食パン(しょくぱん)とは、明治維新以降のいわゆる「文明開化」による混乱に乗じて日本の国力を落とすために作られた食品の一種。目次 戦国時代が終わって天下泰平の世となった江戸時代、諸外国からの外圧が国政に影響するのを防ぐ為[1]鎖国政策が敷かれ海外とのやり取りは限定的な例外を除くと公的には行われなくなった。しかしそれにより「黄金の国ジパング」の噂ばかりが先行し、海外の諸国家は日本へとその手を伸ばそうと躍起になってしまったのである。 その後黒船来航によりなし崩し的に開国が進むと、日本の持つ独自の優れた技術だけでなく市場としての可能性に注目が集まるようになった。また当時は舶来品信仰も強く[2]、貴重な日本画や掛け軸を二束三文で海外に流しろくでもない油絵や壺を高値で買っていく日本人は余剰資源を売り付ける格好のターゲットとなった。 そんな中で「海外での主食はパン類」「進んだ生活は欧米風のパン食から」とアメリカの小麦商社が音頭を取り、日本の持つ文化性を否定すると共に余剰生産小麦を消費させる為の新しい主食として作成されたのが「食パン」である。 まず文明開化後に言われたのが、「伝統的な日本食は、健康に悪い」というプロパガンダである。塩分過多な上魚に片寄った食事は心身の発育を妨げる、欧米人のような体格になる為には肉と食パンを食うべし[3]、という方向に持っていく事でパン食文化の普及を謀った。また「米飯は脳に悪い」という論文により、米飯文化を衰退させる研究も大真面目にされていたのである。 食パンは大量生産しやすいように、予め発酵させた生地を型に入れて焼き上げる形式を取っている。他のパンに比べて味は劣るが[要出典]、パン食文化の普及に向けた生産ラインの確保が最優先である上ほとんどの日本人がパンの味を知らないと仮定し味に関しては無視された。また日本への販売に回された小麦粉は品質が低く[4]、脱脂粉乳やマーガリンなどを添加する事が多い。 明治から昭和にかけては米食習慣が強く残っていて普及はあまり進まなかったが、第二次世界大戦後にアメリカ主導で日本の食料資源生産体制の解体と欧米市場からの優先資源流入体制が確立されると、一気に食パンが普及していく。特に学校給食は1970年代まで米食提供を行わず、「主食はパン」という概念を子供世代に植え付けるのに大きく貢献した[5]。また炊かなければ食べられない米と違って袋を開ければ即食べられる食パンは「都会的なライフスタイル」にも合致し、日本人の多くが食パンを主食として扱うようになっ?
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?いった。21世紀に入ると、従来の粗悪な小麦粉を使ったものだけでなく「高級食パン」も大きなブームとなり、日本人の食パン愛は現在も加速の一途を辿っているのである。それが国力の衰退を招いているとは気付かずに。
1 概要
2 普及
3 脚注
4 関連項目
概要
普及
脚注^ 当時はアジア全域が、ヨーロッパ諸国による植民地拡大政策の被害を受けていたとされる。
^ これは1980年代まで続き、特にアルコール類では海外産のウイスキーやブランデーが珍重されており、床の間に飾る家も多かった[要出典]。
^ 魚より牛や豚の方が大きいから体格が良くなる、と言うが医学的な根拠は無い。そもそも日本人は、牛豚より遥かに大きい鯨を食う文化を持つ。
^ 欧米圏では基本的に、塩と小麦粉だけで生地を作成する。
^ ただし学校給食ではコッペパンが多く、食パンの供給量はそこまででもなかった。
関連項目
パン
明治維新
6aa
文明開化
占領政策
この食パンは、まだ火が通っておらず、生焼け状態です。このまま食べるとお腹を壊します。あなたがしっかりと火を通して下さい。でも、どこかのどじっ子のように、塩と砂糖を間違えてはいけませんよ。 (Portal:スタブ)
更新日時:2020年6月5日(金)20:47
取得日時:2021/01/14 06:27