Uncyclopedia:馬鹿にならずにバカバカしくやる方法
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このページはアンサイクロペディアの ⇒無視された方針と見なされています。
無視された方針は執筆者の間で広く受け入れられており、誰もが従うべき基準と考えられているか、そうでなければ、自由に無視して構わないものであると考えられています。この方針について提案を行う際には、うやうやしくひざまずいて意見を述べてください。
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UN:How you
might go
about writing
something
that is funny,
rather than
writing
something
that is
stupid,
which would
of course
in no way
imply that
you are
stupid,
although
if you are,
we mean
no offense
「一貫性は創造性の欠如における、最後の逃げ場である」
? 繰り返されるつまらないユーモア について、オスカー・ワイルド「誰もが単語三つの記事を書くことができる。そのためには、人生と文学に対する完全な無知しか必要としない」
? 書き方 について、オスカー・ワイルド「素晴らしい記事とは、1%のひらめきと99%のオナニーである」
? 書き方 について、アルベルト・アインシュタイン

この記事では17の簡単な段取りを通して、創造的かつ独創的で誰にも真似できないような人間になる方法を学ぶことができる。分かりやすく分類されているから、ちびっ子ですらこれを理解して守ることが出来るはずだ。読めばきっと楽しく過ごす権利を得るだろう。もし誰かに「お前は面白くない」と言われても、そうでないことを証明すればいいだけなのだ。

注:これらのうちいくらかの発想は、英語版の「 ⇒喜劇文についてのプロリキシペディア便覧」からの借用である。

この部分は本当に大事なので、こうして枠の中に書いている。
心して読んでほしい。
英語版アンサイクロペディアでは、一日あたり約300本の ⇒新記事が生まれています。
その300本のうち、およそ290本が生後1日を迎える前に ⇒死んでいきます
このようなことを君の身に起こしてはならない! 以下の助言に耳を傾けよ。

目次

1 大まかなイメージとしての、アンサイクロペディアの「枠」

2 コメディアンたれ: ナンセンスと正反対についての助言

3 ユーモアの基本テクニック

4 ナンセンスを書くときは、首尾一貫させよ

5 時間をかけて書け

6 「××××」の規則: 愚かにふるまうことや、悪趣味が面白いとは限らない

7 紋切り型は避けよ

8 使い古されたジョークは避けよ

9 盗作するな

10 メタ・ユーモアは君が思うほど面白くない

11 内輪のジョークは控え目に

12 画像は賢く使え

13 偏見はユーモアの代わりにはならない

14 嫌味はユーモアの代わりにはならない

15 記事の形式によるジョーク

16 その他

17 助言

18 関連項目

大まかなイメージとしての、アンサイクロペディアの「枠」

アンサイクロペディアが立派に成り立っているのは、百科事典の風刺であるからだ。例えば、ニュース番組を題材にしたコントは、当たり前ながらニュース番組という「枠」の中でしか進行しないわけで、アンサイクロペディアにもこういった「枠」がある。この見事な枠線は、我々の素晴らしいユーモアがその中で十分に活かされるために備わっている。そして実際のところ、このサイトには様々な「風刺の枠」がある。バ科ニュースアンブックスアンチューンズなどがそれだ。要するに、もし「枠」の存在が理解できているのなら、独自の文書を作る際にはその体裁という「枠」を決めなければならないのに対して、アンサイクロペディアではその既に完成された枠の中をただ埋めればいいだけということになるのだ。

枠組みがどういった役割を果たすかについて、先に挙げた「ニュース番組を題材にしたコント」を材料に説明しよう。コントにおいて、まずキャスター役は本物のニュース番組のように筋書きを進めていくが、出演者たちの奇妙な部分やおかしなニュースが段々と浮き彫りになって行く。つまり、本物と同じ基礎を持っていながらも、その本物との対照を目立たせるものが「枠」なのだ。そしてユーモアとは、思いがけないその対照に伴うものだ。アンサイクロペディアにある多くの良質な記事は、本物の百科事典と同じくらい重要な情報をたくさん持っている。そういった重要な情報が、実に面白い対照を生み出しているのだ。

アンサイクロペディアは君のネタを活かすために用意された素晴らしい枠組みだ。このページの残りでは、その枠組みで君がどのように人を笑わせることが出来るかを解説していく。
コメディアンたれ: ナンセンスと正反対についての助言

通常、事実はナンセンスよりも愉快である。もっとも愉快なページとは、もっとも事実に近いページである。

例: 「太宰治とは、妊娠三週間目に堕胎された、
イーハトーブの住人である」馬鹿な記事。無意味なたわごとである。

例: 「太宰治とは、井伏鱒二が実は盗作で成功したエセ作家であることを暴いた、メンヘラの作家である。最大の業績は、愛人と入水自殺という、江戸時代に流行して廃れた心中のブームを復権させたことである。」事実に近い愉快な記事。太宰は遺言状に「井伏さんは悪人です」という意味不明の文章を残しており、また愛人と入水自殺したことは事実である。事実とフィクションを織り交ぜたり、両者の境界をぼやけさせているこの例文は、一応笑いとして成立している。これは特に面白い例文というわけではないが、君にヒントを与えてくれる。

