鯛焼問題
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…払うもんっ!」の評価[編集]前述までの議論はもっぱら構成要件該当性についてのものであった。行為に構成要件該当性があれば原則として犯罪が成立するのだが、例外的に犯罪が成立しない(そのような行為を処罰してはならない)という場合がある。特別な事情があるために、違法性と責任のどちらかあるいは両方が欠ける場合である。きわめて大雑把に言えば、違法性がないとは「悪くない」こと、責任がないとは「仕方がない」ことを意味する。

例えば、「舞先輩が雪かき用のシャベルを持ってきて他人の飼犬をぶっ叩く」のは、器物損壊罪(2 1640 61条)の構成要件該当行為である。通常、このような行為は「悪い」ことであるし、そんなことをするのが「仕方がない」わけもないだろうから、原則として器物損壊罪が成立する。

しかし、「飼主の管理に落ち度があり、その飼犬が逃げ出して佐祐理さんに噛みつこうとしていた」ので、やむなくその犬を撃退しようとして舞先輩がシャベルでぶっ叩くのはどうか。これは器物損壊罪の構成要件該当行為に変わりはないが、飼主の落ち度がもたらした危険な事態から、大切な親友を守ろうとする行為を「悪い」とするわけにはいかない。そこで、正当防衛(36条1項)の特殊な場合である対物防衛として違法性が阻却され[29]、犯罪は成立しない。

さらに、「飼主の管理に落ち度があり、その飼犬が逃げ出して、その犬は実は何もせずうろうろしているだけだったのだが、舞先輩にはまるで佐祐理さんに噛みつこうとしているかに見えた」ので、やむなくその犬を撃退しようとしてシャベルでぶっ叩くのはどうか。これも器物損壊罪の構成要件該当行為であり、かつ何もしていない犬を傷つけるのは「悪い」(違法性がある)ことなのであるが、舞先輩は大切な親友が危機に瀕していると思い込んでいたのだから、それを防ぐために犬をぶっ叩くのはまあ「仕方がない」よね、ということになる[30]。そこで、誤想防衛として責任が阻却され[31]、犯罪は成立しない。

すなわち、犯罪とは、(1)構成要件該当性、(2)違法性、(3)責任の3つをすべて備えた行為のことをいうのである。

但し、いくら刑法上犯罪にはならないとはいえ、過失が存在する以上は、飼い主は不法行為による損害賠償請求が可能である。
問題の所在

鯛焼問題のあゆについては、前出の構成要件該当性の議論で「いずれの罪の構成要件該当性もない」と判断するのであれば、その時点で犯罪不成立が確定するから、違法性も責任も論じる必要がない。もし窃盗罪・単純横領罪・占有離脱物横領罪のいずれかの構成要件該当性があると判断するなら、本事例では違法性阻却について別段検討すべき事実がないので、責任を検討することになる。

責任――ここで検討するのはもっぱら故意犯なので故意責任――の本質は、「規範の問題に直面し反対動機の形成が可能であったにもかかわらずあえて犯罪行為に出たことに対する道義的非難可能性」であると考えられている。ドイツ刑法の影響で堅苦しい言い回しとなっているが、ありていに言えば「やってはいけないことだと思っていて、だったら大人しくやめとけばよかったのに、それでもやっちゃったんだから、『仕方がない』と言って許されるわけがないよね」というのが故意責任である。

本事例で、あゆは「後でちゃんとお金払うもんっ!」と考えて鯛焼きを持ち去っている。すなわち、後で代金を支払えば罪にならないのだという趣旨と考えてよかろう。もちろんこれは単なる思い込み、すなわち錯誤にすぎず、窃取ないし横領がなされた瞬間に犯罪は完成するから、その後に品を返そうがカネを払おうが一旦完成した犯罪は絶対に消えない。

では、この「後で代金を支払えば罪にならない」というあゆの錯誤は、刑法上どのように扱われるのであろうか。刑法には「錯誤」と名のつく論点がいく? 181a ?か登場するが、ここで重要なのは「事実の錯誤」と「法律の錯誤」の区別である。
事実の錯誤か法律の錯誤か

非常に乱暴な例を挙げると、「舞先輩は相手が魔物だと思い込んで斬ったら実は久瀬だった」という例が事実の錯誤(事実認識の誤り)、「舞先輩は相手が久瀬だと知っていたが、久瀬は魔物にも劣るゲス野郎だから殺しても許されると思い込んだので斬った」という例が法律の錯誤[32]である。両者には、事実の錯誤では故意犯が成立しなくなる(38条1項本文)のに対し、法律の錯誤では故意があるとされ故意犯が成立してしまう(38条3項本文)、という大きな違いがある。

事実の錯誤と法律の錯誤がこのように違うのは、そもそも犯罪の構成要件が、国家が刑罰で制裁する程度に「悪い」行為をあらかじめ国民に予告しておいたものだからである。上記の舞先輩のように、魔物を殺すという(何らの罪の構成要件にも該当しない)行為しか認識していない場合と比べて、人を殺すという(殺人罪の構成要件に該当する)事実を正しく認識していた場合には、たとえ久瀬がゲス野郎だとしても殺人は「悪い」ことなのではないかと考えて――規範に直面して――思いとどまる要請がはるかに強い[33]。このゆえに、「事実の錯誤は故意を阻却するが、法律の錯誤は故意を阻却しない」のである。

