なまはげ
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男鹿地方各地のなまはげ(なまはげ館、2010年7月) 男鹿地方各地のなまはげ(なまはげ館、2010年7月) なはまげは地域により様々な模様をしている(なまはげ館、2017年3月) (なまはげ館、2017年3月)
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なまはげは、男鹿半島周辺で行われてきた年中行事、あるいはその行事において、仮面をつけの衣装をまとった神の使い(来訪神)を指す。

秋田県全体の3%に満たない男鹿半島[注 1]の、年一回しかない「なまはげ」は今や、秋田県全体の記号として用いられるまでの知名度を持つようになっている。しかし、男鹿半島での伝統は、地元自治体が補助金を出して下支えしなくてはならないほどの衰退傾向を見せている。また、本来の「来訪神」と無関係な上、異形を誇張しただけの「鬼」化した多数の平面像ならびに立体像が乱造され、あるいはキャラクターとしてデフォルメされたグッズが氾濫し、顕著に「観光」化されている。
目次

1 概要

1.1 開催時期の前倒し

1.2 伝統的習俗の衰退

1.3 「観光」化

1.4 「鬼」化


2 名称

3 風習

3.1 なまはげ

3.2 教育的機能

3.3 同様の行事


4 歴史

4.1 発祥

4.2 年表


5 観光

5.1 なまはげ柴灯まつり

5.2 立像


6 関連する文物

6.1 なまはげを用いているもの

6.2 なまはげをモチーフにしたもの

6.3 なまはげと命名されたがなまはげではないもの


7 脚注

7.1 注釈

7.2 出典


8 関連項目

9 外部リンク

概要

秋田県の男鹿半島男鹿市)、および、その基部(山本郡三種町潟上市)の一部においてみられる伝統的な民俗行事またはその行事を執り行う者の様相を指す。「男鹿(おが)のナマハゲ」として、国の重要無形民俗文化財に指定されている。異形の仮面をつけ、藁などで作った衣装をまとった「なまはげ」が、家々を巡って厄払いをしたり、怠け者を諭したりする。

なまはげと同様の行事は日本各地に広く分布し、男鹿半島からそれらに伝播したとの証拠も無い。しかし、何故そのようなことになったのかは不明だが、なまはげだけが圧倒的な知名度を得て、秋田県の記号になるまでに至った。その訴求力の大きさから、秋田県の観光PRに用いられるのは勿論、秋田県に関連する私企業でもモチーフにされたり、秋田県関連の物販・飲食店でのオーナメント余興の1つとされたりして頻繁に用いられている。
開催時期の前倒し

江戸時代には太陰太陽暦1月15日小正月に開催されていたが、明治改暦で、約1ヶ月前倒しとなるグレゴリオ暦1月15日の小正月に開催する例も見られるようになった。

戦後は更に2週間ほど前倒しされた大晦日12月31日)に行われている[1]
伝統的習俗の衰退

男鹿市148町内会の大晦日の「なまはげ」(2015年度)[2]  21町:慣例通り(地区の未婚男性が担い手)に実施 (14.2%)  58町:慣例以外の担い手が実施 (39.2%)  35町:途絶(平成期) (23.6%)  16町:途絶(昭和期) (10.8%)  18町:途絶(時期不明) (12.2%)

家々を回る年中行事としてのなまはげを実施する集落は、かつては男鹿半島のほとんどだったが、少子高齢化の影響で、現在はほぼ半減している[2][3]

本来、地区の未婚の男性がなまはげを務めるのが習わしだったが、高齢化と地区の人口減により担い手の若者が減ったため、既婚男性や高齢者、さらには帰省中の親族など地区外の者が務める例も見られるようになった[2][3]。また、なまはげの主な訪問先である子供がいる世帯が少子化により減少しているため、実施する動機の減退もみられる[2]。その他、年末年始に仕事があったり、旅行などで不在だったりと、住民の生活の変化もなまはげの衰退の要因になっている。

対策として2012年度(平成24年度)より男鹿市は、なまはげを実施する町内会に補助金を出すようになったが、同市内の148の町内会のうち同年度、補助金を受けて6町内会がなまはげを再開したものの、半数近い71町内会が実施しなかった[3]2015年度(平成27年度)も69町が実施しなかった[2]
「観光」化

男鹿半島には観光用に年中なまはげを体験できる施設がある。また、男鹿地区に限らず秋田県の観光・物産PR活動において歴史的な習わしを超えて用いられており、各地に常設/仮設を問わず立像も設置されるなど、秋田県を象徴する記号にもなっている。

観光客を楽しませる目的で、なまはげをモチーフとした新たな芸能も創作されている。昭和高度経済成長期にみられた団体旅行を中心としたレジャーブーム期には「なまはげ踊り」が、平成が始まる頃のバブル景気期にみられたリゾートブーム期には「なまはげ太鼓」が創作された。これらは季節性や地域性の枠を超え、秋田竿灯まつりや様々な物産展などへの参加に留まらず、単独公演も行っている。これらは旧来のなまはげとは異なり、「鬼」化した仮面を被っており、また、藁ではなく、破損しづらい毛糸で作った衣装を着て演舞を行う。
「鬼」化

なまはげは本来、とは無縁の来訪神であったが[4][5]、近代化の過程で鬼文化の一角に組み込まれ、変容してしまったという説がある[5]浜田広介の児童文学『泣いた赤鬼』(1933年)のような、赤(ジジナマハゲ)と青(ババナマハゲ)の一対となっていることがあるが、そのような設定がいつ頃からあるのかは不明。

「鬼」化され、赤・青一対になっている立像(秋田デスティネーションキャンペーン中の秋田駅、2013年11月)
ジジナマハゲババナマハゲ

名称

冬に囲炉裏(いろり)にあたっていると手足に「ナモミ」 「アマ」と呼ばれる低温火傷(温熱性紅斑)ができることがある。


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