おそらくここの記事の三分の二は、でたらめなナンセンスだろう。これらの記事は、ほとんど見分けがつかない。まったくのナンセンスは面白い場合もあり、最初の一回は笑いを誘うかもしれないが、すぐに飽きる。

もし誰かが「ハリー・ポッター」の記事を開いたのなら、その記事は「恐竜」の記事よりは、ある程度は「ハリー・ポッター」と関係があるべきだ。その記事を開いた読者は、目からレーザービームを放つオランダ人のミンク養殖業者についての記事ではなく、ハリー・ポッターをネタにしたユーモラスな記事を読みたがっているのだ。アニメやゲームを例にもっと分かりやすい例を挙げよう。もし誰かが「綾波」という戦艦についての記事を開いたのなら、その記事は「新世紀エヴァンゲリオン」のヒロインである綾波レイや、艦隊これくしょんで戦艦から擬人化されたヒロインキャラクターについてよりは、ある程度は実在した戦艦である「綾波」と関係があるべきだ。その記事を開いた読者は、オタクのオナニーのおかずにしかならない二次元の女の子についての記事ではなく、実在した戦艦をネタにしたユーモラスな記事を読みたがっているのだ。

人気アニメ作品についての何千もの一行記事を書きちらされるよりは、長くてかつ機智に満ちた記事一本の方がいい。つまらない記事を大量投稿されると、僕らは駄目な記事を掃除しなければならなくなる。削除するのは面倒くさいので、良い記事を書けとは言わんが、最低限の質のある記事を書いてくれ。

記事を書くときにこれらをしっかりと心に留めておけば、事態は改善される。しかし、もしナンセンス以外の手段がないのであれば、後述の「ナンセンスを書くときは、首尾一貫させよ」の項目に従ってほしい。これさえも失敗した時は、執筆をやめて政治家になるべきだ。
ユーモアの基本テクニック

繰り返し。これは馬鹿であるが、効果的である。ある言葉を何度も何度も言い、そしてそれを繰り返し、そして更にもっと言うのだ。2?3回ほど繰り返す。例: 「若き日の
米倉涼子は、暇さえあればバラエティ番組に出演したり、ドラッグをキメたり、屁をこいたり、バラエティ番組で三流芸人の相手をしたり、LSDを吸ったり、放屁テロを繰り返していた」。場合によっては、しつこく、執拗に、粘着質に、何度も何度も、トートロジーを駆使して、壊れた蓄音機の如く、ボレロのように、繰り返すことでジョークはより面白くなる、とは限らないが、読み手に「これって面白い」と思い込ませることが出来る。しかしながら、反復は万能ではない。書き方や前後の文脈、その記事の性格次第では、ジョークが死んでしまう上に、可読性を損なうことに加担しかねない。ゆえに、このテクニックを扱うときは、注意深く、慎重に、用心しなければならない。また、注意深くなければならない。そして、石橋を叩いて渡るような気概で、深慮を働かせ、入念に吟味し、良き反復になるかどうか精査し、入念に反復を仕込まなければならない。

ミスディレクション。繰り返しよりは、少しばかり洗練され、「機智のある」方法である。君の文章はある方向を目指して書き始められるが、最後には完全に別の場所にたどりつく。明智光秀が、毛利攻めの為に中国地方へ向かっていたら、いつの間にか本能寺に突撃して織田信長を殺していたという歴史は、典型的なミスディレクションである。また、別の例としてグーチョ・マルクスの言葉に 「犬以外では、本が人間の最良の友である。犬以内では、暗くて本が読めない」という言葉がある。原文では“Outside of a dog”で、「犬をのぞいて」と「犬の外側では」をかけているのである。

読者にとってネタの行先が予測できてしまう場合、これはあまり面白くならない。でも、一体どういった展開になってしまうのか予測できないような文章が書けたのなら、119番通報をしてから救急隊員が到着するまでのような短い間にでも、読者の財布の中身を隅々まで調べてしまえるくらい、読者を夢中にさせることができる。

ただし、むりやりオチをつけようと乱暴に敷かれたミスディレクション、例えば、野獣先輩は人間の屑だから、低所得層は皆ホモである、と言ったようなミスディレクションは、文章の精巧を欠き、読み手の気分を著しく減退させる。そうなると、読み手はこのサイトよりもゴリラのパンツレスリングを見ているほうが面白いから、と、アンサイクロペディアの記事からアフリカの秘境へと飛んで行ってしまうだろう。


エスカレーション。これは不条理なスタイルを作り上げるものであるが、総じて良いテクニックである。記事は合理的かつ落ち着いた調子で始まり、やがて徐々に、極めて理不尽かつ不条理ものになっていく。例:「聖アンセルムスにより修道院の罪として挙げられているのは、男色、獣姦、手淫、枕による自涜、清潔な下着の着用、自分の首より下に手を触れること、息を荒げること、自分の40ハロン以内に女性を、あらゆる哺乳類と爬虫類の雌もふくめて近付けることである」。不条理なスタイルから初めてその調子を保つという手法は、まず面白くない。不条理は面白いかもしれないが、それは真面目なところから――あるいは、少なくともそれほど不条理ではないところから――始めることによっていかされる。これは、一つの文章であろうが、記事全体であろうが、生きたウツボを君のパンツの中に突っ込む場合であろうが、変わらぬ真実である。

