カメルーン
[Wikipedia|▼Menu]
カメルーン共和国
Republique du Cameroun(フランス語)
Republic of Cameroon(英語)


国旗)(国章
国の標語:Paix, Travail, Patrie
フランス語: 平和、労働、祖国)国歌カメルーンの国歌

公用語フランス語英語[1]
首都ヤウンデ
最大の都市ドゥアラ
政府
大統領ポール・ビヤ
首相 (PM) フィレモン・ヤング(英語版)

面積
総計475,440km252位
水面積率1.3%

人口
総計(2015年22,179,700人(???位
人口密度34人/km2

GDP(自国通貨表示)
合計(2008年)10兆4,100億[2]CFAフラン

GDP (MER)
合計(2008年)232億[2]ドル(85位

GDP (PPP)
合計(2008年)417億[2]ドル(88位
1人あたり2,152[2]ドル

独立
 - 日付フランスから
1960年1月1日(西南部はイギリスから1961年
通貨CFAフラン (XAF)
時間帯UTC (+1)(DST:なし)
ISO 3166-1CM / CMR
ccTLD.cm
国際電話番号237

カメルーン共和国(カメルーンきょうわこく)、通称カメルーンは、中部アフリカに位置する共和制国家。西にナイジェリア、北東にチャド、東に中央アフリカ共和国、南東にコンゴ共和国、南にガボン、南西に赤道ギニアに隣接し、南西部が大西洋ギニア湾に面する。首都はヤウンデ

ドイツ植民地から、イギリスフランスの植民地に分かれた経緯がある。非同盟路線を歩むが、経済、文化、軍事面でフランスとの関係が深い。1995年イギリス連邦に加盟した。また、フランコフォニー国際機関にも加盟している。


目次

1 国名

2 歴史

3 政治

4 地理

5 地方行政区分

5.1 主要都市


6 経済

7 交通

8 国民

8.1 民族

8.2 言語

8.3 宗教

8.4 教育


9 文化

9.1 文学

9.2 音楽

9.3 世界遺産

9.4 祝祭日

9.5 スポーツ

9.5.1 サッカー

9.5.2 バスケットボール



10 脚注

11 参考文献

12 関連項目

13 外部リンク


国名

正式名称は英語で、Republic of Cameroon(リパブリック・オブ・キャメルーン)。フランス語で、Republique du Cameroun(レピュブリク・デュ・カムルン)。

日本語の表記は、カメルーン共和国。通称、カメルーン。漢字による当て字は夏麦論。

国名は、1470年にカメルーンを最初に訪れたポルトガル人エビの多いことからカマラウン(camarao,ポルトガル語で「小エビ」)と名付けたことに由来する。

1960年 - 1961年:カメルーン共和国

1961年 - 1972年:カメルーン連邦共和国

1972年 - 1984年:カメルーン連合共和国

1984年 - :カメルーン共和国

歴史詳細は「カメルーンの歴史」を参照

カメルーン内の遺跡からたどれる歴史は約8000年前まで遡ることができる。カメルーンの先住民バカ・ピグミーである。バントゥー系民族はカメルーン高地に起源をもつが、他民族による侵入が行われる前に別の土地に移動している。カメルーンの領域の推移(1901年-1973年)  ドイツ保護領カメルーン  イギリス領カメルーン  フランス領カメルーン  独立後のカメルーン

1470年12月ポルトガル人がカメルーンに到達したが、拠点を築くことはなかった。

1806年にイスラム系諸王国の支配下におかれた。1870年代になると、ヨーロッパ列強に数え上げられるようになったドイツ帝国が、アフリカ分割を背景に沿岸部の都市ドゥアラを中心に入植を開始した。1884年にはドイツ保護領カメルーンが成立した(ドイツ植民地帝国)。1911年、ドイツが全土を、フランスが新カメルーン(現中央アフリカ共和国領域)をそれぞれ掌握。

第一次世界大戦でドイツが敗れた後、1918年のヴェルサイユ条約の規定により、1922年に北西部がイギリスの「イギリス領カメルーン」(西カメルーンとも。現北西州南西州及びナイジェリア領アダマワ州タラバ州からなる)、東南部がフランスフランス領カメルーン(東カメルーン)として委任統治領となる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:83 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:FIRTREE