FC東京
ご協力下さい!!
★暇つぶし何某★

[Uncyclopedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

…2000年(J1)[編集]この年、FC東京は序盤に快進撃を見せ、「東京旋風」と呼ばれるなど話題を作った。しかし第5節に一旦首位に立ってからはみんなに勝ち星と順位を譲ってあげ、最終的に7位でシーズンを終える。
2001年(J1)

味の素スタジアム(当時の名称は「東京スタジアム」)が完成したことにより、観客数は飛躍的に増加。成績も飛躍的にアップ・・・と思ったら8位でシーズンを終了。前年より落ちているが、これはこのチームがJ1において、よりいっそう「慈悲」の心を学べたからである。きっとそうだ。
2002年(J1)

開幕戦で、去年優勝した鹿島国代表から4点を奪い圧勝。サポーターに期待を持たせるが、シーズン序盤に主力選手が「故障」という形でサブに出場機会を与えた結果、結局9位で終了。
2003年(J1)

この年も序盤は勝っていた。ここから徐々に勝ち星と順位を譲っていってあげるのがいつものFC東京なのだが、譲るタイミングを取り損ね、最終成績4位で終了。
2004年(J1)

前年の好調を「調子に乗っていた」と見るか、「何か考えがあった」と見るか、「誰も気にしない」と見るかは人次第である。が、今年はきっちり8位でリーグ戦を終える。尚、地味にこの年のJリーグヤマザキナビスコカップを制していたりするのは誰も気にしない
2005年(J1)

この年の順位が10位だったというのは別にどうでもいい。そんなことよりも ⇒最終節、どうしても優勝したかった大阪の青い人を優勝させてあげるために、その隣の桃を駆除してあげたことである(そっちも優勝したかったと思ってたに違いないがそんなことは誰も気にしない)。また、夏には、前述のとおり、灰皿を欲しがっていた隣の緑のサポーターに灰皿をわけてあげ、偉い人特別表彰を受けた。しかしそうした優しさには順位はついてこないというのが世の中の常である。
2006年(J1)

この年の順位についてはもはや関係ない。前年、ガンバ大阪を想うあまりに犠牲にしてしまったセレッソ大阪には、お詫びの念もこめて特別席をプレゼントし、大変喜ばれた。
2007年(J1)

旧JFLの時代から地味に10年間続けてきた開幕戦連勝記録があったが、区切りもいいのでサンフレッチェ広島に勝たせてあげる。ただ影から他のチームの活躍を見守り、12位でシーズンを終える
2008年(J1)

忘れたころにやってくるのがFC東京である。夏場こそ2323であったが年間を通じて優勝戦線に絡み、最終的には6位であった。しかしそれよりも重要なのは、 ⇒最終節、降格必至と思われていたジェフ千葉に2点を先行しながら、後半29分から11分間で4点をとらせてあげ、千葉をJ1に残留させてあげたことである。なお、そのせいで隣の緑色がJ2に降格したことについては誰も気にしない
2009年(J1)[ 3fd4 編集]

いいことをすれば必ず返ってくる、ということを世間に示してくれるのもまたFC東京である。リーグ戦5位、ナビスコ杯優勝、ついでにGK権田修一がリーグ戦の年間完封試合数タイ記録を打ち立てる。まあこれが人徳というものなのである。
2010年(J1)

この年は、なぜだか勝つでもなく負けるでもなく引き分けるでもなく、よくわからないまま15位で最終節を迎える。しかし、ここでFC東京が本領を発揮する。最終節直前、GK権田修一が「浦和川崎に期待する」ということで、自らの身を犠牲にしてまでも、勝ち点1差で16位だった神戸をJ1に残留させてあげる。
2011年(J2)

久々のJ2で、隣人と再会。しかしそこにはかつてのライバルの姿は無かった。「J2に落とされて、そのまま上がってこられないかつてのライバルのためにも、自分がJ1に上がって福祉慈善事業をしないといけないんだ」と思い立ち、再びJ1へと旅立つ。この年の天皇杯では、その他のJ2のクラブへのへのお詫びの念からついに最後まで負けず、元日の国立競技場に晒し上げられるという道を自ら選ぶ。
2012年(J1)

年間10位で終わったのは別にどうってことない。天皇杯では、初戦であたったJFLの横河武蔵野FCに勝利をプレゼント。
主な登場人物ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「FC東京の選手一覧」の項目を執筆しています。
GK

権田修一

言わずと知れた日本代表の第3GK。2009年、それまでの正GKであった塩田仁史が病気になったことから、その座を譲ってもらった。

2010年の最終節には「浦和川崎に期待する」ことで、降格寸前のヴィッセル神戸を救い出してあげるなど、他人を思いやる広い心の持ち主。その結果自分のチームがどうなったかについてはお察し下さい。2017年に海外に行きたいとクラブと契約解除したが、結局サガン鳥栖に行ったことは誰も気にしない
DF

長友佑都

言わずと知れた日本代表のDF。ルーキーイヤーであった2007年は干されまくっていたが、その後覚醒。加地亮にも負けないスーパープレイヤーとなる。2010年イタリアのクラブが「欲しい」と言って来たので、渋々ながら行ってあげる。

今野康幸

言わずと知れた日本代表のDF。2005年にはガンバ大阪を優勝させてあげた優しい人。2012年にはそのガンバ大阪へ移籍し、チームを更なる夢の境地へ導く。ほんとうにやさしいひと。

徳永悠平

言わずと、知れた、日本代表の、DF。オリンピックでは、同じオーバーエイジ枠で召集された吉田麻也に観客の目線から何からすべて譲ってあげたやさしい人。
MF

高橋秀人

いわずとしれたにほんだいひょうのMF。 ⇒ウィキペディアにはなぜか「DF」と書かれているが黙って許してあげる。
FW

李忠成

言わずと知れた日本代表のFW。2011年アジアカップの決勝、オーストラリア戦で決めたボレーシュートはあまりにも有名。


ご協力下さい!!
◇暇つぶし何某◇

[次ページ]
[記事の検索]
[おまかせリスト]
[ブックマーク登録]
[mixiチェック!]
[Twitterに投稿]
[オプション]
[Wikipediaで表示]
[話題のニュース]
[列車運行情報]
[暇つぶしUncyclopedia]

Size:24 KB
出典: フリー誤報百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
担当:FIRTREE