繰り返し。馬鹿ではあるが効果的な手法である。ある言葉を何度も何度も言い、言い方を変えてさらに何度も何度も繰り返すのだ。そして3回でも、4回でも繰り返す。例えば、「若き日のルーク・スカイウォーカーは、暇さえあればランド・スピーダーでのドライブを楽しんだり、泣き言を言ったり、ウォンプ・ラットを撃ったり、モス・アイズリーへガールハントに出かけたり、泣き言を言ったり、ナーフ・ハーダーをしたり、泣き言を言っていた」。時折ここにネタを織り込めば文章はより面白くなる。しかしながら、反復は万能ではない。書き方や前後の文脈、その記事の性格次第では、ジョークが死んでしまう上に、可読性を損なうことに加担しかねない。ゆえに、このテクニックを扱うときは、注意深く、慎重に、用心しなければならない。また、注意深くなければならない。そして、石橋を叩いて渡るような気概で、深慮を働かせ、入念に吟味し、良き反復になるかどうか精査し、入念に反復を仕込まなければならない。

自己言及。これまた、単純ではあるが愉快なテクニックだ。「繰り返し」は何度も繰り返されているし、「ミスディレクション」はアフリカの秘境へ向きを変えており、「エスカレーション」はエスカレートしている。詳しくは、この章の自己言及の項目を参照せよ。

控え目に言う。たとえば、「多くの人々が、ホロコーストは良いことではなかったと言うだろう」など。多くの日本人は、嫌いな芸能人に対して言及する際に「ブサイク」「ゴリ押し」「下手糞」「芸がつまらない」など、ストレートに述 7f96 べる。だがそんな直截的な言及はそこらの凡百共でも出来る上に、無粋で、汚い。このアンサイクロペディアでするのであれば、色々と機知を働かせるべきだ。要するに、「なんてこった、俺のクラスのジョー・シモは大馬鹿野郎だぜ!」と書くよりは、「ジョー・シモは、梅毒が第三期まで進行した少々知恵遅れのマーモットほども賢くはない」と書いた方がいいということだ。

倒置。「オスカー・ワイルド曰く、労働は飲酒階級の災厄である」。読者から逆だろうと突っ込ませるような手法だ。

繰り返し。馬鹿げてはいるが、効果的である。あることを、違った書き方で何度も何度も繰り返し、更に3回も4回も5回も繰り返す。例:「かつてのアメリカにおける奴隷たちは強制労働を好まなかったが、彼らが鞭打たれようと売り飛ばされようと誰も気にはしなかった。政府の了解においても、誰も黒人のことを気にしなかったし、彼らに権利を与えることが禁止されても誰も気にしなかった。紛争になっても、何故そうなったのか、誰が勝ったのか、やはり誰も気にしなかった。」時折ネタを織り込めば文章はより面白くなる。しかしながら、反復は万能ではない。書き方や前後の文脈、その記事の性格次第では、ジョークが死んでしまう上に、可読性を損なうことに加担しかねない。ゆえに、このテクニックを扱うときは、注意深く、慎重に、用心しなければならない。また、注意深くなければならない。そして、石橋を叩いて渡るような気概で、深慮を働かせ、入念に吟味し、良き反復になるかどうか精査し、入念に反復を仕込まなければならない。

循環論法。例としては、どうどうめぐりを参照せよ。

どうどうめぐり。例としては、循環論法を参照せよ。(愚かとは言え効果的な手法だが、これをあまり繰り返し過ぎると「無限ループ」という形で成されてしまうことがある。こういった類のネタは後に述べられている通りもはや飽和状態なので、これ以上はもう結構だ。)

真面目なことを不真面目に書く。例: 記事「隔離制度」や「悪の枢軸によるホットドッグ早食い競争」など。

不真面目なことを真面目に書く。例: 記事「ハンドガン」や「GIジョー対トランスフォーマー大戦」など。

引き立て役。初心者が犯す共通のあやまちは、記事を全体にわたってばかげた物にしてしまうことだ。けれども、真面目であることは、不真面目な時にこそ大事である。真面目と不真面目は、陰と陽であり、お互いになくてはならない正反対である。一般的に言って、君は君の文章に「引き立て役」を持たねばならない。「引き立て役」は、いずれもジョークとは縁のないものである。背景情報、事実あるいは事実のように聞こえる記述、ジョークを組み上げて支えるための材料、オチ、論理の飛躍、こじつけなどは、ジョークとの比較によって、ジョークをよりインパクトのあるものにしてくれる。君の目的が狂人のように見せかけることならば、同じ部屋にいる正気の人間の助けを借りねばならないのだ。一例を挙げるのなら、「パスポート」の記事がそれに当たる。

