グラーク
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1923-1961年に存在したソビエト連邦内のグラグの場所。データは人権団体メモリアルより

グラグ、グラーク(ロシア語:ГУЛАГ、ラテン文字表記:GULAG、IPA:[???lak])は、ソビエト連邦内務人民委員部(NKVD)、内務省(MVD)などにあった強制労働収容所・矯正収容所の管理部門のこと。「収容所本部」(Главное управление лагерей, Glavnoe upravlenie lagerej)の略から来ている。 収容所そのものはラーゲリ(лагерь, lager?)と呼ばれるが、グラグまたはグラークで収容所を意味して用いられることもある。

ロシア連邦の首都モスクワで2001年に設立された、強制収容所についての展示施設は「グラグ歴史博物館」(Музей истории ГУЛАГа,The GULAG History State Museum)[1]と命名されている。

強制収容所は、十月革命でソビエト政府を成立させたウラジーミル・レーニンの下で政府機関によって作られた[2][3]。この用語はまた、スターリン時代の大粛清以降も含めて、ソビエト連邦内の強制労働収容所を指すのにも一般的に用いられている[4]

受刑者は、ロシア語でзаключённый (zakliuchyonnyi) と呼ばれるが、短縮されてз/к(zek,ZEK)と呼ばれた。これらZEKと呼ばれていた者の中には、第二次世界大戦独ソ戦で捕虜になったドイツ人も、ソビエト体制への敵対者として含まれた[5][6]。またソ連対日参戦によりソ連に抑留された日本人も多数が収容所で過酷な労働・生活を強いられた[7]
地方都市の土台

グラグの収容者は解放されても、その近隣都市に居住し、都市の発展に貢献する者も存在した。炭鉱を持つグラグを中心に発展したヴォルクタの例では、学者、エンジニア、建築家などのエリートが送り込まれて一部が定住した結果、住民の半数以上の先祖がグラグ出身者のモノゴロド(単一産業都市)となった[8]。キャンプには、比較的小さな犯罪の受刑者から政治犯に至るまで、幅広い囚人が収容されていた。
出典^The GULAG History State Museum(2017年12月24日閲覧)
^Lenin's Gulag Richard Pipes, academic research journals Vol. 2, pp 140-146, June 2014
^Gulag: An Introduction by Anne Applebaum
^ Remnick, David (2003年4月14日). ⇒“Seasons in Hell”. The New Yorker. ⇒http://www.newyorker.com/magazine/2003/04/14/seasons-in-hell-4 2017年3月27日閲覧。 
^ドイツ社会文化論としてのビデオ・アーカイブズ(2)(新潟大学)
^ en:Order No. 270
^戦後強制抑留者平和祈念展示資料館(総務省委託)2017年12月24日閲覧
^単一産業都市の暮らしPart3ロシアNOW(2016年6月27日)2017年1月7日閲覧

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、グラグに関連するメディアがあります。


内務人民委員部(NKVD)

レナ虐殺事件

ソロヴェツキー修道院

収容所群島


ラーゲリ

大粛清

コルィマ鉱山

シベリア抑留

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更新日時:2018年2月25日(日)09:35
取得日時:2018/07/17 03:31


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