鯛焼問題
[Uncyclopedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

…問題の所在[編集]Kanonにおける月宮あゆ食い逃げの事例は、民法・刑法の両法域にまたがる諸問題が凝縮された好例として、つとに法学畑周辺に生息するエロゲオタから「鯛焼問題」と呼ばれ注目を集めてきた。これは、あゆあゆが食い逃げなんかしてお縄を頂戴したり鯛焼屋が内容証明とか出してきたらどうしようと勝手に心配して貴重な時間を浪費するという、栗まんじゅう問題にも匹敵する真琴に誠に非生産的な活動のことである。
事例の概要

Kanon本編において、1999年(平成11年)1月7日[2]に発生した本事例の概要は、事例

あゆは、財布をどこかに忘れてきて現金を所持していないのに、それと知らずに、屋台において営業する鯛焼屋に対し、鯛焼き5個を自己のために製作して渡すよう注文した。鯛焼屋は、この注文に応じて鯛焼き5個を製作し、あゆに手渡した。

あゆは、ただちに代金を支払おうと考えたが、そこで初めて自己が現金を所持していないことに気付いた。

ところが、あゆは、「すごくお腹がすいて」いるから何としても鯛焼きを食べたいと思い立ち、「後でちゃんとお金払うもんっ!」と考えて、鯛焼きを持ったまま突然その場から走り去り、鯛焼屋の追跡を振り切って逃げた。

なお、この時、あゆは7年前の転落事故が原因で意識不明のまま病院に収容されており、外で活動しているあゆは生霊であった。

というものである。
民法上の問題

あゆと鯛焼屋がどのような法律関係に立つか、特に、鯛焼屋があゆに対してどのような法的主張をなしうるかが問題となる(民法における鯛焼問題)。

もしもあゆが、自分が代金を持っていないことを最初から知っており、にもかかわらず、「代金を支払う代わりに鯛焼きを受け取る」という売買契約を結んだのだとしたら、自分が契約の本旨に則って債務を履行する意思がないにもかかわらずその意思があるかのように鯛焼屋に信じさせた(欺罔[3]によって錯誤に陥れた)こととなり、詐欺(民法96条)が成立しよう。しかし、Kanon本編の事例では――あゆの台詞が真実であるとすれば――あゆは、自分は代金を持っていると誤信しているのであり、はじめから鯛焼屋に代金を支払わない意思で鯛焼きを注文したのではないから、あゆに詐欺は成立しないことになる。

もっとも、鯛焼屋の主張は「代金を払ってほしい(=売買契約によって自分が取得したはずの金銭債権を実現したい)」という一点に集約される。とすれば、鯛焼屋としては、単に売買契約に基づく支払債務の履行をあゆに求めれば足りることになる。

仮に本編中のあゆが嘘をついていて、鯛焼屋に対し詐欺を行っていたのだとしても、民法96条の詐欺の成立が認められるには、売買契約前にあゆが代金を持っていないことを知っていた(そうでありながら注文した、すなわち、支払う意思がなかった)ことを鯛焼屋が主張立証するほかない。現実にも、代金支払い段階で財布のないことに気づくことはしばしば見られる過失行為であるから、あゆの内心において支払う意思がなかったという主観的事情を証明することは、鯛焼屋にとって困難である。この点からも、鯛焼屋としては、あゆの詐欺を立証して取消し(96条1項)をするという困難な道をあえて行く必要はなく、詐欺かどうかはそもそも問題にせずに、端的にあゆに契約上の支払債務の履行を求めるほうが簡便であり、現実に即していると言える。

したがって、民法上の問題は(生霊の法的性質という微妙な点を除けば)さほど大きくないといえよう[4]
刑法上の問題

あゆは、鯛焼屋に対し、どのような罪責を負うか(刑法における鯛焼問題)。鯛焼問題を巡っては、特に、この刑法の領域において議論が交わされることが多い。

鯛焼問題において、代金を支払わずに逃げたあゆの行為が、社会通念上「悪いこと」であるのは間違いない。しかし、国家による刑罰という「劇薬」を持ち出すのは最後の手段とすべきである以上(刑法の補充性)、社会通念上「悪い」ことのすべてが必ずしも犯罪となるわけではないし、そうすべきではない(刑法の断片性)。

刑法には、国民に刑罰を予告し、違反者にはそれを科すことで犯罪を抑止する機能(法益保護機能)と、犯罪となる行為をあらかじめ明文化し、犯罪とならない行為には刑罰を科さないことによって国民の自由を保障する機能(自由保障機能)という、2つの主要な機能がある。そして、刑法の自由保障機能を重視すれば、あゆは金銭債務の不履行に陥っているにすぎず、単なる債務不履行は刑法に犯罪だと書かれていないのだから、あゆに刑法上の犯罪は成立しない、という議論に傾く。

しかし、あゆが鯛焼きを買っておきながらカネを払わず逃げ去る行為が刑法上「許されている」とするならば、他方で鯛焼屋の財産が保護されず、刑法の法益保護機能を害し一般国民の法感情に反する結論を招きかねない。そこで、このような見地からは、鯛焼屋の法益を侵害したあゆはやはり刑法上罪責を負うのではないか、という立論もありえよう。

以下では、鯛焼問題の事例において、どのような論点とその帰結がありうるかを整理してゆくことにする。
民法における鯛焼問題
あゆは民法の名宛人となるか?

