリブ族(カリナゴ族)は、セントクリストファー島のブラディー・ポイントでイギリスとフランスの入植者によって大虐殺され、生き残った者は島から追われる。

1627年 イギリス人入植者とフランス入植者との条約によりセントクリストファー島の中部がイギリス、北部と南部がフランスと分割される。


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