インターナショナル・ヘビー級王座
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インターナショナル・ヘビー級王座(インターナショナル・ヘビーきゅうおうざ)は、かつて 日本プロレスが管理し、その後、全日本プロレスに管理権が移ったフラッグシップタイトルである。日本プロレス界で現存するタイトルとしては最古の歴史を持つ王座の一つであり[1]「日本マット界の至宝」とも言われるほど権威も高い。

現在は三冠ヘビー級王座を構成する3本のベルトのうちの一つである。
目次

1 概要

1.1 力道山時代

1.2 ジャイアント馬場 - 大木金太郎時代

1.3 王座の復活


2 備考

3 歴代王者

4 主な記録

5 脚注

6 関連項目

概要
力道山時代

この王座は、NWA本部が1958年6月に日本を始め世界各国で積極的にNWA世界ヘビー級王座の防衛戦を行って防衛を続けたルー・テーズの実績を認めて、NWA世界ヘビー級王座とは別に、新たにルー・テーズを初代のインターナショナル・ヘビー級王者として認定したことによって始まったものである。このインターナショナル・ヘビー級王座が1958年8月27日、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスオリンピック・オーディトリアムでのノンタイトルマッチで力道山がルー・テーズに勝利(反則勝ち)し、力道山はこの勝利を理由に王者の資格があると主張する。テーズはその後も世界王座を奪回するまで、王者として活動している。後にルー・テーズより王者を名乗る事を認められたと推察される。(なお、この王座には専用のチャンピオン・ベルトは存在せず、帰国後に力道山が作成した。2度目に製作されたものが、ジャイアント馬場が1972年に全日本プロレスを旗揚げした時に力道山家から寄贈され、世界ヘビー級王座、後のPWFヘビー級王座のチャンピオン・ベルトとなる)。これ以後、日本に定着することになる。

インターナショナル・ヘビー級王座が力道山に移ってからは日本プロレスの至宝として東京・大阪などの大会場でタイトルマッチが行われ、力道山はドン・レオ・ジョナサンエンリケ・トーレス、ミスター・アトミック、サニー・マイヤースプリンス・イヤウケアミスターXゼブラ・キッドジェス・オルテガパット・オコーナーバディ・オースチンザ・デストロイヤーなどといった強豪レスラーと名勝負を繰り広げ、またグレート・アントニオヘイスタック・カルホーンムース・ショーラックなどの異能派レスラーとも王座を賭けて戦うなど[2]、インター王座は力道山の代名詞となっていく。力道山は一度もこの王座を明け渡すことなく、19回連続防衛(ただし反則負け防衛が1回ある)を果たした。

しかし力道山は1963年12月4日にザ・デストロイヤーを相手に19回目の王座防衛を果たした後、兇刃に斃れて12月15日に急逝。その後、日本プロレスはインターナショナル・ヘビー級王座について、『力道山一代限りのもの』として封印を決める。
ジャイアント馬場 - 大木金太郎時代

ジャイアント馬場が凱旋帰国しスケールの大きなレスリングで爆発的な人気を得ると「馬場を力道山の後継者として、インター王者を継がせるべきだ」という声が起こり、日本プロレスはNWAの了承を得てインターナショナル王座の封印を解除、「NWA認可、日本プロレスリング・コミッション認定」のタイトルとして復活させる。ただしチャンピオンベルトは力道山が使用したものを使わず、それとは全く別にベルトを新調した。

1965年11月24日、王座決定戦でディック・ザ・ブルーザーを破った馬場が第3代王者に就く。馬場は途中ボボ・ブラジルジン・キニスキーに王座を明け渡したものの、1972年9月に日本プロレス脱退・全日本プロレス創立に伴い王座を返上するまで、タイトルを保持した。この間テーズ、キニスキー、デストロイヤー、フリッツ・フォン・エリックキラー・カール・コックスゴリラ・モンスーンブルーノ・サンマルチノターザン・タイラークラッシャー・リソワスキーウイルバー・スナイダーフレッド・ブラッシーアブドーラ・ザ・ブッチャーザ・シークドリー・ファンク・ジュニアザ・ストンパースパイロス・アリオンイワン・コロフクリス・マルコフテリー・ファンクブルドッグ・ブラワージョニー・バレンタインらの強豪を退け[2]、インターナショナル王座の価値はますます高いものとなった。キニスキーやドリー・ファンク・ジュニアがNWA世界ヘビー級王者として来日した際にも、日本プロレスとNWA双方の「日本にはインター王者がいるから」という意向で馬場が挑戦するNWA戦ではなくNWA王者が馬場に挑戦するインター戦が行われたことがあった(もっとも、馬場本人はNWA戦を望んでいたという)。

馬場の王座返上後の1972年12月、大木金太郎とボボ・ブラジルの間で新王者決定戦が行われ(「頭突き世界一決定戦」とも称された)、ブラジルが初戦に勝ち王座復帰、第2戦で大木が勝って念願のインターナショナル王座のベルトを腰に巻いた。以降、大木はビリー・レッド・ライオンとフリッツ・フォン・エリックを相手に防衛戦を行ったが、アントニオ猪木とジャイアント馬場が抜けた後の日本プロレスは観客動員が格段に落ち、程なくして経営不振になり自前の興行を行えなくなった後、団体としての活動を停止した。それに伴い、インターナショナル・ヘビー級王座は認定コミッション消滅により宙に浮いた状態となったが、チャンピオンベルトそのものは大木が所持し、地元韓国にてスーパー・デストロイヤーマリオ・ミラノ、ザ・デストロイヤー、サムソン・クツワダサンダー杉山、アブドーラ・ザ・ブッチャー、高千穂明久、ドン・レオ・ジョナサン、稲妻二郎キラー・トーア・カマタキング・イヤウケアブル・ラモス、フレッド・ブラッシー、ジョニー・ロンドスチーフ・フランク・ヒルなどと防衛戦を行った[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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