鯛焼問題において、あゆは「自分が鯛焼きの代金を売主に払わないまま無断で持って逃げる」という事実の認識に欠けるところはなく、ただそれが「罪にならない」という誤った法的評価を下している。すなわち、あゆが陥ったのは、事実の錯誤ではなく法律の錯誤なのである。したがって、あゆには、原則として故意犯が成立することになる。
学説の様相

しかし、たとえ法律の錯誤においても、ある行為が「罪にならない」と行為者が本当に思い込んでいるのであれば、行為者は規範の問題に直面していない、すなわち「やってはいけないことだと思っていない」といえて、責任がなくなることがないのであろうか。そこで、故意責任の成立に違法性の意識が必要か否かが問題となる。

違法性の意識とは、行為が法律上許されないことの意識をいう(責任の有無を検討するということは、構成要件該当性と違法性はあると判断されている、つまり、あゆの行為は法律上許されないということが前提となっている)。では、「後で代金を支払えば罪にならない」と考えているあゆは、「法律上許されないことの意識」を持っているのであろうか。そもそも、そのような意識がなければ犯罪が成立しないとする帰結が妥当なのであろうか。学説では以下のように考えられている。
A説(違法性の意識不要説)
この見解は、「行為者が違法性の意識をもっていなくても、問題なく故意責任を問うてよい」というものである。「法の不知は宥恕せず」の法格言に基づき、38条3項本文を忠実に推し進めた見解であり、判例はこの説に立っている。しかし、この説に立つと、「大地震で交通が途絶えて官報
(最新の法律などが載る誰も読まない雑誌である)が政府刊行物が買える本屋に届いてなかったからそんな法律ができたなん? 51c0 ?知るわけないよ」という場合でも、とにかく法律にだめだと書いてあることをやれば犯罪だというのであるから(大判大13・8・5)、とうてい妥当な見解とは思われない[34]
B説(違法性の意識必要説、厳格故意説)
A説と正反対に、この見解は「行為者が違法性の意識をもっていてはじめて、故意責任を問うことができる」とするものである。一見妥当なように思えるが、この説も問題がある。常習犯・確信犯といった、やってはいけないことだという感覚が麻痺したり「いやむしろやるべきだ」と確信したりして、違法性の意識さえもっていないどうしようもない犯人に故意責任を問えなくなるからである。
C説(違法性の意識の可能性必要説)
そこで、通説といってよいのが、結論において「行為者が違法性の意識そのものはもっていなくても、違法性の意識の可能性があれば、故意責任を問うことができる」とする見解である[35]。近時の下級審裁判例には、この説に立つと考えられるものがよく見られ、最高裁もこの流れにいくぶんの配慮を示そうとしているようである[36]。この見解は、故意責任の本質の「規範の問題に直面し反対動機の形成が可能であったにもかかわらず」の部分を、「やってはいけないことだと(実際に)思っていて」という意味ではなく、「やってはいけないことだと思うことができたのに」という意味に読みとる。その行為者のもつ法的知識や判断能力をもってすれば、やってはいけないという考えにたどり着けたはずなのに、愚かなことにたどり着かなかったとき、そこに「違法性の意識の可能性」があるとされる。前科ン十犯の凶悪犯でもテロリストでも、ちゃんと頭を働かせれば善悪の判断ができたはずなのに[37]できなかったのは、「仕方がない」といって許されるものではないのである。この見解に対しては、「判断を誤ってその行為に出た、すなわち、いわば過失で犯罪を犯したというべき場合に、故意犯が成立してしまうのはおかしいでないか」との批判もある。しかし、現在のところ最も妥当な結論を導けるので、ほぼ通説的位置を占めているといってよい。
鯛焼問題における帰結

上でC説の違法性の意識の可能性必要説を採用した場合、あゆに違法性の意識の可能性があったかどうかを検討することとなるのだが、これはさほど大きな問題ではない。

本事例のあゆのように、行為者が法律の錯誤のうち当てはめの錯誤(法的評価の誤り)に陥った場合には、原則として違法性の意識の可能性があったとされる。例外的に違法性の意識の可能性がなかったとされ故意責任が阻却されるのは普通、裁判所(の判例)、権限を有する公的機関、公的機関に準ずる団体[38]の見解を信頼した場合くらいである。

