アンゲラ・メルケル
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ドイツ政治家アンゲラ・メルケルAngela Dorothea Merkel
2012年のメルケル
生年月日(1954-07-17) 1954年7月17日(63歳)
出生地 西ドイツ
自由ハンザ都市ハンブルク
出身校カール・マルクス大学
所属政党 民主主義の出発(1989年 - 1990年)
ドイツキリスト教民主同盟(1990年 - )
称号博士物理学者
配偶者ウルリッヒ・メルケル(1977年 - 1982年)
ヨアヒム・ザウアー(1998年 - )
サイン
公式サイト ⇒Angela Merkel
ドイツ連邦共和国第8代連邦首相
内閣メルケル内閣
在任期間2005年11月22日 -
ドイツ連邦共和国連邦大統領ホルスト・ケーラー
クリスティアン・ヴルフ
ヨアヒム・ガウク
フランク=ヴァルター・シュタインマイアー
ドイツ連邦共和国環境・自然保護・原子力安全担当大臣
内閣第5次ヘルムート・コール内閣
在任期間1994年11月15日 - 1998年10月27日
ドイツ連邦共和国婦人・青年担当大臣
内閣第4次コール内閣
在任期間1991年1月18日 - 1994年11月15日
ドイツ連邦共和国連邦議会議員
選挙区メクレンブルク=フォアポンメルン州
当選回数4回
在任期間1990年 -
その他の職歴
キリスト教民主同盟第7代党首
(2000年4月 - )
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アンゲラ・ドロテア・メルケル(ドイツ語: Angela Dorothea Merkel、出生名:アンゲラ・ドロテア・カスナー/Angela Dorothea Kasner、1954年7月17日 - )は、ドイツ政治家2000年からキリスト教民主同盟 (CDU) 党首。第8代ドイツ連邦共和国首相。ドイツ国内において、女性としては初の大政党党首・首相であり、2005年以降の10年を超える長期政権とその間のドイツのヨーロッパ、とくに欧州連合における相対的地位の向上にともない『ドイツの女王』、『欧州の女帝』とまで呼ばれた。しかし、2015年の難民無制限受け入れによる治安の悪化と国民への負担で支持率が大きく下落、2017年9月のドイツ連邦議会(下院)選挙での敗北以降の権勢の衰退は明らかでレームダックになったとロイターやBBCなどで報道されている[1][2][3][4][5][6][7]


目次

1 略歴

1.1 生い立ち

1.2 物理学者

1.3 ベルリンの壁崩壊

1.4 政界へ

1.5 CDU党首時代

1.6 首相就任

1.7 首相2期目

1.8 首相3期目

1.9 首相4期目


2 人物

2.1 家族

2.2 尊敬する人物

2.3 衣装に関するエピソード

2.4 各国首脳とのエピソード

2.5 サッカー


3 表彰

4 批判

4.1 緊縮財政を強要

4.2 移民・難民問題


5 関連項目

6 脚注

7 外部リンク


略歴
生い立ち

家系はポーランド系帝政ドイツ時代の1896年にポズナン(ドイツ語ポーゼン)で生まれたポーランド人である祖父ルドヴィク・カズミェルチャクが第一次世界大戦ドイツ軍に徴兵され、戦後に除隊したのちベルリンに定住、グダンスクドイツ語の表記ではダンツィヒ)出身のカシューブ人ヘルリント・イェンツシュと結婚、長男のホルストが4歳のときの1930年に姓を「カズミェルチャク」(Kazmierczak)から「カスナー」(Kasner)に変更した[8][9][10]。この祖父ルドヴィク(ドイツ語の発音ではルートヴィヒ)はルター派プロテスタントだった。

アンゲラはハンブルクで生まれた。父ホルストがベルリン=ブランデンブルク福音主義教会(現ベルリン=ブランデンブルク=シュレージシェ・オーバーラウジッツ福音主義教会)の牧師として東ドイツに赴任することになり、生後数週間のアンゲラは1954年に両親と共に東ドイツへ移住する[11]。母はラテン語英語の教師であった。東ドイツでは教会は反政府勢力の拠点であったが、カスナーは政府に「進歩的勢力」と見られていた会派の所属で危険視されておらず、西側諸国海外旅行できる特権も与えられていた。東ドイツで弟1人と妹2人が生まれる。
物理学者

学校時代は付き合いは良いが、目立たない生徒であったという。成績は優秀で、中学校時代の全科目の平均評価は1.0(最高)であり、特にロシア語[12]と数学に優れていた。


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