民法とは、私的自治の原則に基づく私法の一般法をいう。すなわち、人が自己の意思に基づいて行動し、他人との間に経済的取引や家族関係[5]を持つに至った場合に、人は何をしてよいか、何をしなければならないか(権利と義務)を定めた法が、民法である。そこでは当然ながら、すなわち自然人が行動することが想定されている。民法3条1項が「私権の享有は、出生に始まる。」と規定するのは、「人ならば誰しも当然、出生と同時に権利義務の主体となる」という趣旨である。

しかし、鯛焼問題においては、自然人であるあゆは病院で寝ている一方、外部的に行動しているあゆは生霊なのである。ここで生霊とは、存命中の自然人の有する霊魂が心霊的作用によって外部的に作出される現象をいい、死亡後の自然人から作出される死霊の対概念である。自然人が権利義務の主体だと想定する民法において、かかる生霊が民法の名宛人となるかどうか、問題となる。
A説(生霊否認説)
この見解は、「生霊であるあゆは、法律上存在しないのと同じであり、民法上の何らの権利も取得せず、何らの義務も負わない」と考えるものである[6]。生霊を含む霊魂の類は、およそ現代科学では存在が証明できず、存在しないものが法的主体となることはありえない、ということが根拠とされる。A説からの当然の帰結として、鯛焼屋は、あゆに対していかなる法的主張もなしえない。生霊によって鯛焼きが持ち去られたのは、地震で鯛焼きが滅失するか野犬が鯛焼きをくわえて逃げたのと同じであり、そこには民法上帰責すべき「人」が存在しない。そこで、本事例では、唯一登場する「人」である鯛焼屋だけが損害を引き受けることになり、それはやむをえない、という立論である。しかし、A説のような形式論のみによって、鯛焼屋に一切の法的主張を許さない結論に帰するのでは、あまりに正義公平の観念に反するのではないかとの疑問がある。また、訴訟法的な証明の可否と、実体法的な権利義務の存否とは別問題である以上、A説が「生霊の存在を証明できない」ことを根拠に鯛焼屋の(実体法上の)権利を否定する点にも、論理的必然性がないとの批判があろう。さらに、あゆという自然人の意思こそが生霊を活動させている、という論理構成をとるB説・C1説からは、「あゆは民法上帰責すべき『人』に当たらない」というA説の前提そのものに疑問が呈されよう。
B説(生霊擬制説)
この見解は、そもそも生霊とは、心霊的作用として生起した外部的事実の原因をある存命中の自然人に帰せしめるための機能概念にすぎない、と考えるものである。この見解に立てば、本事例ではあたかも生霊が活動して鯛焼きを持ち去っているかのように見えているが、機能概念である生霊が何らかの行為をしていると観念する必要はなく、端的に「あゆの行為の効果があゆに帰属する」とみれば足りることになる。したがって、「病院で寝ているあゆが、本事例の権利義務の主体になる」と結論される。B説はすぐれて技巧的ではあるが、「病院で寝ているあゆは意識不明(意思無能力)なのだから、あゆの意思と外部的事実との間には因果関係がないのではないか」という批判がなされる。これに対しB説の立場からは、「あゆの意思は生霊に化体されているから、意思無能力とはいえない」という反論がありうるが、これにも「生霊そのものを観念しないとしながら、あゆの意思を認定するためにだけ生霊の観念を持ち出すのは論理矛盾ではないか」という疑問がある。また、生霊が自然人による行為の擬制的な主体だとすれば、死者の霊(死霊)の行為によって人が権利侵害を受けた場合には、生きている自然人が介在しないため被害者は何ら法的主張をなしえず、この点で結論が均衡しないのではないかと批判される。ただし、Kanonには死霊が登場しない以上、この批判は実益に乏しいといえよう。
C説(生霊実在説)
この見解は、「Kanonの本編中における生霊は、空間の一部を占める物質的な存在と設定されている以上、この実態に即して生霊は実在すると考えるべき」とするものである。生霊の法的性質をいかに捉えるかによって、さらに説が分かれる。
C1説(生霊道具説)
この見解によれば、権利義務の主体になるのは病院で寝ているあゆということになる。その根拠としては、生霊を自然人とみることはできないから、自然人であるあゆが生霊という道具を使って行為を行っていると考えるのが、最も実態に即している、ということが挙げられる。C1説に対しては、病院で寝ているあゆは意識不明だから意思能力がないはずではないか、という批判がありうるものの、C1説の立場からは、「本事例では、あゆは生霊という一種の道具に自分の思考の座を移しているのだから、病院で寝ているあゆ本体が意識不明でも、道具を介して意思を働かせ行為をしていると考えれば、あゆに意思能力はあるとみてよい」との反論がなされる。また、C1説には、死霊の行為によって人が権利侵害を受けた場合と結論が均衡しないとのB説と同様の批判がありうるが、これも同様に、Kanonには死霊が登場しないから議論の実益がないとの反論が可能であろう。
C2説(生霊準自然人説)
この見解は、生霊として活動しているあゆが権利義務の主体になるとするものである。その根拠には、生霊はヒトと同様に言語の使用や直立二足歩行という特徴を有し実質的に自然人と何ら変わらない能力を有しているから、法的には自然人に準ずる評価をすべきである、との判断がある。C2説には、死霊の行為による権利侵害を生霊の場合と統一的に処理できる便宜がある。他方、民法3条1項は自然人の権利能力の始期を「出生」と定めているところ、生霊の「出生」をいかなる時点に定めるかが不明確ではないか、という批判にさらされる。さらに、生霊のあゆが病院のあゆと別個独立の自然人だとすると、生霊がどんな乱暴狼藉を行っても病院のあゆは一切関係がないため、生霊が後日奇跡で消滅すれば誰も責任をとらずにすむので(あゆの「逃げ得」となる)、鯛焼屋に酷であり、不当ではないかという批判がある。ただし、これに対しては、民法110条類推(表見法理)によって生霊のあゆの行為を病院のあゆに帰責できる余地がある、と考えられる。