結論として、もしあゆの行為に何らかの財産罪の構成要件該当性があるとすれば、あゆには責任に欠けるところもなく、よってその財産罪が成立するというべきであろう。
小括

以上のあゆの罪責の検討をかいつまんでまとめると、おおむね次のような流れとなる(《 》は見解によって帰結が分かれる分岐点、【 】は罪責についての結論を表す)。

                     あゆは欺罔行為を行った?                          ↓                  行っていない、詐欺罪(246条)は不成立                          ↓                    《鯛焼きの占有は誰にある?》                        ↓    ↓                       あゆ   鯛焼屋 → 【窃盗罪(235条、242条)の構成要件に該当】                        ↓                     ↓                       窃盗罪は不成立                ↓                          ↓                   ↓                 《鯛焼きの刑法上の所有権は誰にある?》          ↓                        ↓    ↓                ↓              【犯罪不成立】 ← あゆ   鯛焼屋               ↓                             ↓                ↓                    《委託信任関係はある?》              ↓                        ↓    ↓                ↓【単純横領罪(252条1項)の構成要件に該当】 ← ある   ない                ↓         ↓                   ↓                ↓         ↓         【占有離脱物横領罪(254条)の構成要件に該当】     ↓         ↓                   ↓                ↓   事実の錯誤か法律の錯誤か?       事実の錯誤か法律の錯誤か?    事実の錯誤か法律の錯誤か?         ↓                   ↓                ↓     問題なく法律の錯誤           問題なく法律の錯誤        問題なく法律の錯誤         ↓                   ↓                ↓  あゆに違法性の意識の可能性はある?    あゆに違法性の意識の可能性はある?  あゆに違法性の意識         ↓                   ↓            の可能性はある?         ↓                   ↓                ↓      ほぼ問題なくある            ほぼ問題なくある         ほぼ問題なくある         ↓                   ↓                ↓     【単純横領罪が成立】        【占有離脱物横領罪が成立】       【窃盗罪が成立】


訴訟における鯛焼問題
実体法と訴訟法

前述までの議論で、民法上あゆ・鯛焼屋間にどのような権利義務が発生し、また刑法上いかなる罪があゆに成立するかの検討を終えた。それらは、もっぱら民法・刑法という実体法の領域における考察であった。

法は、実体法と訴訟法とに分類される[39]。実体法とは、法律関係の内容自体(例えば、どのような場合に権利義務が発生するか、どのような場合に犯罪が成立するか)を定めた法である。訴訟法は、実体法を具体的事件に適用するために、訴訟という手続をどのように行わなければならないかを定めた法である。例えば、民法と刑法は代表的な実体法であり、それと対置される訴訟法が民事訴訟法と刑事訴訟法である。

民法・刑法という実体法の領域では、「ある事実が法廷で証明できるかできないか」という話はそもそも問題にしない。その事例の全ての事実が明らかにされたと想定し、その上で、民法上のどのような権利義務を発生し、また刑法上のどの罪を成立したかが議論される。要は、裁判所が事実認定を終えたという前提はあるものとして、その事実からどんな法律判断をするかの基準になるのが、実体法である。

しかし現実には、人は全ての事実を知りうる「神の視点」に立っているわけではない。そこで、過去に何かの事実があったと主張するには、現に存在し法廷に提出している証拠から、「○○という証拠があるのなら××が起こったはずだ」との証明(歴史的証明)を得なければならない。きわめて大雑把に言えばは、実体法の目的を達するために、当事者はどのように証拠をそろえるべきか、裁判所はどのように事実を認定すべきかを定めた法が、訴訟法であるといえよう。実体法と訴訟法が法に基づく正義を実現するために相互に補充しあう「車の両輪」、などと呼ばれているのはこのゆえんである。
問題の所在

鯛焼問題の事例に立ち戻ると、鯛焼屋としては、自分があゆに対する代金債権を(実体法としての民法上)有すると考えるであろう。そのことをいかにして訴訟を通じて主張すべきかが問題となる。これを仮に「訴訟における鯛焼問題」と呼ぶことができよう[40]

ここで重要になるのが、訴訟法上の証明責任という概念である。その指導原理として、「その事実が認められることによって利益を得る者が、その事実の存在を主張し、証明せよ」ということが挙げられる。通説的な見解では、この事実の種類は以下の3つに分けられる(法律要件分類説)。
権利根拠事実
「原告は被告に○○を売った」というように、代金債権の存在を根拠付ける事実。この事実の証明責任は、その代金債権が発生したと主張する当事者が負う。
権利障害事実
「被告は○○を買った当時、意思無能力だったから売買契約が無効である」というように、代金債権がそもそも発生しないようにする事実。この事実の証明責任は、その代金債権は発生しないと主張する当事者が負う。
権利消滅事実
「被告は原告に○○の代金をすでに支払っている」というように、いったん発生した代金債権を消滅させる事実。この事実の証明責任は、その代金債権が消滅したと主張する当事者が負う。

これを鯛焼問題についてみると、鯛焼屋としては代金債権があると主張したいのだから、「平成11年1月7日、私は月宮あゆ氏に鯛焼き5個を500円で売りました」という権利根拠事実を主張・証明することになる。あゆとしては、もし鯛焼きの代金を払いたくなければ、「ボクは生霊だから、ボクは何の義務も負わないもん。おじさんにはボクに支払を請求する根拠はないんだよっ!」という権利障害事実を主張・証明すべきことになろう。

重要なことは、当事者がある事実を主張し証拠が提出された結果、裁判所が「その事実はなかった」と判断した場合は当然ながら、「真偽不明」と判断した場合も、その事実はなかったものとして扱われるのである。なかったと扱われるということは、その主張をする当事者にはもちろん不利益である。証明の分配のことを証明「責任」というのは、この不利益を指しているのである。
裁判所はいかに権利の存否を判断するか

