頓珍漢
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トンチン・カン(Ton?ing Qan または Tong?ing Qa'an, 生没年不詳)とは、モンゴル帝国の第2代皇帝(大ハーン)とされている人物。トンチン・ハーンとも。その名前はよく知られているものの、生前の事跡は殆ど伝わっておらず、実在は疑わしいと見られている。漢字圏では「頓珍汗」と書かれるが、日本では後に「頓珍漢」の表記が一般的になった。ユーモア欠落症患者のために、ウィクショナリーの語学ヲタクたちが「トンチン・カン」の項目を執筆しています。
目次

1 概要

1.1 「元史」に見えるトンチン・カンの奇行


2 トンチンカン論争

3 脚注

4 関連項目

概要

そもそもトンチンの名は「元朝秘史」等の同時代の歴史書には登場せず、初めて名前が現れるのは明代の「元史」においてである。それによれば、トンチンはチンギス・カンの子として生まれ、チンギスの死後ハーンに推戴された。しかし彼は非常に暗愚な人物であったため、即位後わずかな期間で、見かねた家臣の同意のもとオゴタイによって殺された。オゴタイは、トンチンからハーンの位を没収し、彼を歴代ハーンの一人として認めず、自らが正統なチンギスの後継者であるとし、即位した。

このようにその生涯は部分的にしか知ることができないが、一方で、彼の暗愚さは世の多くの人に記憶されるところとなった。日本にも漢籍を通じて伝わり、現代でも「トンチンカンなことを言うな!」と言った具合に、馬鹿や間抜けの代名詞として通用している。そんなわけで、彼は日本ではチンギス・カンと並んで著名なモンゴル人となっている。[1]
「元史」に見えるトンチン・カンの奇行

家臣の靴に
画鋲を仕込む。

自分は孔子釈迦キリストの子孫だと言い張る。

モンゴル人同士でワールシュタットを再現させようとする。

トンチンカン論争

学会ではトンチンは実在しないという説が多数になりつつある。「元史」のトンチンの記事(本紀第二)には本文の根拠となる史料が見当たらず、記事が不自然に挿入されている。そのため多くの学者は、トンチンは明朝がモンゴルを貶める、あるいはオゴタイを弑虐者とすることで、元朝の皇帝とかつて勇猛を轟かせたチンギス・カンの間に断絶を生じさせる、などの目的で「元史」編纂の過程で創作したのだと考えている。また「元史」自体が非常に出来の悪い歴史書であることも、この説が支持される理由となっている。

これに対し、実在派は、「元史」の記事に信憑性を認め、その上で、チンギスの四男トルイは実はオゴタイに毒殺されたのであり、彼こそがトンチン・カンであると主張している。[2]
脚注^ ちなみに本家中国では、トンチン・カンよりも有名な「阿斗」こと三国時代の某皇帝が馬鹿の代名詞の座についたため、日本ほどの広がりは見せなかった。
^ これとは別に、源義経はチンギス・カンではなく、チンギスの養子になってトンチンになったという説を唱えている人もいる。

関連項目

モンゴル帝国

チンギス・ハーン


更新日時:2017年4月23日(日)13:26
取得日時:2019/08/07 00:24


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