あゆへの責任追及を一切認めないA説に立つと、被害者である鯛焼屋をまったく救済することができず、結論として明らかに不当である。そこで、何らかの理論構成によってあゆに自然人としての法的主体性を認めるべきであろう。B説では病院で寝ている意思無能力のあゆと、生霊が引き起こした現象との因果関係を認めにくく、鯛焼屋の保護を図りにくい点で不都合がある。他方、C2説は「自然人」の概念を拡張しすぎるので、実定法の解釈としては無理があると言わざるをえない。結局、事実の自然的な観察に最も合致し、かつ不都合も少ないC1説をよしとすべきではなかろうか。
鯛焼供給契約の法的性質

あゆと鯛焼屋との間には、「鯛焼屋が、鯛焼き5個をあゆのために製作し、これをあゆに渡すと引換えに、あゆが金銭を支払う」旨の契約[7]が締結されたと考えられる。この契約は、鯛焼きの製作と供給とを内容とする、いわゆる「製作物供給契約」である。

ここで、製作物供給契約とは、「製作者が注文者の注文に応じて、目的物を製作し、かつ、その物を注文者に供給する債務[8]を負うこと」と、「注文者がこれに対して金銭を支払う債務を負うこと」を内容とする契約をいう。この契約類型は直接には民法に規定されていない(無名契約)ものの、売買契約(555条以下)と請負契約(632条以下)の両方の性質を併せ持つと考えられる。しかし、売買契約と請負契約とでは適用される規定が異なるので、どちらの規定を類推して製作物供給契約に適用すべきかが問題となる。以下の2説がある。
A説(峻別説)
製作の目的物が代替物の場合は純然たる売買契約とし、不代替物の場合は純然たる請負契約とする[9]
B説(混合契約説)
請負と売買の混合契約であると解し、製作の側面においては請負の規定が、供給の側面においては売買の規定が適用されるとする。

A説に立てば、鯛焼きが代替物であることは明白であるから、本事例の鯛焼供給契約は純然たる売買契約である、と説明されることになる。また、B説に立つと、鯛焼屋が瑕疵のない鯛焼きを製作したという本事例の事実関係の下では、あゆの代金不払いをめぐる問題は供給の側面に属するから、売買の規定が適用されると説明されることになる。

したがって、製作物供給契約の法的性質についていずれの学説をとるにしても、本事例における鯛焼供給契約がもっぱら売買として扱 7f39 われるとの結論に違いは生じない。そこで、以下では本事例の鯛焼供給契約を、簡単のために「鯛焼売買契約」と呼ぶことがある。
鯛焼売買契約の有効性

契約の成立には、契約の成立要件と有効要件とが満たされる必要がある[10]
成立要件

契約の成立要件とは、2当事者による互いに対立する意思表示が一致すること(申込みと承諾の合致)であり、互いの意思の表示のみで足りる[11]。ここでは、あゆの「鯛焼きくださいっ」という意思表示が申込み、これに対する鯛焼屋の「はい、まいどあり、500円だよ」という意思表示が承諾であり、これらの合致したところに、鯛焼きを目的物とする売買契約が成立する(555条)。

この場合の契約は「鯛焼屋が店頭でただちに鯛焼きを提供し、かつ、あゆがただちに代金500円を支払う」といった内容(現実売買[12])である。双方の会話にはこうした詳細な契約内容が明示されているわけではないが、鯛焼屋の屋台における商取引が上記のような形態を取ることは社会通念上極めて一般的な、慣習に従ったものである。民法92条は、慣習は立派な法源(法的な内容を確定する際のよりどころ)であると宣言しており、特にそれ以外の契約内容を望む意思が表示されたのでない限り、当事者は、あゆがこのような慣習に基づく通常の契約を申し込んだものと解釈するのが普通であるし、またそうすべきである。「くれと言っただけで、買うとは言っていない」といった天才バカボンに登場するような主張は成立しないと考えてよい[13]

売買契約が成立すると、目的物の鯛焼きの所有権が売主の鯛焼屋から買主のあゆへ移転し、売主の鯛焼屋は鯛焼きを引き渡す債務を負い、買主のあゆは代金を支払う債務を負うことになる。

契約の成立に重要なのは、当事者が自己の意思に基づいて「これこれこういう内容の契約を成立させたい」と考え(効果意思)、それを相手方に表示しようと考え(表示意思)、そして現に表示すること(表示行為)である。それゆえに、もし契約の要素の錯誤(=その部分に食い違いがあったら誰も契約を結ばないわなあ、と社会通念上考えられる程度に重要な内容の食い違い)があったなら、そのような契約はもはや意思に基づいていないのだと評価され、無効(95条本文)[14]となるのである。
有効要件