文体の統一。アンサイクロペディアでは、多くの異なった文体が使われている。編集者は複数なので当たり前なのだが、いくつかの記事はあたかも大学教授が書いたかのようであり、多くの記事は心が病気の自称13歳が書いているかのようであり、ほとんどの記事は――もう、それを書いたやつが親指を他の指とあわせられたのかどうかさえもわからない。けれども、普通はひとつの記事はひとつの文体で書くのが一番効果的だ。そうすれば、その記事は一人の人間が書いたものだと思ってもらえるだろう。第1段落が5歳の女の子が書いた文章のようであり、第2段落が気難し屋の老人が書いた文章のようであり、第3段落がてんかん持ちのヤギとアルツハイマー症のヤリイカと根暗なオタク少年の共同作業のようであるべきではない。それはそれで面白くもあるのだが、多くの読者は読む気が失せる。いくつかの例外はあるが(たとえば、多重人格者の文体、北杜夫など)、高品質な記事は、大抵この規則にしたがっている。英語版の「 ⇒AAAAAAAAA!」のような記事ですら、文章、基本文法、単語、アルファベット26文字中の25文字を欠いているという点において、この規則にしたがっている。……何が言いたいのかというと、奇を衒った文体/晦渋で見せかけだけは知性を思わせる/冲方丁のような―――は、無駄に読みづらいだけだからやめろということである。

繰り返しの説明はもうしたっけ?

ナンセンスを書くときは、首尾一貫させよ

事実に近い記事を書くことができないのなら、多数の首尾一貫した記事を書いてみよ。英語版の「 ⇒
オプラの陰謀」シリーズは、その好例だ。このシリーズ全体はでたらめであるという事実にもかかわらず、大きな歴史の流れに沿ったでたらめとなっている。これは良いものだ。君の書くでたらめな各文章のあいだには、最低でも1ステップ――あるいは1/6ケビン・ベーコン――ぐらいのつながりは持たせるように心がけよ。(訳注:1/6ケビン・ベーコンとは、共演した俳優をリンクしていくことで、より少ない手順でケビン・ベーコンまでたどりつく遊び「ケビン・ベーコン・ゲーム」に引っかけたシャレ)

でたらめなユーモアは、深刻な内容でないからこそ愉快となりうる。誰もがジョークを理解できるわけではなく、でたらめなユーモアを書いた相手に、しばしば腹を立てることを覚えておくように。オスカー・ワイルドが何者かに首をはねられて死に、そのあとにまた首が生えてきたというような記述はでたらめであるが、「 ⇒古今東西からの引用によるスマックダウン」のような記事で書かれれば、愉快である。

すでにある記事を確認しておく。議論の的となっている人物や物事について、他の大多数のページとはまったく違った説明をしているだけの一行記事を書くほど、悪質なことはない。記事を書き加える前に、ちょっと調べておこう。もちろん、その不一致は役に立つものかもしれないが、君の記事がいかなる大規模な「サーガ」にも加わっていないと知っておくのは良いことだ。

ここはアンサイクロペディアであって、ウィキペディアではない。ここでは「真実」(あるいは「中立的な観点」)を書くことではなく、別々の基盤の上で独立している個々の記事そのものが、楽しく面白いものであるかどうかが重視される。実際、さまざまなトピックにわたって、各記事ごとに異なった観点が持たれているということは、素晴らしいものがある。新鮮なアイデアと、多様な視点や手法の導入により、活気に満ちた創造がおこなわれ続けている。同じく、面白いものは読者から読者へと書きつがれていく。おそらく、記事1で述べられているトピックが扱う一番目の観点を愉快だと思えなかった読者も、記事2か記事3その他のトピックで扱われている、二番目かそれ以降の観点は愉快だと思えるかもしれない。また、君が複数の記事を首尾一貫させるために特定のストーリーラインを保とうとしたならば、そのシリーズに関連付けられた多様な記事は、個々の記事としては面白くない、退屈なものになるおそれがある。面白さは記事のつながりではなく、記事そのものの細部に宿らせるべきだ。

良質記事を、書き換えたり駄目にしたりしてしまわないように。君がある記事を編集しようと思うのなら、その記事に特有の内容や文体と沿うように編集せよ。さもないと、その記事はまとまりのない、でたらめな、つまらないごたまぜ記事になってしまう(特殊な場合には、ごたまぜも面白いけれど)。したがって、もし君がその記事で表現されているものとは違った観点や文体を持っているならば、書き換えたり首尾一貫しない内容を加筆するよりは、君の観点や文体と両立する記事を探すか、新しい記事を書き始めるべきである(この方が簡単だ)。

そして、良い物を書くことを忘れずに。
時間をかけて書け

君が十秒で記事を書いたなら、十人がその記事を好きになってくれる。君が十分で記事を書いたなら、数百人を得られる。たとえアンサイクロペディアが嘘とたわごとで一杯であるとしても、愉快な記事を書くために求められる労力は、
ウィキペディアのそれと変わらないはずだ。アンサイクロペディアにおける品質の意味はウィキペディアとは異なっているが、パロディだからといって品質を落としていい理由にはならない。それはただ、コンテンツの違いを意味しているだけなのだ。

