ケニア
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ケニア共和国
Jamhuri ya Kenya(スワヒリ語)
Republic of Kenya (英語)


国旗)(国章
国の標語:Harambee
スワヒリ語: "共に働こう")国歌おお、万物の神よ
Ee Mungu Nguvu Yetu
Oh God of All Creation

公用語スワヒリ語 英語
首都ナイロビ
最大の都市ナイロビ
政府
大統領ウフル・ケニヤッタ
首相なし 2013年廃止

面積
総計580,367km249位
水面積率1.9%

人口
総計(2014年45,010,056人(31位
人口密度77.6人/km2

GDP(自国通貨表示)
合計(2013年)4兆7,500億[1]ケニア・シリング

GDP (MER)
合計(2013年)532億[1]ドル(???位

GDP (PPP)
合計(2013年)799億ドル(82位
1人あたり1,800ドル

独立
 - 日付イギリスから
1963年12月12日
通貨ケニア・シリング (KES)
時間帯UTC (+3)(DST:なし)
ISO 3166-1KE / KEN
ccTLD.ke
国際電話番号254

ケニア共和国(ケニアきょうわこく)、通称ケニアは、東アフリカに位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。北にエチオピア、北西に南スーダン、西にウガンダ、南にタンザニア、東にソマリア国境を接し、南東はインド洋に面する。首都はナイロビ

首都ナイロビには国際連合環境計画国際連合人間居住計画の本部がある。旧イギリス植民地。
目次

1 国名

2 歴史

2.1 クシ語系の民族移動

2.2 バンツー系の民族移動

2.3 アラブの進出とスワヒリ文明の勃興

2.4 オマーン帝国

2.5 イギリスの進出

2.6 政治運動の始まり

2.7 マウマウ団の乱

2.8 独立・ケニヤッタ政権

2.9 モイ政権

2.10 キバキ政権

2.11 ケニア危機

2.12 東アフリカ大旱魃

2.13 ウフル・ケニヤッタ政権


3 政治

4 国際関係

4.1 日本との関係


5 地方行政区分

5.1 2013年以前の行政区分

5.2 主要都市


6 地理

6.1 国立公園・国立保護区


7 経済

7.1 鉱業

7.2 貿易

7.2.1 日本との貿易



8 国民

8.1 人口

8.2 民族

8.3 言語

8.3.1 公用語・国語

8.3.2 民族語

8.3.3 シェン


8.4 宗教

8.5 教育


9 文化

9.1 文学

9.2 世界遺産

9.3 祝祭日

9.4 スポーツ


10 ゆかりの人物

10.1 出身者

10.2 バラク・オバマ


11 注釈

12 出典

13 参考文献

14 関連項目

15 外部リンク

国名

正式名称はスワヒリ語で Jamhuri ya Kenya(発音 [??m?hu?rija?k???] ジャムフリ・ヤ・ケニャ)、英語では Republic of Kenya(発音: [r??p?b・l?k ?v ?ken.j?] リパブリック・オヴ・ケンニャ)。

日本語での表記はケニア共和国。通称「ケニア」。「ケニヤ」とも表記する。

国名はケニア山に由来する。
歴史詳細は「ケニアの歴史(英語版)」を参照
クシ語系の民族移動

紀元前2000年ごろに北アフリカからケニア地域へクシ語系の民族移動が行われた。
バンツー系の民族移動

紀元前1000年までに、バンツー語系、ナイル語系の民族がケニアの地域に移動し、今日のケニア国民を形成する民族として定住した(en:Bantu expansion)。
アラブの進出とスワヒリ文明の勃興

7、8世紀頃には、アラブ人が海岸地域に定住しており、モンバサマリンディなど交易の拠点を建設した。10世紀までにケニア沿岸部には、バンツーとアラブの言語が混ざったスワヒリ語のスワヒリ文明が栄え始めた。1418年頃に鄭和の艦隊の一部がマリンディにまで到達した記録が残っている。15世紀末、ヴァスコ・ダ・ガマの来訪をきっかけにポルトガル人が進出するも、やがて撤退しアラブ人が再進出。18世紀にはアラブ人の影響力が内陸部にまで及び奴隷貿易象牙貿易などが活発になる。
オマーン帝国


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