権利人間の頭の中にしかない観念であり、手にとって目に見ることはできない。そこで、裁判所は、提出された証拠をもとに当事者の主張する事実があったかなかったかを認定し、「この事実を実体法に当てはめれば、これこれの権利が発生する」と判断をするわけである。

証拠から事実を認定する際のよりどころは、経験則と呼ばれている。経験則とは、常識から自然法則(いわゆる「現代科学」)に至るまで、人間が「○○があるならば、××が起こるだろう」と知っている物事の法則の総体である。裁判所の判断はこの経験則に拘束されている(経験則に違反した事実認定は上訴・再審の理由となる)。

そうすると、売上伝票やレジスターの記録のような証拠を鯛焼屋が提出すれば、経験則に照らして「そうした物証があれば、物の売り買いがあったのだろう」と言えるので、裁判所は「売買契約が成立した」という権利根拠事実を認め、鯛焼屋に代金債権があると判断することになる。

では、その債権に対する権利障害事実の証明責任を負うあゆはどうか。あゆは「ボクは生霊だよ」と言いたいのであるが、それを示す証拠はどこにもない。仮にあゆが証拠と称する物をいろいろと持ってきたとしても、裁判所は経験則に拘束されており、経験則は自然法則(現代科学)を含 1488 むから、現代科学で存在が観測されていない生霊の性質に係る事実は、裁判所は何ひとつ認めない。

このように、鯛焼屋の権利根拠事実の主張が認められ、あゆの権利障害事実の主張は認められない。よって、あゆが生霊であったとしても、そのことは鯛焼屋のあゆに対する請求について、訴訟上何ら影響しないといえるであろう[41]
あゆの消滅――鯛焼屋の請求の実際上の困難

このように、あゆが生霊であったとしても、そのことによって鯛焼屋の請求は訴訟法上まったく妨げられないのである。

しかし、あゆはあゆルートに入らない限り、生霊は奇跡パワーを使って消滅し、病院で寝ているあゆはそのまま死亡する運命にある。鯛焼屋があゆの消滅あるいは死亡に気づかなければ、あゆは行方をくらましているのと同じであり、鯛焼屋が原告として訴えを提起し、被告あゆの欠席によって勝訴判決を得ても(民事訴訟法159条1項)、債権実現のための強制執行にかかる手立てはまったくない。

仮に鯛焼屋があゆの死亡に気づいたとしても、鯛焼屋の困難は解消されない。死亡者が債務超過にあり相続人もない場合には、相続財産の破産(破産法222条以下)申立てがなされれば、積極財産の限度で配当がなされ、鯛焼屋の債権がその限度で満足されて消滅する建前となっている。しかし、あゆには見るべき財産がないことは明白であるから、相続財産の破産申立ての費用や相続財産管理人の報酬を差し引くと、どう考えても鯛焼屋が大損をかぶることとなるのである。

このようなわけで、鯛焼屋が焦げ付いた代金債権を何とか回収しようとすると、後述の「第三者の介在する鯛焼問題」が重要になってくるのである。
応用事例――第三者の介在する鯛焼問題

Kanon本編の筋書きにおいては、鯛焼問題はさらに複雑な様相を呈する。祐一という第三者が介在するためである。事例の概要を以下に記そう(最初の事例と同一の記述は、区別のため灰色とした)[42]。事例(2)

あゆは、財布をどこかに忘れてきて現金を所持していないのに、それと知らずに、屋台において営業する鯛焼屋に対し、鯛焼き5個を自己のために製作して渡すよう注文した。鯛焼屋は、この注文に応じて鯛焼き5個を製作し、あゆに手渡した。

あゆは、ただちに代金を支払おうと考え? 19dd ?が、そこで初めて自己が現金を所持していないことに気付いた。

ところが、あゆは、「すごくお腹がすいて」いるから何としても鯛焼きを食べたいと思い立ち、「後でちゃんとお金払うもんっ!」と考えて、鯛焼きを持ったまま突然その場から走り去り、鯛焼屋の追跡を振り切って逃げた。

あゆは、逃げる途中に知人の祐一と出会い、2人で鯛焼屋の追跡から逃れた後、上の事情を祐一に告げた上で、「ボクからのおすそわけだよっ」と言って、祐一に鯛焼きのうち一部を贈与して渡した。

なお、この時、あゆは7年前の転落事故が原因で意識不明のまま病院に収容されており、外で活動しているあゆは生霊であった。
刑法上の問題としての祐一の介在

刑法上の問題は祐一がいかなる罪責を負うかに尽きるが、この問題はそれほど大きくない。

Kanon本編中の祐一は「鯛焼きを食ったら共犯になる」と恐れているが、これはまったくの誤りである。共犯とは、2人以上の者が共同して犯罪を実現することをいう。あゆに犯罪が成立しないとの説に立てば、祐一が現れたところでやはり何の犯罪も実現しないので、共犯になることはありえない。また、あゆに鯛焼屋に対する何らかの犯罪が成立するとすれば、成立する罪種についてどの説に立つとしても、その犯罪はすでに実現されているのだから、実現した後に登場した祐一が共犯にはならない。