それから、単純でそっけないリストはまず面白くない。「単語をつづれない者のリスト」や「馬鹿のリスト」などのことだ。「 ⇒合衆国歴代大統領」などのように、アイデアを広げることで単純なリストが役に立つこともあるが、「オスカー・ワイルドが嫌いな物」のリストを作って笑いを取ろうとするのは、まったく面白くない。一覧記事を作るのであれば、急ごしらえのものにしてはならない。「 ⇒オールタイム・ワースト100映画リスト」のように、それを膨らませるだけの時間をかけてほしい。

調査せよ。アンサイクロペディアの良質記事のある物はでたらめであり、でたらめは愉快なこともある。しかし、本当に素晴らしい記事はそれなりの調査を必要とする。効果的な主題のパロディや風刺のために、現実の主題をある程度調査しておけば、君のジョークはより優れた、理解されるものとなるだろう。

削って削って削りまくれ。書き足せば書き足すほど愉快になる。本当にそうか? 必ずしもそうとは限らない。編集者が食っていける理由が、そこにある。編集者の主な仕事は、文章を削ることと原稿を屑籠に投げ込むことだ。ほとんどの文章は悪文である。良い作家はこのことを理解しており、小説を書き始めてから下書きが仕上がるまでと同じくらい多くの時間を、自分の作品をひたすら切り刻むという最も大事な作業に費やす。自分の作品を見て、「これはつまらなくはないか?」と素直に自問自答できる能力が、プロとアマチュアの大きな違いのひとつである。執筆とは創造であると共に破壊であり、執筆と同じ程度の時間を編集に費やさねばならない。別の考え方をすれば、執筆は料理に似ている。料理は材料を加えることだけでなく、取りのぞくことにもかかわっている。スープを作るとき、君は余計な材料が混じらないよう手を尽くすのに、なぜ書くときは同じようにしないのか?

読み返して読み返して読み返しまくれ。おそらく、誤字脱字があるはずだ。もしかすると、いいジョークを思いつくかもしれないし、あるいは、フォトショップでJPG画像を完璧なものにできるかもしれない。真に磨きぬかれた作品を作り上げるためには、読み返した上であらゆる欠点を取りのぞかなければならない。なるほど、確かに最初から完全な原稿を書き上げられる人もいるかもしれないが、ほとんんどの人にとっては無理な相談だ。シェイクスピアですら、自分の戯曲を読み返して磨き上げるのに時間をかけていた。

「××××」の規則: 愚かにふるまうことや、悪趣味が面白いとは限らない

一文ごとに合衆国海兵隊の鬼軍曹のように罰当たりな言葉を叫んだり、悪趣味なことに触れねばならない理由はない。多くの時代遅れでありきたりなジョークは、愚劣あるいは罰当たりな「オチ」で終わっている。これらは大抵つまらない。次の日に二日酔いの頭を抱えながら読み返してみれば、なおさらだ。愚かさがジョークを面白くすることは、非常に数少ない、非常にまれな状況でしかおこらない。どうか、愚かさを君のユーモアの基本にしないでほしい。愚かなジョークとしては、赤ん坊の死体そのものと同じくらい吐き気のする「赤ん坊の死体ジョーク」の受け売りがある。ショッキングな要素というくそったれな松葉杖に頼るのではなく、オリジナルに匹敵するネタを考え出すか、せめてオリジナルの手法に加われる程度のネタを考え出せ。

誰もがスカトロジー・ユーモアを好きだとは限らない。正味の話、多くの人々がスカトロネタは子供じみた不愉快なものだと思っており、君の作った記事を目にしないためだけに、アンサイクロペディアに来ないようになってはならない。君が排泄やおならを面白いと思っているからといって、他のみんながそう思っているとは限らないのだ。

ゲイ・ジョーク(ホモネタ)。この文章が書かれている現時点において、アンサイクロペディアでの「gay」(ホモ)という単語は、「the」ほどの反響も呼び起こさない。「ゲイ」という言葉を書き加えることや、世間のさまざまな人物の両親がゲイだと書くことは、記事を愉快にするのではなく――小学一年生が書いたもののようにする。もう一度言う、オリジナルに匹敵するものを考え出せ。

紋切り型は避けよ

多くの独創性に欠けた使い古しの定型文。たとえば、

「○○は、△△により発明された」

「○○とはロックバンドである」

「○○は、△△の大統領であった」

無限ループページ。このカテゴリはもう満杯だ、これ以上は必要ない。

ただ、「○○を参照せよ」とだけ書かれた記事(他の記事に飛ばしたいなら、#REDIRECT [[○○]]と書けばいい)。

事実の完全な正反対の主張。

「○○という人物は……××のあった時代に……△△をした……死後は□□……」。馬鹿なだけで、ちっとも面白くない。

文脈とほとんど、あるいはまったく関係のない映画やテレビからの引用。このネタは、特に「トリビア」の項で多用されている。

意味もないのに異次元について書く。例: 「○○は4次元を通り抜けるのに伝統的に使われている」。これは大昔から使われているネタで、ちっとも面白くない。



もちろん、上のような定石を用いる正当な理由がある場合もある。しかし、君が良いものを考え出せる時にも、これらはやっつけの定義文として、非常に頻繁に使われている。

例: 「マングースは、紀元前1378年にオプラにより発明された」

例2: 「
カービィは、1185年、壇ノ浦の戦いで殺された平家の武者の生首から誕生した」

例3: 石川啄木は、早稲田大学大隈重信の銅像の隣にある、世界で一本だけの木。よくキツツキにつつかれている。つまらない記事。

例: 「ジョージ・W・ブッシュとは、同性愛者解放に貢献した、極めてリベラルな共産主義者である」

例2: 池田大作とは、政教分離に貢献した、生粋の日本人の政治家である。つまらない記事。上の例よりはましだが、まだまだである。

例: 「創造論とは、神がとても退屈していたという説である。六日間かけてこの惑星を創造した上に、もっと時間がかかったように見せかけるため、いくつもの冗談を仕込むほどだったからだ」愉快な記事! なぜか? このネタは使いまわしではなく、かつ神が変人だったという明白なギャグを仕込んでいる。