申込みと承諾の合致がないところに、契約は決して成立しない。とはいえ、申込みと承諾が合致すれば必ず契約が成立するわけではない。以下の4つの有効要件がある。
確定性: 当事者が何をすればいいのか、契約の内容が確定していること。例えば、「探し物っていうのが何なのかわからないんだけど、とにかく何か探し物をしてほしいんだよっ」という内容の契約は、何を探せばよいのか確定できないので、無効となる。

実現可能性: 契約の内容が、実現可能であること。例えば、祐一が水瀬家一室に無償で住まわせてもらう使用貸借契約
を秋子さんと締結したが、実は締結前に水瀬家が地震で全壊していたという場合、この契約は原始的不能(契約締結前から実現不可能)で無効となる。住もうにもその家がないからである。

適法性: 契約の内容が、法律の規定に反しないこと(91条参照)。例えば、もし祐一と名雪(4親等の傍系血族)との婚約[15]が行われればそれは有効であるが、祐一と秋子さん(3親等の傍系血族)との婚約であれば734条1項本文に反し無効となる。

社会的妥当性: 契約の内容が、社会倫理に照らし妥当であること(90条参照)。例えば、「畳針を1000本飲め」という身体の傷害を内容とする契約[16]は、個人の尊厳・人身の自由という人間の本質的価値を侵害し、社会倫理に照らし明らかに不当なので、無効となる。

これら有効要件は、その契約について紛争が生じたとき、「裁判所という国家権力が実力を行使してでも、その契約は実現させるに値するのか?」ということをチェックするためのものである。裁判所としては、法や社会倫理に反した請求を認めるべきではないし(クリーン・ハンズの法理)、実現不可能なことやそもそも何をするのか確定していないことを裁判所が命じても意味がない。そこで、上の4つを全て満たしたものだけを、法が助力すべき有効な契約として成立させるわけである。無効な契約は、はじめから成立しなかったことになる。
鯛焼売買契約の成否

では、本事例の鯛焼売買契約は有効に成立しているのか。成立要件については、鯛焼屋が契約を締結したことが95条の要素の錯誤に当たるかが問題となる。

また、有効要件については、確定性・適法性・社会的妥当性については問題なく満たしているが、鯛焼問題のあゆは「財布をどこかに忘れてきて現金を所持していない」のであるから、契約内容に実現可能性があるか否かが問題となる。
A説(有効説)
鯛焼屋は、あゆに鯛焼きを売り渡し、あゆから代金を受け取ることを約した点において、錯誤に陥っているとはいえない。また、「金銭債務は履行不能になりえない」という原則を重視すれば、あゆは代金を支払う債務を負ったがまだ履行していないだけであるから、単に債務不履行
(履行遅滞、415条前段)に陥っていると考えれば足りる。
B説(無効説)
この見解は、鯛焼売買契約が現実売買であることを重視する。B説の立論は、「そもそも『金銭債務は履行不能にならない』という原則は、通貨は市場に大量に出回っているから、時間が与えられればいつかは調達できるはずという根拠によっている。しかし、現実売買たる鯛焼売買契約では、鯛焼きの引渡しと同時に代金の支払を行うことが契約の重要な一内容である。とすると、通貨を調達する時間があるという前提を欠く以上、『あゆの債務は金銭債務だから履行不能になりえない』とは言えないのではないか」というものである。契約の無効性を法的にどのように構成するかによって、無効説はさらに2説に分かれる。
B1説(錯誤無効説)
鯛焼屋はあゆが現金を持っているとの錯誤に陥って売買契約を締結したが、あゆが現金を持っていないと知っていれば、鯛焼屋は売買契約を締結しなかったであろうし、そのことは一般の取引通念に照らして至当と認められる。よって、要素の錯誤があったといえるから、鯛焼屋は売買契約の無効をあゆに主張できる(95条本文)[17]
B2説(原始的不能無効説)
あゆは、売買契約締結前から財布を持ちあわせていない。よって、現実売買の内容である「鯛焼きの引渡しと同時に代金の支払をなす」ことは実現不可能であるから、原始的不能で無効となる。

通説的な位置にあるのはA説であり、B説は少数説にとどまる。その理由としては、「金銭債務の履行不能」を観念しにくいという理論的理由と、A説のほうが鯛焼屋の財産的利益を守るという具体的妥当性を図りやすいという実質的理由が挙げられる。

すなわち、売買契約が有効に成立したならば、鯛焼屋は鯛焼きの引渡しという自己の債務の履行をすでに終えているので、売買契約に基づく代金債権の端的な行使として、ただちにあゆに代金を請求でき[18]、その額には履行遅滞の損害賠償として年5%の利息を乗せることができる(404条、419条1項)。

あるいは、鯛焼屋が鯛焼きの返還を求めたければ、あゆの債務不履行に基づいて契約を解除(541条)[19]することも可能である。解除によって売買契約が遡及的に無効となれば、あゆに渡った鯛焼きは法律上の原因なく受けたもの(不当利得、703条)となるから、あゆには返還義務を負う。ここで、解除の場合の不当利得返還の特則として、545条1項本文は「原状に復させる義務」(原状回復義務)を定めている。すなわち、鯛焼屋は鯛焼きを渡した当時の姿で返してもらう権利を得ることになり、あゆがすでに半分食っていて売り物にならないようなときには、原状回復に代わる価格賠償=鯛焼きの製作費の弁償を請求できるのである。

