グレゴリオ暦
[Wikipedia|▼Menu]

グレゴリオ暦(グレゴリオれき、: Calendarium Gregorianum、: Calendario gregoriano、: Gregorian calendar)は、ローマ教皇グレゴリウス13世ユリウス暦の改良を命じ、1582年10月15日(グレゴリオ暦)から行用されている暦法である。現行太陽暦として世界各国で用いられている。グレゴリオ暦を導入した地域では、ユリウス暦に対比して新暦ラテン語: Ornatus)と呼ばれる場合もある[1]紀年法はキリスト紀元(西暦)を用いる。

グレゴリオ暦の本質は、平年では1年を365とするが、400年間に(100回ではなく)97回の閏年を置いてその年を366日とすることにより、400年間における1年の平均日数を、365日 + (97/400)日 = 7002365242500000000?365.2425日、とすることである。この平均日数7002365242500000000?365.2425日は、実際に観測で求められる平均太陽年(回帰年)の7002365242189572000?365.242189572日(2013年年央値)に比べて26.821秒だけ長いだけであり、ユリウス暦に比べると格段に精度が向上した。

日本では1872年(ほぼ明治5年に当たる。)に採用され、明治5年12月2日(旧暦)の翌日を明治6年1月1日(新暦)(グレゴリオ暦の1873年1月1日)とした。
目次

1 制定の概要

2 ユリウス暦によるずれ

3 改暦委員会と改暦案の提案

3.1 ずれ修正の二つの提案

3.2 どの月から10日間を省くか


4 暦法

5 精度

6 各国・各地域における導入

6.1 カトリック

6.2 プロテスタント

6.3 正教会

6.4 日本におけるグレゴリオ暦導入

6.4.1 グレゴリオ暦導入の経緯


6.5 各国のグレゴリオ暦導入年月日


7 問題点と改暦運動

8 脚注

9 関連項目

10 外部リンク

制定の概要

キリスト教では、重要な祭日である復活祭の日付は毎年の春分日を起点として定義されるが、325年に開催された第1ニカイア公会議にて春分日はユリウス暦上で毎年3月21日とすることが決められた[2]ユリウス暦は紀元前45年にユリウス・カエサルによって制定されて以降、キリスト教文化圏を中心に使用されてきた、暦年の平均日数を7002365250000000000?365.25日とする暦法である。しかし、実際の太陽年は、約7002365242190000000?365.24219日であるので、そのずれは毎年蓄積されていき、天文現象としての春分と、暦としての春分日がずれていくことになる。このことは13世紀には認識されており、たびたび改暦の提案がなされるようになった。

16世紀後半には、ユリウス暦上の春分日である3月21日に対して、実際の春分日(天文現象としての太陽の春分点通過日)は平均してユリウス暦上の3月11日となり、10日ものずれが生じていた。このため、ローマ・カトリック教会は、改暦委員会に暦法改正を委託した。この改暦は対抗宗教改革の一環としてなされたものであって、改暦に関しては賛成・反対の立場から大きな論争が巻き起こった。委員会の作業の末に完成した新しい暦は1582年2月24日に発布され、1582年10月4日木曜日)の翌日を、曜日を連続させながら、10日間を省いて、1582年10月15日金曜日)とすることを定め、その通りに実施された。

グレゴリオ暦の実施日前後の日付年月日曜日適用の暦0時(世界時)のユリウス日
1582年10月03日水曜日ユリウス暦7006229915850000000?2299158.5
1582年10月04日木曜日ユリウス暦7006229915950000000?2299159.5
1582年10月15日金曜日グレゴリオ暦7006229916050000000?2299160.5
1582年10月16日土曜日グレゴリオ暦7006229916150000000?2299161.5

ただし、上記の日付通りに改暦を実施したのは、イタリア、スペイン、ポルトガルなどごく少数の国に過ぎず[3]、その他のヨーロッパの国々での導入は遅れた。

なおグレゴリオ暦を1582年以前に遡って適用すると、200年3月1日から300年2月28日までは、ユリウス暦と同じ日付となる(ユリウス通日も参照)。
ユリウス暦によるずれ

1582年10月4日まで用いられていたユリウス暦では、平年は1年を365日とし、4年ごとに置く閏年を366日とし、これによって平均年を365.25日としていた。( 365 + 1/4 )日 = 365.25(日)……1年間の平均日数(平均年)= 365日6時間 = 正確に7007315576000000000?31557600秒

しかし、平均太陽年、つまり実際に地球が太陽の周りを1周する平均日数は、365日5時間48分45.179秒 = 7007315569251790000?31556925.179秒 = 約7002365242189572000?365.242189572日(2013年年央)[4]である。したがって、ユリウス暦の1年は、実際の1太陽年に比べて、365.25日 ? 約365.2422日 = 約6997780000000000000?0.0078日(約11分15秒)長い。黄道上で太陽が特定の点(春分点秋分点夏至点冬至点など)を通過するという天文現象の発生日時は、暦上は4年毎に約6998312000000000000?0.0312日(6997780000000000000?0.0078日 × 4)ずつ早まって行き、約128年で1日分だけ早まることになる。

ユリウス暦は、その制定当時の天文観測水準を考えればかなりの精度だったが、千数百年も暦の運用が続くと天文現象の発生日時と暦の上の日付の乖離は無視できないものとなった。16世紀末に10日ものずれが生じていたのは、このためである。7007315576000000000?31557600秒/年 ? 7007315569251790000?31556925.179秒/年 = 674.821秒/年 = 11分14.821秒/年 …… 1年ごとのずれ7004864000000000000?86400秒/日(= 1日)÷ 674.821秒/年 = 128.03年 …… 1日のずれが生じる年数

なお、上記の計算は、2013年時点での計算であり、グレゴリオ改暦が議論されていた16世紀中頃の計算とは少し差異がある。
改暦委員会と改暦案の提案

ユリウス暦による春分日のずれを、ローマ・カトリック教会としても無視できなくなり[5]第5ラテラン公会議(1512-1517)において改暦が検討された。このときフォッソンブローネ司教のミデルブルフのパウル(en:Paul of Middelburg)(1446-1534)は、コペルニクスを含めてヨーロッパ中の学者に意見を求めた。しかし、コペルニクスは「太陽年の長さの精度は不十分であり、改暦は時期尚早である」と返答した[6][7]。コペルニクスは彼の主著「天球の回転について」の序文でこのことを明記している[8]

次に、トリエント公会議1545年 - 1563年)において、実際の春分日を第1ニカイア公会議の頃の3月21日に戻すため、教皇庁に暦法改正を委託した。時の教皇グレゴリウス13世は、これを受けて1579年にシルレト枢機卿を中心とする委員会を発足させ、暦法の研究を始めさせた。この委員会のメンバーには、最初の改暦案を考案した天文学者のアロイシウス・リリウス(英語版)の弟であるアントニウス・リリウスや数学者クリストファー・クラヴィウスらが含まれていた。委員会が1577年に刊行したCompendium novae rationis restituendi kalendarium(Compendium of the New Plan for Restoring the Calendar: 暦改正の新しい原理の大要)という24ページの冊子[9][10]によると、アロイシウスは1252年に書かれたアルフォンソ天文表における365日5時間49分16秒 = 365.242 5463日を採用し[11]、改暦案を考案した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:97 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:FIRTREE