トリビアの項などにありがちだが、筆者が一人称を多用したり、そうでなくても筆者の一人称視点で語るような文章は避けてほしい。

3秒で考えついたジョークは、大多数の人間が思いつくジョークであると考えるべきだ。彼らの大部分は、そのジョークを別々のページで作るだろう。その結果は、つまらない記事の乱立だ。

非常に巨大な数。2193732483249や9999999999999のような数字は、基本的に使うべきではない。多くの場合は、もっと小さくて切りのいい数字の方が面白い。ただ、こういった巨大な数字は、誇張という手段では有効に使えることがある。

馬鹿げた年月日はただ読者を混乱させるものでしかなく、面白がらせることはない。肝に銘じよ。君は読者に記事の内容を読んでもらいたがっているのに、読者はそれに目を通すことなくナンセンスで支離滅裂な記事と決め付けて、立ち去っていく。記事がタイムトラベルに関するものでない限り、馬鹿げた年月日は読者を笑わせはしない。それはただ、読者に読むのをやめさせるだけなのだ。

有名人。本当に、彼らはなんでもやったのだろうか? 君が記事と関係のない著名な人物の名前を書き込みたいのなら、扱っている内容に沿う形にすべきである。例えば、「市川海老蔵はピカチュウとマレフィセントの娘である」は無意味なたわごとだ。しかし、「市川海老蔵はオマール海老と瀬戸内寂聴の息子である」と書くのは良い。海老蔵は明らかにこのふたりの子供ではないが、オマール海老とは名前で海老つながりだし、瀬戸内寂聴とは深刻なDQNという点で明確なつながりがある。文章の中には、常に論点を仕込んでおくことを忘れるな。もし君の文章に論点がなければ(でたらめに書くことが目的である場合を除いて)、読者はそれを読もうとはせず、そっぽを向いてしまう。

使い古されたジョークは避けよ

ここは、死ぬほど繰り返されて聞き飽きたジョークを投稿する場所ではない。ごく少数の人間以外にとって、もはやそれらのジョークは面白いものではなく、ここに投稿するようなものではない。
陳腐なジョークの例 - 漫画や映画、ネット文化の有名ネタなど


ドラえもんアンパンマンなど、有名なアニメのキャラクターをむやみやたらと持ってくること

2ちゃんねるの有名なネタ、アスキーアートなど

有名なFLASHアニメ、ニコニコ動画YouTubeのMAD動画などのネタ

陳腐なジョークの例 - アンサイクロペディアの内輪のジョーク


ロシア的倒置法

オスカー・ワイルドなどの有名無名の人物の語録。

あああああああああ!誰も気にしない禁則事項へのリンク。

Uncyclopedia:とっさの一言テンプレート一覧に掲載されているテンプレートの利用。

ヒトラーイエス・キリストなど有名人の架空の伝記。

ウィキペディア陰謀論すべて。

Hydeの身長は156cmネタ

陳腐なジョークの例 - 使い古された一般的なジョーク。


売春婦。

ソ連、共産主義。

神と悪魔の対立。

下ネタ。

陳腐なジョークの例 - のび太国系記事


人気のある映画、ゲーム、マンガやアニメ等の架空の続編など二次創作にあたるもの。

新しいポケモン。

新しいテキストゲーム。

新しいエクストリームスポーツ

盗作するな

やあ、この間のテレビで『史上最高の面白映画パロディ』を観たのかい? 頼むから、ありもののネタをそのまま一字一句書き写すのはやめてくれ。ぜひとも、「
君は牛を二頭持っている。」スタイルのようにジョークを書き足すか、もしそれが有名なジョークなら、ジョークそのものをジョークのネタにしてほしい。言っておく。そのジョークを君以前に見聞きした者がいないと確信が持てたときに、ジョークを投稿せよ。しばしば少数の人々は、自分が理解している元ネタを参考に、驚くほど巧みにジョークを膨らませられる。けれども、それは本物のユーモアでなければならず、内輪受けのジョークにとどまるものであってはならないのだ。