祐一が鯛焼きを食った場合に検討すべき罪は、盗品等無償譲受罪(刑法256条1項)である。上の論述であゆにいずれかの財産罪が成立するならば、鯛焼きは同条項のいう「盗品その他財産に対する罪に当たる行為によって領得された物」に他ならないから、祐一は同罪の罪責を負う。あゆに犯罪が成立しないならば、この構成要件を欠くのであるから、祐一は何らの罪責も負わない。以上である。
民法上の問題としての祐一の介在

民法上は、祐一と鯛焼屋がどのような法律関係に立つか、特に、鯛焼屋が祐一に対してどのような法的主張をなしうるかが問題となる。鯛焼屋の主張は、つまるところ「代金を可能な限り回収したい」ということになろう。

本来であれば、鯛焼売買契約の相手方であるあゆに代金を請求すればよいのだが、あゆには見るべき財産がないのは明らかだから、支払請求は功を奏しないと予想される[43]。ただ、本事例においては、事情をあゆから告げられて知っている祐一が、鯛焼きの一部贈与をあゆから受けているのである。そこで鯛焼屋としては、祐一に対し何らかの請求ができないかと考えることとなろう。
鯛焼売買契約の解除

最初に考えつくのが、あゆの債務不履行に基づく鯛焼売買契約の解除(民法541条)の主張である。しかし、解除によって545条1項本文の原状回復義務が生ずるのはあゆだけであり、さらに同条項但書には、善意・悪意を問わず、「第三者の権利を害することはできない」と規定されている 2e30 [44]。すなわち、解除によっては、祐一があゆから贈与を受けた鯛焼きはびくともしないのである。
鯛焼売買契約に基づく動産売買先取特権

では、売主としての地位によって鯛焼屋に認められる権利は、他にないのであろうか。そこで考えられるのは、鯛焼売買契約の効力から法律上発生する、先取特権のうちの動産売買先取特権(311条5号)である。

先取特権は担保物権の一種である。ごく簡単には、担保とは「債務者がもし債務を弁済できなくなったときに備えて、できるだけ弁済したのと同じ結果になるような手段をあらかじめ確保しておくこと」と言ってよかろう。動産の売主は、売買契約締結前に買主の資力を調査しにくい場合が多いので――鯛焼問題などはまさにその例である――売主を保護するために動産売買先取特権という担保が自動的に発生することが、民法上定められている(このゆえに「法定担保物権」という)。

先取特権の基本的な効力として、もしあゆが無資力で支払債務の履行を望めない場合は、鯛焼屋はあゆの持っている鯛焼きに差押えをした上で、裁判所で強制的に競売にかけ、その落札代金から支払ってもらえる。さらに、先取特権は「物上代位性」という性質をもっている。物上代位性とは、例えばあゆがもし祐一に鯛焼きを転売していたらその転売代金を、もし真琴に盗み食いをされて損害賠償請求権を得たらその賠償金をというふうに、鯛焼きという物が何らかの原因でカネに化けたときに、そのカネ(価値変形物という)を差し押さえて、そこから支払いを得られるという性質である(304条1項本文)。

一見非常に強力に思われる動産売買先取特権ではあるが、では鯛焼問題で鯛焼屋はカネを取れるのかというと、結論として、これも空振りである。動産売買先取特権には公示方法が存在しない、すなわち、その鯛焼きが「あゆの不払いのために後日鯛焼屋に差し押さえられる運命にあるかどうか」が外から見てわからない。そこで、第三者を保護するために、いったん目的物が第三者に引き渡されれば、その物自体の差押えはもはやできないことになっている(333条。追及効の消滅という)。

この追及効が消滅する代わりに、先取特権には「祐一からあゆに渡されるはずだった価値変形物を、鯛焼屋が代わりに渡してもらえる」という物上代位性があるのである。しかし、あゆは鯛焼きを祐一に転売したのではなく、贈与してしまっている。すなわち、転売代金などの価値変形物が本事例ではそもそも存在しない。したがって、動産売買先取特権を使ったとしても、鯛焼屋は鯛焼きを祐一から取り戻せるわけでもなく、カネを払ってもらえるわけでもなく、不発に終わるのである。
詐害行為取消権

次に、鯛焼屋の詐害行為取消権(424条)の主張が考えられる。具体的には、債務者[45]が自ら流出させた財産を元に戻すために、債務者が受益者に対してした行為(贈与など)を、債権者のイニシアチブで取り消しうるという権利である。その制度趣旨は、債権を回収する引当てとなる財産(責任財産)を債務者の元に確保しておくことにある。

ただし、「自己の意思によらなければ権利義務は発生しえない」(私的自治の原則)のが民法の指導原理であり、それに反して、詐害行為取消権を使えば債権者の意思によって債務者のなした行為を強制的に取り消せるというのだから、要件は非常に厳しい。以下に挙げる通りである。

