シアトル・マリナーズ
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シアトル・マリナーズ
Seattle Mariners
1977年創設



所属リーグ


アメリカンリーグ (1977年 - )

西地区 (1977年 - )


チーム名


シアトル・マリナーズ (1977年 - )

本拠地
1977-現在

ワシントン州シアトル (1977年 - )


セーフコ・フィールド (1999年 - )

キング・ドーム(1977年 - 1999年)

永久欠番


11

24

42

獲得タイトル(獲得年)
ワールドシリーズ優勝(0回)

リーグ優勝 (0回)

地区優勝 (3回)


1995

1997

2001

ワイルドカード (1回)


2000

球団組織
オーナージョン・スタントン
GMジェリー・ディポート
監督スコット・サーバイス

シアトル・マリナーズ(英語: Seattle Mariners、略称:SEA)は、メジャーリーグベースボール(以下、MLB)アメリカンリーグ西地区所属のプロ野球チーム。本拠地はワシントン州シアトルにあるセーフコ・フィールド。MLB球団としては最も北(北緯47度35分)に本拠地を持つ。チーム名(船員水兵の意)の由来はシアトルが港町だったことからといわれている。

アメリカンリーグ所属の15球団で唯一、リーグ優勝およびワールドシリーズ進出を果たしたことがなく[1]現在ではMLB30球団で最もポストシーズン進出から遠ざかっているチームである[2]


目次

1 球団の歴史

1.1 球団創設以前

1.2 球団創設から1990年代まで

1.3 ルー・ピネラ監督就任から退任まで

1.4 ルー・ピネラ監督退任後


2 運営

3 習慣

3.1 ラリー・フライ


4 選手名鑑

4.1 現役選手・監督・コーチ

4.2 所属経験のある殿堂表彰者

4.3 永久欠番


5 マリナーズ野球殿堂

5.1 殿堂入り表彰者


6 傘下マイナーチーム

7 脚注

8 関連項目

9 外部リンク


球団の歴史詳細についてはシアトル・マリナーズの歴史、シーズン成績についてはシアトル・マリナーズの年度別成績一覧を参照
球団創設以前

1969年に実施されたアメリカンリーグの球団拡張に際して、シアトルにパイロッツ(Pilots)というMLB球団が創設された。しかし、赤字続きだったパイロッツは経営難に陥り、わずか1年でミルウォーキーへと移転。移転した球団はミルウォーキー・ブルワーズとなった。シアトルは、この移転が不当であるとしてMLB機構を告訴。この訴訟は1976年まで続けられたが、MLB機構が1977年のアメリカンリーグ球団拡張でシアトルに球団を設置するという条件を提示、告訴は取り下げられた。
球団創設から1990年代まで

1977年に球団創設。名称を一般公募した結果、マリナーズ(Mariners)が選ばれた。監督にはダレル・ジョンソンが就任。同年4月6日、球団史上初の試合となる開幕戦が、完成直後のキングドームで行われた。対戦相手はカリフォルニア・エンゼルス。開幕のマウンドに上がったのは、かつてパイロッツで開幕投手を務めたディエゴ・セギーだった。この試合には57,762人もの大観衆が詰め掛けたが、7対0のスコアで大敗を喫した[3]。その後もチームは低調なまま、64勝98敗という成績でシーズン終了。そして、ここから14シーズン連続負け越しという長きに渡る低迷期が続く。 1989年ジム・ラフィーバーが監督に就任。'80年代の低迷期を支えたマーク・ラングストンを放出しての交換トレードで獲得したランディ・ジョンソンの成長や、1987年ドラフト会議 (MLB)で全米1位で指名したケン・グリフィー・ジュニアの成長もあって次第にチーム力は向上し、1991年には球団創設15シーズン目にして初の年間勝ち越し(83勝79敗)を達成。ラフィーバー監督はこのシーズン限りで退任する。
ルー・ピネラ監督就任から退任まで

1993年ルー・ピネラが監督に就任すると、1995年に初の地区優勝。また1997年にも2度目の地区優勝を果たす。しかし、いずれの年もプレーオフで敗退を喫し、リーグ優勝を逃した。この間、ケン・グリフィー・ジュニア、エドガー・マルティネス、ランディ・ジョンソン、アレックス・ロドリゲスらが主力として活躍。その後、FAやトレードなどで地区優勝時に活躍した主力選手の大半がチームを去ったが、2000年にはワイルドカードでプレーオフに進出、2001年には年間116勝のMLBタイ記録を樹立して地区優勝を果たしている。しかしながら、2000年、2001年はいずれもリーグチャンピオンシップシリーズニューヨーク・ヤンキースに敗れる。計4度に渡ってリーグ優勝、ワールドシリーズ進出を逃している。また、この間にジョン・オルルド佐々木主浩イチローブレット・ブーンらが加入し、主力として活躍。その後、2002年のシーズン終了をもって、ルー・ピネラが監督を退任した。
ルー・ピネラ監督退任後

ルー・ピネラが監督を退任した後、チーム成績は低迷を続け、2003年から2012年までの10年間に地区最下位が7度、2008年2011年にはシーズン100敗を喫した。この間、GM以下、監督、コーチが数多く更迭され、主力選手もトレードやFA、引退、あるいは不振による解雇などでチームを去った。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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