これに対し、売買契約がはじめから無効であるとすると、鯛焼屋は代金を受け取ることはもちろんできない――売買が無効である以上、売買代金は発生しない――のであり、引渡し済みの鯛焼きの返還も、一般の不当利得返還請求(703条)によることになる。703条は現存利益の返還で足りるとしているから、つまり半分食った鯛焼きでも、それをそのまま鯛焼屋に返せばあゆの義務は終わるのである。売り物にならない鯛焼きの損害を賠償させるには、鯛焼屋は不法行為(709条)をあゆに追及するよりほかないが、不法行為責任の認められる要件は一般に債務不履行責任よりも狭き門であり、鯛焼屋に訴訟上の不利を強いることとなる。

このように、売買契約をまず成立させて、あゆにその契約上の債務の履行を求めるか、または不履行の責任を追及するほうが、被害者である鯛焼屋をより厚く保護できるわけである。かかる結論に鑑みても、やはり鯛焼問題においては、売買契約は有効とみるべきであろう。
小括

以上に基づいて、あゆ・鯛焼屋間の法律関係をまとめると、鯛焼屋には以下の2つの選択肢があることになる。

鯛焼屋は、鯛焼売買契約に基づいて、あゆに対し鯛焼きの代金の支払を求めることができ、その場合、あゆの支払うべき額には履行遅滞の損害賠償
として年5%の利息を付すことができる(404条、419条1項。なお、ここで「鯛焼屋は商人だから商法514条で損害金は年6%だろ」などという細かいことにこだわってはならない。)。


鯛焼屋は、あゆの債務不履行に基づいて、相当の期間を定めて催告をした上で、鯛焼売買契約を解除することができ(540条1項、541条)、その場合、あゆに対し原状回復請求(545条1項本文)として鯛焼きの原状での返還を、それができなければ相当な価格賠償を求めることができる。

刑法における鯛焼問題
あゆは刑法の名宛人となるか?

生霊であるあゆを刑法上罰しうるか否かという点には、民法の場合と同様の議論が妥当する。

すなわち、民法におけると同じく、まさに「生きている自然人であるあゆ」が、自己の完全な自由意思に基づき、生霊を一種の乗り物(道具)として行為しているのだと評価すべきであろう。したがって、を使ってガラスを割った舞先輩について器物損壊罪(刑法261条)が成立しうると同様、生霊を使って鯛焼きを奪ったあゆについては、窃盗罪をはじめとする種々の罪の成否を検討しなければならない。
あゆの行為は何の罪に該当しうるか?

刑法とは、犯罪と刑罰に関する法である。より詳しく言えば、人間社会にさまざまある「悪いこと」のうち、国家権力が刑罰という制裁を食らわせてもよい程度に「悪い」行為をあらかじめ列挙[20]して、殺人罪・窃盗罪……などと分類した一覧が、刑法である。事前に犯罪だと法律に書かれていない行為は、たとえ感情的には許せないものであっても、犯罪だとしてはならないのが罪刑法定主義の要請である。さもなくば、法律の根拠なしに国家が気に入らない奴をいつでも犯罪者だと決めて処刑できることとなり、そのような国は先が長くないからである。

犯罪のうち、他人の財産を侵害する犯罪は総称して財産罪と呼ばれており、刑法235条以下には、窃盗罪をはじめとする財産罪のさまざまな類型が規定されている。鯛焼きは財産であるから、これを持ち去ったあゆには何らかの財産罪が成立する可能性がある。そこで、財産罪のうち、本事例に明らかに該当しないものを消去法的に外してゆく[21]と、結局、

一項詐欺罪(246条1項)

二項詐欺罪(246条2項)

窃盗罪(235条)

単純横領罪(252条1項)

占有離脱物横領罪(254条)

の5つの犯罪に候補は絞られる(説明の都合上、詐欺罪を最初に検討することとしている)。これらのいずれがあゆに成立するか、あるいはいずれも成立しないのか、以下で順に検討することとしよう。
一項詐欺罪の成否

刑法は詐欺罪(246条)を2つの類型に分けている。1つめを一項詐欺罪といい、これは人を欺いて財物を交付させる罪である(同条1項)。この「欺いて財物を交付させる」という構成要件は、より詳しくは
欺罔者が欺罔行為を行ったこと

(上の欺罔行為によって)被欺罔者が錯誤に陥ったこと

(上の錯誤によって)被欺罔者が財物の処分行為を行ったこと

(上の処分行為によって)財物が移転したこと

の4要素に分かれると理解されている。これら4つの出来事が、因果の流れに沿って順番に発生し、かつそれらの発生が欺罔者の1個の故意に貫かれていなければ、一項詐欺罪は成立しないのである。

上のことを鯛焼問題について見ると、あゆは当初、自己が財布を持っていると本心から考えて注文をしている。本心から出た言動を指してそれを「欺く」と言うことはできないのだから、あゆはそもそも「1.」の欺罔行為を行っていないことになる。現実にはあゆは財布の持ち合わせがないので、相手方の鯛焼屋はあゆの支払能力について錯誤に陥ってはいるのだが、だからといってあゆが詐欺罪を犯したことになるわけではない。
二項詐欺罪の成否

一項詐欺罪が「財物」という形ある物体を得る罪なのに対し、二項詐欺罪とは、人を欺いて財産上の「不法の利益」を得る罪である(246条2項)。構成要件要素は、ほぼ同様に
欺罔者が欺罔行為を行ったこと

(上の欺罔行為によって)被欺罔者が錯誤に陥ったこと

(上の錯誤によって)被欺罔者が財産的利益の処分行為を行ったこと

(上の処分行為によって)財産的利益が移転したこと

である。

鯛焼問題においては、あゆが屋台から逃げたことによって、事実上代金の支払を免脱したことは「財産上不法の利益」に該当しよう。しかし、あゆは突然走り去ったのみであり、走り去る行為を指してそれを「欺く」と言うことはやはりできない。加えていえば、鯛焼屋としては支払の猶予も何も与えていないので、財産的利益の処分行為が行われたわけでもない[22]。このように、あゆの逃走は二項詐欺罪の構成要件にも該当しないのである。
窃盗罪の成否

窃盗罪は、他人の財物を窃取する罪である(235条)。
あゆは鯛焼きを「窃取した」か?