被保全債権は、詐害行為より前に成立していなければならない(制度趣旨から)。

被保全債権は、原則として金銭債権でなければならない(制度趣旨から)。

詐害行為は、財産を目的とした法律行為でなければならない(424条2項)。

詐害行為によって、債務者が無資力となるのでなければならない(制度趣旨から)。

詐害行為は、債務者が債権者を害することを知ってしたものでなければならない(424条1項本文)。

受益者または転得者が、債権者を詐害すべき事実について悪意でなければならない(424条1項但書)。

幸いというべきか、本事例では上に挙げる要件はすべて満たされており、一応鯛焼屋は詐害行為取消権を行使することが可能である。また、もし祐一が鯛焼きを食べてしまっていても、価格賠償をさせることができる。

しかし、上にも述べたように詐害行為取消権は私的自治の原則に対する重大な例外なので、424条1項本文の法文のとおり、その行使は裁判所への請求、すなわち詐害行為取消訴訟によってしなければならない。

当然、そのためには、貴重な時間と印紙代と切手代が費やされる必要があるのである。
鯛焼屋を保護しうる構成――試論

そもそも、なぜ上で詐害行為取消権を使う必要が生じたのかといえば、545条1項但書の第三者保護規定により、解除が鯛焼屋にとって功を奏しなかったからであった。

解除とは、いったん確定的に有効に成立した契約を、その後に生じた事情(債務不履行など)に基づいて、なかったことにする手続きである。あゆと鯛焼屋の契約は、有効なのである。有効な契約によってあゆが得た鯛焼きを、当のあゆが煮ようが焼こうが祐一にあげようが自由なのである。

また、祐一は事情に悪意とはいえ、その後に実際に解除がなされるかどうかは関知するところでない。そこで、後々発生する解除によって鯛焼きを失いかねないという不安定な地位からは救済すべきだと考えられている。このゆえに、545条1項は第三者の善意・悪意を不問にしているわけである。

しかし、そのままでは被害者である鯛焼屋に酷にすぎるのではなかろうか。
15cb 単純悪意の第三者を排除しうる構成は何か?

ここで、前述「鯛焼売買契約の成否」で論じた鯛焼売買契約の無効説が、違った形で息を吹き返すこととなる。すなわち、有効な契約とすると鯛焼屋の保護が薄れるのであれば、はじめから契約が無効であった構成にすればよいという発想である。

もっとも、「鯛焼売買契約の成否」での結論は、売買契約を有効に成立させたほうが、鯛焼屋をより厚く保護できるというものであった。それなのに、第三者が出現したときだけ都合よく「契約は無効だった」と主張できる構成があるものであろうか。

その「都合のいい」候補こそ、前出B1説の錯誤無効説だと考えられる。

95条の錯誤による無効は、表意者を保護する制度であり、その主張は表意者にゆだねられている。すなわち、実質的には、表意者たる鯛焼屋自身が錯誤無効だと主張しない限り、契約は有効であるに等しい。そして95条の法文は、「要素の錯誤」と「無重過失」という厳しい要件を表意者に要求する代わりに、これをクリアした表意者は絶対的に保護しようとして、第三者保護規定を置いていないのである[46]。したがって、錯誤無効の主張が通るならば、鯛焼屋は必ず祐一から鯛焼きを返してもらうか、食べてしまったなら相当の価格で賠償させることができる。

さらに、錯誤無効は誰に対しても主張でき、しかも裁判外で主張することができる。つまり、鯛焼屋としては内容証明を1通出せば、とりあえず祐一に「鯛焼きを原状でよこせないなら金を払え」と宣戦布告することが可能なのである。例えば、以下のような調子の文面(内容証明郵便の書式に従い、横書き・1ページあたり26字×20行とし、ページをまたぐ箇所には割印を押している。見かけ上20行を超えているが、内容証明郵便では空行を数えないので、これで20行という勘定になる。郵便代は定形郵便80円+一般書留420円+配達証明300円+内容証明420円+内容証明2枚目250円=1,470円である)を祐一に出せば、相当の心理的圧迫が与えられるのは確実であろう[47]。      不当利得返還(価格賠償)請求書 私は、平成11年1月7日、月宮あゆ氏に対し、私の所有する鯛焼き5個を代金500円でただちに売り渡す売買契約を締結し、約定のとおり上記鯛焼きを引き渡すと同時に、上記代金のお支払をただちに請求致しましたが、同氏から未だ上記代金を受け取っておりません。 上記契約は、月宮氏が相当の現金を所持し、鯛焼きの引渡しと同時に代金を支払うことを条件とする趣旨を黙示に表示していたものであります。しかし、上記契約当時に、同氏は現金を所持していなかったものであり、この点、契約の要素に錯誤がありました。 したがいまして、上記契約は民法第95条により無効でありますので、上記鯛焼きは月宮氏の所有ではなく、もとより私の所有するものであります。 月宮氏は、上記代金の支払を逃れ、現在まで行方をくら 2826 まし、その間に、貴殿に対し上記鯛焼きのうち2個を無償で譲り渡して食事により滅失させたものであり、この事情は、同氏及び貴殿にも既にご承知のところであります。 上記契約が無効であり、よって貴殿の滅失させた鯛焼き2個が私の所有であることから、今般本書面により、私は???????????(割印)???????????貴殿に対し、民法第704条に基づく不当利得の返還として、当該鯛焼き2個に相当する価格賠償を請求致します。 つきましては、下記請求金額を、本書面到達後10日以内に下記口座へお支払い下さい。 請求金額              金1,671円(内訳 鯛焼き2個の返還に代わる価格賠償 金200円    上賠償に付する民法第404条所定    の利率年5分による本日までの利息   金1円    本書面の郵送料        金1,470円) 支払先口座 鍵銀行 華音支店 普通預金       1234567 タイヤキヤ オヤチ゛ なお、万一上記期限内にお支払なき場合には、訴訟その他の法的手段に訴える所存でありますので、念のためお含みおき下さい。                        以上平成11年2月15日           華音市中央商店街1丁目2番3号                鯛 焼 屋  親 父華音市奇跡町123番地相  沢  祐  一  殿
小括