メタ・ユーモアは君が思うほど面白くない

僕らはお互いにからかいあったり、アンサイクロペディア内ではびこっている現象を小馬鹿にしたりするのが大好きだが、アンサイクロペディア内のすべての出来事や、人物や、流行に、記録する値打ちがあるわけではない。なんでもかんでも記録しようとすることは、利用者についてのぞっとしない記事や、些細で面白くもない出来事の記録や、アンサイクロペディア内に「流行」を作り出そうとする試みに結び付く。一般的な現象がそれ自身の記事を持つに値することは滅多になく、『 ⇒オスカー・ワイルドの架空箴言集』のような大規模な現象にしかあてはまらない。また、元ネタとなったユーモアを完全に殺してしまわないためにも、これらの記事は慎重に制作されねばならない。次のように考えるのだ。メタ・ユーモアは良質な熟成されたワインに似ている。熟成されたワインが良質のものであるためには、ただ長い間寝かされていただけではなく、ワイン自体の品質が高くなければならない。百年間寝かされていた腐ったワインは百歳のワインかもしれないが、それはただの腐ったワインに過ぎない。
3ff4 内輪のジョークは控え目に

君と三人の友達にとって面白いからといって、僕らにも面白いとは限らない。ほとんどの内輪のジョークは、「その場限りのもの」であるか、その面白さを理解するためには、いくつかのジョーク以外の状況や体験を必要としている。それらを説明するのは難しいし、ジョーク単体ではユーモアは伝わらない。ただし、この助言はアンサイクロペディア内での内輪のジョークにはあてはまらない。君はアンサイクロペディアで記事を書いているのだから、 ⇒
アンサイクロペディアで生まれた公認の内輪のジョークを使うのは、完全に許されている。これがアンサイクロペディアの個性であり、他のワナビーなパロディウィキとは違う点だ。

もうひとつ注意: アンサイクロペディアで、君の内輪のジョークを認めさせる足掛かりを得ようとしてはならない。それが本当に抱腹絶倒のジョークでないかぎり、それは君にとって時間の無駄であり(おそらく、それは削除されるだろう)、僕らにとって時間の無駄だ(君の労作の削除に費やす時間で、20匹分の仔猫をハフィングできる)。

画像は賢く使え

画像は、優れたジョークをより完璧なものにしてくれる。ただし、その画像がよくできている場合だけだ。トニー・ブレアの顔面を
MSペイントで切り刻んだものは、よくできた画像ではない(君が風刺を目的として、わざとひどいものに見せたい場合以外は)。きちんとした画像をペイントで素早く仕上げられる者もいるかもしれないが、画像の制作には時間をかけ、GIMPやフォトショップのような専門のアプリケーションを使うのが賢明である。あと最も重要なことだが、インターネットで拾ってきた使い古しの画像を使ってはならない。たとえ君が自分以外の誰もその画像を見たことはないと思えても、君自身の創造力で画像を作り上げる方がいい。馬鹿にならずにバカバカしくやる方法 (画像編)も見ればさらによく分かるだろう。

偏見はユーモアの代わりにはならない

偏見でユーモアを代用してはならない。アンサイクロペディアでは偏見や非中立的な観点は許容されており、しばしば推奨行為となっているが、ただ「
マクドナルドのハンバーガーの全ての肉はミミズである」とか、「SUMOUは日本が世界に誇る国技であり、八百長など一切ありえない。SUMOUの八百長がニュースになったのは、マスコミのでっち上げだ」とだけ書くのはつまらない。そのかわりに、それらの事柄がすばらしい、あるいはひどい理由について、念入りに説明するのだ。世界は君を中心に回っているのではないことを忘れるな。君の作品は人を傷つけるものではなく、愉快なものにしなければならない。もっとも、愉快なものと人を傷つけるものの境界線など極めて曖昧であるため、最終的にはクレーマーが勝つのである。それはもうしょうがないと諦めてもらうしかない。クレーマーに付け込む隙を与える質の悪い記事を書く君が悪いのだ。

また、管理者が明らかな偏見を削除したからといって、その管理者が記事の主題について、君と反対の意見を持つわけではないことを注意しておく。多くの場合、削除は個人的なものではない。管理者は追加される記事を整理し、アンサイクロペディア本体と同じように、他の記事の精神と沿うものにしなければならない責任を負っているのだ。

この惑星にいるのは男性だけではない。これは当たり前に思えるかもしれないが、しばしば見落とされる。女性が存在していないふりをしたり、女性を嘲りの対象にすることぐらい、アンサイクロペディアで女性は歓迎されていないと思わせるいい方法はない(もちろん、パロディとしてなら別だ!)。あまり女性を馬鹿にし過ぎると、最近は過敏になったフェミニスト団体が突撃してくる。バカ発見器には過激派フェミニストがウヨウヨいるので、彼女達の行状を見て、如何に彼女達の逆鱗に触れない程度に下品な記事が書けるか、ひたすら考えるべきである。また、同性愛についての記事で、レズビアンについてはお茶を濁すか、ほとんど無視されていないだろうか? 市民権の記事で、女性による権利のための運動は忘れ去られていないか? 小さな偏見も、積み重なれば大きな偏見となる。しかし、日本では神無月の巫女を筆頭に(二次元に限り)レズは至宝とされているので、あまり注意喚起をする必要はないかもしれない。

嫌味はユーモアの代わりにはならない

(この項は、「偏見」と「正反対」の項の補足である)