235条の「窃取」とは、他人(鯛焼屋)が占有している物を、その人の意に反して自己(あゆ)の占有に移すことをいう。では、あゆが鯛焼屋から鯛焼きを渡された後、これを持ち去るために走り出した時点では、鯛焼きの占有は誰に帰属するであろうか。
A説(窃取否定説)
鯛焼屋は鯛焼売買契約を原因として、自らの意思に基づいて鯛焼きをあゆへ引き渡した。この時点から、鯛焼屋は鯛焼きの占有を失い、鯛焼きの占有はあゆに帰属する。よって、その後にあゆが鯛焼きを持ち去る行為は、自己の占有する物を持ち運んでいるにすぎず、鯛焼屋から「窃取した」とはいえない。
B説(窃取肯定説)
占有の有無は、支配の事実と、自己のためにする支配の意思との両面から判断すべきである。確かに鯛焼屋は、鯛焼売買契約を原因とし自らの意思に基づいて鯛焼きをあゆへ手渡しており、支配の事実はあゆにある。しかし、金銭と目的物とを同時に渡しあうことを内容とする現実売買においては、買主が懐中無一文であれば売主? 7ff9 ?返品を要求するのが取引上通常であり、この意味で、いまだ買主から支払を受けていない売主が、目的物の支配の意思を失ったとはいえない。よって、鯛焼きの占有は鯛焼屋に留保されているか、少なくとも鯛焼屋とあゆとの共同占有に帰したとみるべきである。したがって、あゆが鯛焼きを持ち去る行為は、鯛焼屋から「窃取した」といえる。

A説が通説的立場であるといってよいであろう。B説はやや技巧的にすぎ、座りが悪い印象をぬぐえない。

もっとも、比較すべき別事例として、「コンビニのレジで商品を買い、店員から支払を求められたが、財布を忘れていたのに気づいたので、商品をつかんで外へ逃げた」という行為をみると、これは「窃取」に該当し窃盗罪が成立すると異論なく考えられている。B説に立てば窃盗罪の成立は当然であるが、A説に立っても、「店主が支配するコンビニの建物が存在し、この建物の中から商品が犯人の手で店外へ出された」ことが窃取(=コンビニの店主の意に反した占有移転)に当たると考えられているからである。この点、B説からの「被害者がコンビニであろうと屋台であろうと、現実売買の売主の目の前で未払いの商品を持ち去った点を法的には同じに評価すべきであり、店舗の建物があるかどうかで犯罪の成否が異なるA説は不当である」との批判は、傾聴に値するであろう。
鯛焼きは「他人の財物」か?

235条は「他人の財物」を盗むことを禁圧している。235条の「他人の財物」とは「他人の所有する財物」の意であるが、242条には、自己の所有する財物であっても「他人が占有し」ている場合には「他人の財物とみなす」、と規定されている。

235条と242条との関連性については、窃盗罪が侵害から守ろうとしているのは何であるかの理解をめぐり、学説上争いがある(いわゆる財産罪の保護法益論)。しかし、この点についていずれの学説に立つか[23]にかかわらず、本事例では
上でA説を採った場合
鯛焼屋の占有が否定されれば、あゆに窃盗罪の成立の余地はない。
上でB説を採った場合
鯛焼屋の占有が肯定されれば、あゆにとって鯛焼きは「他人の占有する財物」となるから、242条で自動的に「他人の財物」とのみなし規定が働き、あゆに窃盗罪が成立する。

という結論が導かれよう。窃盗罪が成立するのであれば、同一の犯罪結果について他の財産罪の罪種は法条競合の関係に立つので、他罪の検討は不要である。窃盗罪が成立しないとする場合は、次の検討に移る。
単純横領罪の成否

単純横領罪とは、自己の占有する他人の物(他人の所有する物)を横領する罪である(252条1項)。狭義の横領罪、あるいは単に横領罪と呼ぶこともある。

窃盗罪の検討段階で窃盗罪が否定されているので、鯛焼屋は鯛焼売買契約を原因として、鯛焼きの占有をあゆに移したということを前提としている。そこで、

あゆの占有する鯛焼きは、「自己の占有する他人の物」といえるか。

あゆが鯛焼きを持ち去った行為は、「横領した」といえるか。

が問題となる。
鯛焼きは「自己(あゆ)の占有する他人(鯛焼屋)の物」か?