民法上における鯛焼問題において、鯛焼屋としては、あゆ・鯛焼屋間の鯛焼売買契約がひとまず有効に成立したと考え、あゆに代金の支払を求めるのが本筋である。それがかなわない場合は、催告をした上で契約を解除(541条)し、あゆに原状回復請求(545条)としての鯛焼きの返還を求めることもできる。

そして、あゆが第三者の祐一に鯛焼きを移転してしまい、自分は奇跡の力を使って消滅するなどの詐害行為に出た場合は、鯛焼屋は詐害行為取消権(424条)を行使できるのはもちろんであるが、より簡易ないわば「切り札としての」錯誤無効(95条)を主張して、第三者に移転された利益を取り戻すことができ、債権の少なくとも一部の満足を得ることが可能であろう。
結語

前述まで、多年にわたる議論の蓄積があるKanonの「鯛焼問題」をめぐる議論を概観してきたのであるが、 ⇒『アホヲタ法学部生の日常』(ronnor、2005-)においてもつとに指摘されているように、Kanon(ひいてはKey作品全般)は話自体面白いのみならず、法学上興味深い問題を数多く提起してくれる大変に有益な題材である。本稿が微力ながらKanon法学、Key法学の発展にとって一助となるのであれば、著者にとってこれに過ぎる幸いはない。
脚注^ 漢字「鯛」が常用漢字表(昭和56年10月1日付け内閣訓令第1号)に掲げられていないため、Kanon本編では「公用文における漢字使用等について」(昭和56年10月1日付け事務次官等会議申合せ)に基づき、「鯛焼き」の表記として「鯛」をかな書きとした「たい焼き」が採用されている。これに対して、本稿では講学上の表記法として、用字用語は原則的に「鯛焼き」に統一し、「鯛焼問題」のように他の語と複合して一語を形成する場合に、例外的に送り仮名を省く方針とした(これは、例えば民法上の「取消し」の語が、単独で用いられると「取消し」と書かれ、複合語になると「取消し権」でなく「取消権」と書かれることと軌を一にする)。なお、「送り仮名の付け方」(昭和48年6月18日付け内閣訓令第2号)通則6および通則7を参照。
^ 奇しくも、この1月7日という日付は月宮あゆ誕生日に当たる。
^ 欺罔は「ぎもう」と読む。「欺」も「罔」も欺くという意味の漢字である。
^ ただし、後述するように、第三者が介在する場合には問題は複雑になる。
^ この区分が財産法と家族法である。
^ この見解に立つものとして、 ⇒「まこピーに人権はあるか」(『萌えない法律学』所収、20頁以下(MFRI、2005))。「例えば「鯛焼き食い逃げ」という行為は債務不履行を構成するが、月宮あゆのような生霊はそもそも法律行為を行うことができないのだから、売買契約そのものが無効である。」
^ 契約の定義はさまざまであるが、「契約とは、法律上の強制力を有する約束である」と言うことができよう。契約の本質は約束あるいは合意、すなわち両当事者の意思表示の合致にあり、よく言われることであるが、「口約束も契約」である(書類にハンコをつかなければ契約にならないだろう、というのはよくある誤りで、契約書を作るのは単に契約が成立したという証拠を残すためである)。例えば、栞ちゃんがコンビニアイスクリームを買う、祐一が名雪からノートを貸してもらう、秋子さんが真琴に豆腐を買ってきてとお使いを頼む、これらは全て民法上の契約である(? 7fe2 ?に、売買契約、使用貸借契約、委任契約)。
 では約束は全て契約かというと、そうではない。典型的には、デートの約束は通常は契約としては扱われず、仮にあゆが祐一に「祐一君、また会おうね。契約だよっ!」と言っていたとしても、それは契約ではないのである。
 契約とそうでない約束との違いは、「法律上の強制力」の有無にあると言ってよい。法律上の強制力があるとは、もし当事者が契約の内容を守らない場合に、法というルールに基づき、国家権力という実力装置(この場合は裁判所)の力を借りて、当事者に有無を言わせず契約内容を実現させることが可能という意味である。例えば――栞ちゃんは良い子なのでそんなことはしないが――仮に栞ちゃんがアイスクリームの代金を踏み倒してコンビニから逃げたとすると、コンビニ側は民事訴訟を起こし、勝てば栞ちゃんのストールなどの財産を裁判所で競売にかけ、落札代金からアイスクリーム代を回収することができる。他方、もし祐一があゆに会いにこなかったとしても、あゆは民事訴訟を通じて裁判所から「被告祐一はあゆに会え。」との判決をもらうことはできない。すなわち、法律上の強制力がない。
