阪神・淡路大震災
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阪神・淡路大震災(はんしんあわじだいしんさい)とは、1995年1月17日に起きた、兵庫県南部の市町にとって20世紀最後の大きな試練となった事件である。
目次

1 概要

2 被害

3 神戸市民と阪神・淡路大震災

4 復興

5 関連項目

概要

大阪府兵庫県の間の一帯(尼崎市西宮市芦屋市神戸市伊丹市宝塚市川西市池田市豊中市など)である阪神地域、それに神戸より西の須磨区や明石市、さらに淡路島などに甚大な被害をもたらしたことで、今でも語り伝えられていることである。

とはいえこの一帯は、1938年の阪神大水害、1945年太平洋戦争によるB-29の空襲などを始め、20世紀にはいろいろな災いを経験していた。それでもこれだけの大事件として取り上げられるに至ったのは、2番目の大事件である空襲のときと同様、焼け野原があちこちに出没したほか、近代の地震としては珍しく都市機能が麻痺するほどの規模になった上、山陽自動車道など日本の動脈が断たれたからである。被害総額は日本の国家予算の1/4にのぼり、今なお世界記録である。(2011年の東北地方太平洋沖地震で破られた?)

その被害規模により、「人工地震ではないか」という噂が立つにも至った。「神戸市はロボット型要塞都市」であるという噂があったことから、その息の根を止めて侵攻するという陰謀によるのではないか、というものである。

これについては、「人工で地震を起こそうとしても、核兵器などが必要となる上、期待通りの成果が出せる保障はどこにもない」という反論が出されている。また、明石海峡大橋の建設が地震の引き金になったという説もある(皮肉にも明石海峡大橋の工事にも支障をきたした)。

いずれにせよ、地震により多くの船会社や通関業者が神戸から撤退し、貿易港としての神戸の地位が低下したことは事実であった。

余談であるが、発生後放送されたニュース番組でとある政治家だったかアイドルだったか徳光和夫だったかが「東京で起きなくて良かった」などとぬかしやがって関西地方(言うまでもなく神戸市民多数)の人間から強烈なバッシングを受けたのだが、誰も気にしない。これに対して嘉門達夫は怒りを歌っている。
被害

総死者は6,000名、負傷者が40,000名を越し、倒壊家屋は中核となる神戸市だけで130,000件を数えた。同市や西宮市などでは、街を見限った人による人口流出さえ引き起こした。

最も手痛い被害を受けたのは鉄道道路で、特に阪急阪神にとっては利用客をJR西日本に持っていかれる羽目になった。また高速道路新幹線の線路があちこちで落下・横転し、日本の土木水準は「自称:世界一」だという神話を打ち砕いた。

また自国の軍を派遣せず、更には同盟国を肇とする諸外国の援助を拒否した、当時の内閣総理大臣・村山富市総理大臣(もちろん、日本社会党の党首である)は、この「阪神・淡路大虐殺」の功績により、一躍時の人となった。

それにしても、朝5時に起こったのは不幸中の幸いとしか言いようが無い。もし数時間遅く、新幹線が走り渋滞が起こり満員電車が往来する通勤時間帯であったら…6,000人という死者数が可愛いものに見えてきそうだ(なお、正午近くに起こった関東大震災の死者は約105,000人)。
神戸市民と阪神・淡路大震災

7dbe 神戸市兵庫区・長田区・東灘区あたりで最も被害が大きかったと言える。特に長田区では家屋の火災が激しかった為、家を失い被害の少なかった垂水区・西区へ移住・避難を余儀なくされた人も多かった。

神戸市民に阪神・淡路大震災の話をするのはタブーである。別に話しても激しい非難を受けるというわけではなく、延々と当時の惨憺たる被害状況について語られるというだけではあるが。

その内容は本当に悲惨であり、「父親が焼けた家の下敷きになり、そのあたりの軽トラを盗んで遺体を積んで移動した」「兵庫区から須磨区の中腹まで徒歩で避難した」「家屋の下敷きになった人が目の前にいたのに助けられなかった」などとまるで戦時中のごとき内容であり、聞いてるこっちまでどん底の気分にさせられるものである。特に呑みの席では話題にしてはならない。合掌。

ちなみに、この震災から神戸市民には「震災の2年後」「震災の5年前に建てた家」「結婚したのは震災の1年前」などと、震災を区切りに時期や年数を確認する癖がついた。「B.C」「A.C」のほか「Before震災」「After震災」の暦が用いられる。他府県民にはわかりづらいだろう。

震災の年、これまで低迷していた神戸を本拠地にしているオリックスが見事にリーグ優勝した。震災で亡くなった方の力だと言われている。だが神戸市民がそれ以上に愛してやまないヤクルトには及ばなかった。
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1923年の関東大震災のとき同様、戦後と違い資材は多く、地域の重要性が高かったことから復興に向けての動きは早かった。これが「神戸市は不死鳥である」という説を、広める要因にもなっている(はばタンの人気もこのせいである)。

それまで一部の市民にしか馴染みがなかったボランティアが大人数被災地を訪れ、1995年はボランティア元年と呼ばれている。国の防災指針が根本から改訂され、多くの特措法が制定され、おおよそすべての建造物・土木構造物の設計基準が全面的に見直され、気象庁をはじめとする各官署の地震観測網が数十倍の規模で拡大し、保険制度が大幅に変わった。


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出典: フリー誤報百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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