あゆと鯛焼屋は鯛焼売買契約を締結している。すると民法の物権変動における意思主義によると、契約か成立したのであれば、その瞬間に鯛焼きの所有権は鯛焼屋からあゆに移転したことになる。それでは、かかる所有権の移転を、刑法上肯定すべきであろうか。
A説(所有権移転肯定説)
民法上の所有権と刑法上の所有権とは、一致させるべきである。鯛焼きは鯛焼売買契約によってすでにあゆの所有に帰しているので、鯛焼きはいわば「自己の占有する自己の物」であり、「他人の物」ではない。
B説(所有権移転否定説)

B1説(所有権二元説)
刑法の法益保護機能を重視すれば、民法上の所有権と、刑法上保護に値する所有権とを別異に考えるべきである。本事例では、あゆが少なくとも代金の大部分の支払を済ませない限りは、刑法上保護に値する所有権の実質はなお鯛焼屋が有すると解する。よって、鯛焼きはいまだあゆにとって「他人の物」といえる。
B2説(売買契約無効説)
鯛焼屋の錯誤またはあゆの支払の原始的不能があるゆえに、そもそも鯛焼売買契約が民法上も無効であるとの見解を採る(前述「鯛焼売買契約の成否」を参照)。この見解からは、鯛焼きは鯛焼屋の所有物に他ならないのであって、あゆにとっては当然「他人の物」である。

民法の原則に忠実である点でA説は採用しやすいが、疑問なしとしない。というのは、横領罪の典型事例に「預けた現金の流用」があるが、民法上の金銭の所有権は占有につねに一致する以上、民法上と刑法上を一致させるのなら、刑法上も金銭の所有権は寄託者(預けた側)から受託者(預かった側)へと移転したとみるべきであろう。しかし、金銭については刑法上保護すべき所有権は寄託者に留保されており、これを受託者が流用すれば「他人の物」の横領が成立する、とほぼ異論なく考えられているのである。
鯛焼屋の利益の要保護性

上のことから窺えるように、刑法上保護すべき要請がある場合は、「他人の物」性=刑法上の所有権を民法上の所有権とは別個に判断してよいし、そうすべきであろう。問題は、どのような場合にそうするかである。

民法上「金銭の所有権が占有に一致する」と考えるのは、取引安全のための擬制(フィクション)にすぎない。預けた現金の流用事例では、事実を実質的に観察すれば、結局は寄託者が本来もっていた財産的利益(カネ)が正当な理由なく失われ、受託者がその利益(同じカネ)を違法に取得したという構図になる。このような、本来の所有者に属すべき財産的利益こそ、「物の他人性」「刑法の要保護性の見地から認められる所有権」「刑法上保護に値する所有権の実質」のように呼ばれるものの正体であると考えられる。

売買の場合であれば、具体的には、代金の全額ならずとも少なくとも大部分の支払が終わった時点で初めて、売買目的物の「刑法上保護に値する所有権の実質」が売主から買主に移転するのであり、そうしない限りは目的物は買主にとって「他人の物」であり続ける、と解すべきではなかろうか。
鯛焼屋の利益と同時履行の抗弁権

もっとも、本事例では、鯛焼きはあゆにとって「他人の物」でなくなった(刑法上も所有権があゆに移転した)とする見解が支配的であり、その根拠として「鯛焼屋は同時履行の抗弁権(民法533条本文)[24]を放棄した」ということが挙げられる[25]

鯛焼問題に照らしていえば、鯛焼屋は鯛焼きという利益を失うが、その対価として代金という利益を新たに得るはずであった。逆に、あゆは代金という利益を失うが、対価として鯛焼きという利益を得るはずであった。しかし、鯛焼屋は双務契約における同時履行の抗弁権を放棄して、代金という利益を得られないリスクを承知しつつ、鯛焼きという利益を失った。いわば、「刑法の要保護性の見地から認められる所有権」というべきものを鯛焼屋自ら放棄したと考えるのである。そうだとすると、もはや刑法上鯛焼屋を保護する理由がないのだから、あゆに犯罪は成立しないことになる。

この議論は多分に説得的であり、支持されてもいるが、なおも

実際の現実売買では、両当事者が民法533条に基づいて互いに引渡債務と支払債務の履行の提供を求め(=鯛焼きカネが本当にあるか見せろと言いあう)、かつ完全に同一の時点でそれらを履行する(=鯛焼きとカネを実際に渡しあう)というあたかも人質交換のような取引は、ほとんど行われていない。現実売買の多くの場合、一回的な取引の中で両債務の弁済が終わることを互いに期待して、金銭の払渡しや物の引渡しが多少先後しながら履行されるのが社会観念上通常である。そのような事情において、鯛焼屋が積極的に「利益を得られないリスクを承知」したり「財産的利益を自ら放棄」したりする意思を有するとは認めにくいのではないか。


仮に、鯛焼屋が民法上の同時履行の抗弁権を失ったとしても、それを理由にただちに「刑法上保護に値する所有権の実質」を否定することは論理必然ではない。鯛焼屋の意思を主要な根拠として、保護すべき法益が放棄されたからあゆは可罰的でないと言い切るには、いわゆる法益の放棄(処分)についての被害者の承諾[26]の法理を適用ないし準用し、要件を立てて、本事例の事実がそれに当てはまるかを詳しく検討すべきではないのか。

