アニメーション映画
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アニメーション映画(アニメーションえいが)は、映画館で公開する映画として製作されるアニメーションアニメ)映像作品。略称としてアニメ映画、そのほか映画館を劇場と呼ぶ慣習から劇場用アニメーション・劇場版アニメーション・劇場版アニメ等も表記や名称として使用される。
目次

1 概要

2 歴史

2.1 アメリカ合衆国

2.2 日本

2.2.1 黎明期

2.2.2 1930年代

2.2.3 1940年代

2.2.4 1950年代

2.2.5 1960年代

2.2.6 1970年代

2.2.7 1980年代

2.2.8 1990年代

2.2.9 2000年代

2.2.10 2010年代


2.3 ロシア

2.4 チェコ

2.5 中華民国


3 歴代アニメーション映画の興行成績

3.1 全世界の興行成績

3.2 日本国内の興行成績


4 その他

5 脚注

5.1 注釈

5.2 出典


6 関連項目

7 外部リンク

概要

テレビアニメが登場するまでは、アニメーションの放映媒体は映画しか存在せず、アニメーションといえばもっぱら映画館で上映されるアニメーション映画であった。

日本では学校教育において上映される映画は教育映画とされ、1960年代から1970年代文部省選定、文部大臣賞などを受賞するアニメーション映画も多数存在した。その他、海外の万国博覧会大使館などで日本の文化を紹介するためにもアニメーション映画が製作された。1970年代まではアニメーションという呼称はまだ一般的ではなく、漫画映画(テレビアニメはテレビ漫画)と呼称されていた。

テレビアニメ作品の映画化の場合は、テレビシリーズと区別するために作品のタイトルに「劇場版」または「映画」と付くことが多く、1本で完成された作品にする必要から映画用のオリジナルストーリーで完結する作品が多い。「アニメ映画」が実写映画特撮映画などと対比させた言葉なのに対し、「劇場用アニメ」はテレビアニメやビデオ販売用のアニメ (OVA) などと対比させた言葉である。

映画館での公開終了後、地方自治体公共団体に無償で貸し出され、星空映画会などと呼ばれるイベントで無料公開されることもある。
歴史

世界最初の純粋なアニメーション映画は、フランスの画家エミール・コールの製作した、『ファンタスマゴリー(英語版、フランス語版)』(1908年、原題:Fantasmagorie)だと考えられている[1]。コールはアメリカのブラックトン(後述)の用いていたコマ撮り実写映画の技法に着目し、そこから実写部分を排した完全なアニメーション作品を創作した。『ファンタスマゴリー』の動画は白い紙に黒インクで描かれ、ネガフィルムのまま黒地に白い線のアニメーション映画として上映された[2]。世界初の長編アニメーション映画は、アルゼンチンキリーノ・クリスティアーニによって制作された『使徒』(1917年)だとされる。

テレビ普及以前は、ニュース映画とともに短編アニメが一般映画(本編)の前座として上映された。多くの短編劇場アニメはこの時代に製作されたものである。1937年ディズニーが初のカラー長編アニメ『白雪姫』を製作するまで、ストーリーを楽しむというより絵が動くことを楽しむアトラクション的な短編アニメが普通であった。

1940年、世界初のステレオ音声を取り入れたアニメーション映画『ファンタジア』が公開される。ただし日本での公開は1955年である。

アジアでは、1941年に中国において万籟鳴と万古蟾の監督で公開された『西遊記 鉄扇公主の巻』がアジア初の長編アニメーション映画とされる。1942年に戦時下の日本に輸出され、当時16歳の手塚治虫に影響を与えると共に、海軍省に長編アニメーション映画『桃太郎 海の神兵』(1945年)を制作させる動機となった。

アメリカでは、テレビ時代になってからも劇場短編アニメがテレビで繰り返し放送されている。日本でも、1960年代からテレビアニメが量産されるまで、『トムとジェリー』『ポパイ』『スーパーマン』『ベティ・ブープ』などの劇場短編アニメがテレビで何度も再放送されていた。「アニメの歴史」も参照
アメリカ合衆国

20世紀初頭のアメリカ合衆国では、ジェームズ・スチュアート・ブラックトンが、アニメーション映画の先駆的作品とも言える、黒板に描かれたチョークの絵を用いた『愉快な百面相』(1906年、原題:Humorous Phases of Funny Faces)や[1]、幽霊屋敷の怪奇現象をトリックにより再現した『幽霊ホテル』(1907年、原題:The Haunted Hotel)などのコマ撮り実写映画を撮影していた[2]

アニメーションの父ウィンザー・マッケイ[2]はブラックトンに触発され、寄席でのヴォードヴィル公演に使用する目的で、『リトル・ニモ』(1911年、原題:Little Nemo)などの短編アニメーション映画を製作した。これらの作品は映画館でも上映され、アニメーションの商業的利用に対する先鞭を付けた(しかしながら、マッケイ自身は商業アニメーションに対しては否定的であった)。また、マッケイの『恐竜ガーティ』(1914年、原題:Gertie the Dinosaur)に登場するガーティは、世界最初の個性を備えたアニメーションキャラクターとして評価されている。

前述のように、テレビが大衆化する以前にはニュース映画の前座として短篇アニメが大量に作られた。これらの短編から、世界中で広く知れ渡っているディズニーミッキーマウスドナルドダックメトロ・ゴールドウィン・メイヤートムとジェリーフライシャー・スタジオベティ・ブープワーナー・ブラザースバッグス・バニーなどの人気キャラクターが生まれた[2]


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