 このような「法律上の強制力の有無」の違いが生じるのはなぜか。それは、法律を国民に守らせるものが国家権力だからである。国家権力、すなわちこの場合の裁判所は、個別の事案において被害者の損害を回復するのは当然ながら、同時に国民全体にとって利益となり、国民全体が納得しうる「妥当な結論」を導かなければならない。裁判所がコンビニで代金を払わない客から強制的にカネを取り立てる権限があるのは、コンビニという被害者を救済するとともに、そうすることで誰もが安心して商売をできるようにし、経済社会を円満に成り立たせるという点で、国民の利益にかなうからである。逆に、デートに来ない男性を裁判所が強制的にしょっぴいてくるべきでないのは、確かにそうすることで「被害者」の女性は一時的に満足するかもしれないが、このような人間関係に国家権力が介入することがたびたび許されては、国民全体にとって決してメリットにはならないからである。
 結局、契約とそうでない約束との区別は、「約束のうち、その実現に国家権力という実力装置が力を貸すべき性質のもの」が契約である、という点に求められようか。
^ 債務とは、特定の他人に対して何かをする義務のことである。その何かをすることを弁済という(履行ともいう。同義語)。債務の内容はカネの支払である必要はなく、例えば祐一と真琴が「真琴、結婚しよう」「あぅーっ」と約束を交わして婚約(=婚姻の予約契約、後述)が成立し、めでたく結婚するのも、婚約という契約によって両当事者が互いに相手方と「結婚をする」という債務を負ったので、その債務の弁済をしているわけである。「債務者」というとなんとなく借金の借主のようなイメージがあるのは、貸主に「カネを返す義務」こそが借主の負う債務だからである(借金自体のことを「債務」とも俗に言うが、法学上の用語としては誤用である)。債務のちょうど裏返しが債権であり、これは特定の他人から何かをしてもらう権利をいう。
^ 不代替物とは、取引上一般的にその物の個性に着目され、同種の他の物によって取替えの利かない物をいう。その対概念が代替物である。例えば、栞ちゃんの描いた非常に個性的な絵などは典型的な不代替物であり、栞ちゃんの大好きなアイスクリームなどは典型的な代替物である。
 「不代替物と代替物」に似て非なる概念が「特定物と不特定物」であり、取引の当事者が(主観的に)その物の個性に着目した物を特定物、その逆を不特定物という。不代替物は特定物として、代替物は不特定物として扱われる場合が多いが、そうでないこともある。例えば、大量生産されてクレーンゲーム機に入れられている景品の人形は一般的には代替物であるが、当事者が「祐一君が7年前にくれたクレーンゲームの景品の人形」という個性に着目すれば、これは代替物かつ特定物だということになる。逆に、秋子さんが作った非常に個性豊かなジャムは一般的には不代替物であるが、当事者が「秋子さんが作ったジャムなら何でもいいからくれ」というように、個々のジャムの個性に着目せず取引をした場合には、不代替物かつ不特定物となる。
^ より正確には、代理人に関する効果帰属要件と、条件・期限に関する効力発生要件も必要であるが、ここでは問題にならない。
^ 契約の成立は書面による必要はなく、口頭でも身振りでも成立し(「明示の意思表示」)、状況次第では何もしなくてもかまわないことさえある(「黙示の意思表示」)。例えば同じ鯛焼屋で買主が無愛想に指を2本立て、鯛焼屋が「はいどうも」と言って鯛焼き2個を作って渡し、それに対して買主が特に何も言わなければ、まず間違いなく「鯛焼き2個を目的物とする売買契約が黙示の意思表示によって成立した」と解釈されることになる。
^ 契約の成立と同時に、目的物が売主から買主へ引き渡され、かつ代金が買主から売主へ支払われる類型の売買を、現実売買という。エロゲ屋でエロゲを買う、ぷにケでどれみ本を買うなど、われわれが日常的に目にする売買の多くはこれにあたる。
^ 現実にはこの問題は十分に複雑であり、慣習と慣習法と法律の優先関係など多くの議論のネタになるが、この項目における本筋ではないために割愛する。
^ ただし、後述の有効要件を欠いた契約が絶対的無効なのに対し、錯誤による無効は当事者が無効だと主張して初めて無効となる(主張しない限り有効なものとして扱われる)ため、相対的無効と呼ばれる。
^ 婚約とは「婚姻の予約契約」という契約に他ならず(大判大4・1・26参照)、正当な理由なく婚姻を履行しない場合には損害賠償義務などを負うことになる。
^ 本編回想シーンにおいて、祐一はこのことを「脅迫という犯罪」だと指摘しているが、疑問である。脅迫罪(刑法222条1項)の構成要件は害悪の告知であるが、名雪は害悪の告知にとどまらず、かかる害悪の告知によって祐一に義務のないことを行わせているので、強要罪(223条1項)の構成要件に該当し、強要罪は脅迫罪に対し吸収関係に立つから、結局強要罪一罪のみを構成することになろう。


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出典: へっぽこ実験ウィキ『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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