といった疑義はなお残るであろう。そのような立場からは、鯛焼屋は刑法上の保護を失うほどの承諾をなしたとはまだ言い切れないのではないか、との立論もありうる。

具体的には、鯛焼屋があゆの支払を遅らせる承諾は、あゆが財布を持っていて今すぐ支払ってくれることを前提としているから、この点で錯誤があり(あゆは実際には懐中無一物である)、有効な承諾とはいえない疑いがある。さらには、あゆは売買申込みの撤回や支払を遅らせてもらう交渉といった取引上妥当な対応をすることなく、懐中無一物であることに気づくやいきなり鯛焼きを持ち去って逃亡を図っており、この点で被害者の承諾に基づいて行為者がなした行為に社会的相当性がないと言ってよいのではないか、とも考えられるのである。

ともあれ、鯛焼きが「他人の物」に該当しないという見解であれば、あゆには単純横領罪が成立しないし、後述の占有離脱物横領罪も成立しない。したがって、あゆにはいかなる犯罪も成立しないことになる。「他人の物」に当たるという見解であれば、以下、単純横領罪と占有離脱物横領罪の成否の検討に移る。
あゆと鯛焼屋との委託信任関係

横領罪のいう「自己の占有する」という文言からただちには導かれないが、占有離脱物横領罪(後述)との対比から、書かれざる構成要件要素として、横領罪の「占有」はあゆ・鯛焼屋間の委託信任関係に基づいたものでなければならないと、ほぼ異論なく考えられている。そして、かかる委託の趣旨に背いた不法領得の意思の発現行為が、252条にいう「横領」であるとする説が多数である。

鯛焼問題においては、この点、委託信任関係がないとする見解が通説といってよい。物を委託するとは、何らかの使途・目的の定まった任務を任せる(この内容を「委託の趣旨」といってよいであろう)ために、物を預けることに他ならない。とすれば、鯛焼屋は売買の目的物を買主たるあゆに渡したものであるから、そこに何らかの任務があるとは考えがたい。よって、委託信任関係はないと考えられる[27]
横領罪の成否の小括

以上の議論をいくぶん座りのよい構成にまとめるとすれば、一例として、以下のようなものが考えられようか。
まず、上のB1説(所有権二元説)に立ち、鯛焼屋の法益を刑法上保護する要請から、鯛焼きは「他人の物」に該当するとする。

ただし、鯛焼屋が自らの財産的法益を放棄したと認められれば、鯛焼きはあゆにとっての「他人の物」ではないことになり、例外的に構成要件該当性が阻却されると指摘する。

そこで、鯛焼屋が法益を放棄したと認められ、あゆに犯罪が成立しないための要件として、被害者の承諾の6要件を準用すると宣言する。

本事例について、被害者の承諾の6要件を満たすという見解であれば、構成要件該当性が欠け横領罪は成立しない、として終了である。6要件のうち承諾の有効性または行為の社会的相当性を満たさないという見解であれば、鯛焼きは「他人の物」に当たることになる。

次に、占有離脱物横領罪との対比から、書かれざる構成要件要素として、あゆの鯛焼きの占有は委託信任関係に基づいたものでなければならないと指摘する。

本事例では委託信任関係がないので横領罪は成立しない、とし、占有離脱物横領罪の検討に移る。

占有離脱物横領罪の成否

占有離脱物横領罪とは、遺失物・漂流物その他占有を離れた他人の物を横領する罪である(254条)。

この罪を検討する場合は、前述までの議論で鯛焼きの「他人の物」性が肯定されているであろうから、もっぱら法文の「占有を離れた他人の物」の意義が問題となろう。通説的には、この文言は

占有者の意思に基づかずにその占有を離れいまだ誰の占有にも属してない物

または

委託信任関係に基づかずに行為者の占有に帰した物

を意味すると解されている[28]

ここで、本事例では、鯛焼屋は「あゆに現金の持ち合わせがある」との錯誤に陥り、かかる錯誤に基づいて鯛焼きの占有をあゆに移転している。よって、鯛焼きは「委託信任関係に基づかずに行為者の占有に帰した物」に当たる。これを食べるために逃げる行為は、横領すなわち不法領得の意思の発現行為といえる。したがって、本事例で「鯛焼きは鯛焼屋からの手渡しによってあゆの単独占有に帰したが、刑法上はなお『他人の物』に当たる」という見解に立つのであれば、これを持ち去ったあゆには占有離脱物横領罪が成立するといってよいであろう。
「後でちゃんとお金払うもんっ!」の評価

前述までの議論はもっぱら構成要件該当性についてのものであった。行為に構成要件該当性があれば原則として犯罪が成立するのだが、例外的に犯罪が成立しない(そのような行為を処罰してはならない)という場合がある。特別な事情があるために、違法性責任のどちらかあるいは両方が欠ける場合である。きわめて大雑把に言えば、違法性がないとは「悪くない」こと、責任がないとは「仕方がない」ことを意味する。

例えば、「舞先輩が雪かき用のシャベルを持ってきて他人の飼犬をぶっ叩く」のは、器物損壊罪(261条)の構成要件該当行為である。通常、このような行為は「悪い」ことであるし、そんなことをするのが「仕方がない」わけもないだろうから、原則として器物損壊罪が成立する。

しかし、「飼主の管理に落ち度があり、その飼犬が逃げ出して佐祐理さんに噛みつこうとしていた」ので、やむなくその犬を撃退しようとして舞先輩がシャベルでぶっ叩くのはどうか。これは器物損壊罪の構成要件該当行為に変わりはないが、飼主の落ち度がもたらした危険な事態から、大切な親友を守ろうとする行為を「悪い」とするわけにはいかない。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション
Wikipediaで表示
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしUncyclopedia

Size:120 KB
出典: バ科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
担当:undef