イリンジバル
[Wikipedia|▼Menu]

イリンジバル
.mw-parser-output .font-mong{font-family:"Menk Hawang Tig","Menk Qagan Tig","Menk Garqag Tig","Menk Har_a Tig","Menk Scnin Tig","Oyun Gurban Ulus Tig","Oyun Qagan Tig","Oyun Garqag Tig","Oyun Har_a Tig","Oyun Scnin Tig","Oyun Agula Tig","Mongolian BT","Mongolian Baiti","Noto Sans Mongolian","Mongol Usug","Mongolian White","MongolianScript","Code2000","Menksoft Qagan"}.mw-parser-output .font-mong-mnc,.mw-parser-output .font-mong:lang(mnc-Mong),.mw-parser-output .font-mong:lang(dta-Mong),.mw-parser-output .font-mong:lang(sjo-Mong){font-family:"Abkai Xanyan","Abkai Xanyan LA","Abkai Xanyan VT","Abkai Xanyan XX","Abkai Xanyan SC","Abkai Buleku","Daicing White","Oyun Gurban Ulus Tig","Oyun Qagan Tig","Oyun Garqag Tig","Oyun Har_a Tig","Oyun Scnin Tig","Oyun Agula Tig","Mongolian BT","Mongolian Baiti","Noto Sans Mongolian"}?????????
モンゴル帝国第14代皇帝(大ハーン
イリンジバル肖像画(国立故宮博物院所蔵)
在位1332年10月23日 - 12月14日
出生泰定3年3月29日
1326年5月1日

死去至順3年11月26日
1332年12月14日
大都
配偶者ダリエテミシ
王家クビライ家
父親コシラ
母親バブサ
テンプレートを表示

寧宗 奇渥温懿?質班

第10代皇帝
王朝元
都城大都
諡号沖聖嗣孝皇帝
廟号寧宗
年号至順 : 1332年

イリンジバル(モンゴル語:????????? Rin?inbal、チベット語: ???????????? rin chen dpal、中国語: 懿?質班 Irinjibar、 1326年5月1日 - 1332年12月14日)は、モンゴル帝国)の第14代皇帝(大ハーン)。読みは、イリンジバル(中国語)、リンチンバル(モンゴル語)、リンチェンパル(チベット語)。
目次

1 生涯

2 后妃

3 元号

4 脚注

5 参考文献

6 外部リンク

生涯

明宗コシラの次男。母バブサ(八不沙)はナイマン部の人で、コシラが即位以前、アルタイ山脈の西に亡命していたときに生まれた。コシラが不審な急死を遂げて弟の文宗トク・テムルが即位すると、鄜王に封ぜられた。

1332年旧暦8月にトク・テムルが病死したとき、トク・テムルには実子エル・テグスがいたが、トク・テムルはコシラの子を次代のハーンに立てるように遺言した[1]

トク・テムルを擁立して独裁権力を握っていた中書右丞相エル・テムルはコシラを毒殺したと言われており、彼は皇后ブダシリにトク・テムルの皇子エル・テグスを擁立することを提案した[2]。ブダシリはエル・テムルの力が増すことを恐れて、トク・テムルの遺言に従ってコシラの子を擁立することを望んだ[3]

長子のトゴン・テムルは都から遠く離れた広西に流されており、次子のイリンジバルが大ハーン擁立された。エル・テムルはイリンジバルを10月に即位させ、ブダシリが皇太后として後見した。同年12月、新帝イリンジバルはわずか43日の在位で急逝した[1][2][3]

エル・テムルは改めてブダシリにエル・テグスの即位を要請したが、エル・テグスが幼いことを理由に再び固辞された[2]。既に13歳になって分別のつく年頃である長子のトゴン・テムルを即位させるのに難色を示したが[1]、最終的にトゴン・テムルが呼び戻された。
后妃

皇后:ダリエテミシ(答里也忒迷失) -
コンギラト部出身。

元号

至順(1332年旧暦10月- 1332年旧暦12月)

脚注^ a b c 杉山『モンゴル帝国の興亡(下)世界経営の時代』、218頁
^ a b c ドーソン『モンゴル帝国史』3巻、201頁
^ a b 外山「寧宗(元)」『アジア歴史事典』7巻、274頁

参考文献

杉山正明『モンゴル帝国の興亡(下)世界経営の時代』(講談社現代新書, 講談社, 1996年6月)

外山軍治「寧宗(元)」『アジア歴史事典』7巻収録(平凡社, 1960年)

C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』3巻(佐口透訳注、東洋文庫平凡社、1971年6月)

外部リンク

元史 巻37

新元史 巻22










モンゴル帝国皇帝(1332年)
元朝以前

チンギス・カン(太祖)1206-1227 / オゴデイ(太宗)1229-1241 / グユク(定宗)1246-1248 / モンケ(憲宗)1251-1259 / アリクブケ1259-1264 / クビライ(世祖)1260-1271
大元

クビライ(世祖)1271-1294 / テムル(成宗)1294-1307 / カイシャン(武宗)1307-1311 / アユルバルワダ(仁宗)1311-1320 / シデバラ(英宗)1320-1323 / イェスン・テムル(泰定帝)1323-1328 / アリギバ(天順帝)1328 / トク・テムル(文宗)1328-1329 / コシラ(明宗)1329 / トク・テムル(文宗)1329-1332 / イリンジバル(寧宗)1332 / トゴン・テムル(恵宗)1333-1368
北元

トゴン・テムル(恵宗)1368-1370 / アユルシリダラ(昭宗)1370-1378 / トグス・テムル(平宗)1378-1388 / イェスデル1388-1391 / エンケ1391-1394 / エルベク1394-1399 / クン・テムル1399-1402 / オルク・テムル1402-1408 / オルジェイ・テムル1408-1412 / ダルバク1412-1415 / オイラダイ1415-1425 / アダイ1425-1438 / トクトア・ブハ1438-1452 / アクバルジ1452-1453 / エセン1453-1454 / マルコルギス1455-1465 / モーラン1465-1466 / マンドゥールン1475-1479 / ボルフ・ジノン1480-1487 / ダヤン・ハーン1487-1524 / バルス・ボラト1524 / ボディ・アラク1524-1547 / ダライスン・ゴデン1548-1557 / トゥメン1558-1592 / ブヤン1593-1603 / リンダン1603-1634 / エジェイ1634-1635


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:15 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:FIRTREE