ひねりのないあけっぴろげの嫌味をそのまま主張することは、愉快なものというよりは、政治的な怒りや不満のように聞こえる。以下の例を見よ。

例: 「アメリカは世界に好意を持っていた。誰がそんなものを欲しがった? 結局、好意は金にはならない(そうだろ?)」つまらない。外交政策に不満を持っている誰かが、その不満をぶちまけているようにしか聞こえない。この例では主張をユーモアでやわらげるのではなく、ただアンプで増幅された行進曲のように遠回しに、嫌味の対象をひたすら叩こうとしている。このような文章はあからさまに政治的であり、まるで執筆者が動転しているか、あるいは選挙権を剥奪されたかのように見えて、ある一方の立場を擁護し、他方の立場を挑発するという目的の役には立たない。この例は切れ味が鈍く、どちらかと言えばユーモアに乏しい。主観的な論説文を書くことは面白い場合もあるが、上の文章は記事の残りのユーモアを殺してしまうものでしかない。

例: 「十字軍とは、11世紀から13世紀にかけてテキサスのジョージ一世(モーゼの燃える柴(ブッシュ)で有名)により開始され、その相続者であるジョージ二世に受け継がれた一連の軍事行動である。中東のイスラム教徒らを征服して、聖なる「W」の刻印を額に焼き付けることがその目的であり、これによりアメリカは善意と信頼へのいかなる関心をもかなぐり捨てて、トランペットを吹き鳴らし、赤と白と青に染められた旗を振りかざして、ドン・キホーテのようにバグダッドへ進軍した。アメリカ万歳!」面白い。なぜか? この例は上の例よりも明らかに陽気であり、確実に遠回しである。あからさまに政治的であったり嫌味ではなく、風刺としての資格を備えている。大笑いできるものではないが、少なくとも怒りや不満のようには聞こえない。この例は、まるで馬鹿を装おうとした者が書いたかのようだ。むしろ、実際の真実に触れることなく真実に迫った、プロによる公式の文章のようにさえ見える。


実際の話、切れ味が鈍くひねりのない嫌味はユーモラスではない。他人が風刺を上手く使いこなしている場合は、なおさらである。

記事の形式によるジョーク

いくつかの記事では、記事で扱われている主題そのものを記事の形式にすると面白いこともある。例を挙げれば、ニヒリズムは空白記事である。冗語法は冗長であり、何度も反復され、内容を繰り返している。英語版にあるその他の良い例としては、 ⇒ゾーク、 ⇒ネットハック、 ⇒、 ⇒誤導、 ⇒狂気、 ⇒御託、 ⇒リダイレクト、 ⇒J・D・サリンジャー、 ⇒なんちゃってラテン語、 ⇒頭韻、 ⇒ウラジミール・ナボコフ、 ⇒ロシア的倒置法、他にもたくさん。
その他

身分の逆転という技法がある。例として、街を歩いているときにうっかり総理大臣とぶつかってしまったとしよう。彼は何度も謝ってくるが、君の顔を見て驚いたかと思いきやいきなりサインを要求してきた、なんてことになったら面白いだろう。

皮肉という技法も良い。ちょっとした皮肉が記事のユーモアにいい起点を生む。街を歩いていた男性が救急車に轢かれて、急いで降りてきた救急隊員が「しまった、誰か早く救急車を呼んでくれ!」などと言い出したら、これは有望なユーモアの素となるだろう。

助言

コメディアンたれ: ナンセンスと正反対についての助言を忘れるな。首尾一貫し事実に近いものの方が、純粋なナンセンスより面白い。

しばしば、専門家による公式文書のような文体は、ユーモアをより弾けさせてくれる。君の記事をどのような調子で書くかを、よく考えるのだ。専門家による百科事典のような調子で書くべきか、それとも、風刺の手段として間抜けのたわごとのように書くべきか? 作品は弾けたものになっているか? 記事の内容をよりよいものにしてくれる、さまざまな文体を試してみよう。

文章の書き方について: 残念ながら、ユーモアの文章作法というものはないし、それについて書くことは難しい。多くの場合、ユーモアは規則に従うことではなく、規則を破ることから生まれるのだから。けれども、日本語共通の文章作法というものはある。しっかりとした文章作法についての知識は、君を優秀なユーモア執筆者にしてくれる。

記事のアイデアがなにも思いつかないって? 記事「創作の過程」を読んでみよう。

どうか、アンサイクロペディアをより愉快で機智にあふれたものにしてほしい。この案内のために時間をさいてくれて、ありがとう。
関連項目

記事を書く際のアドバイス

編集の仕方 - 編集の方法などを簡略に。

サンドボックス - 練習・実験の場。wiki文法に慣れていない利用者はまずここで慣れよう。テンプレート用もあるぞ。

4013 馬鹿にならずにバカバカしくやる方法(画像編)

編集の心得 - 編集する場合に必ず覚えるべし。

創作の過程 - アイデアの見つけ方。

記事作り方コンベンション - アンサイクロペディアの先輩達が実際の創作過程を発表しあっている。


悪意や害意で記事を作らない

君の記事が削除されたら

糞記事の書き方 - 糞記事の一覧と書き方。反面教師にするべし。

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更新日時:2018年4月4日(水)14:05
取得日時:2018/05/14 13:16


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