良書に譲る
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執筆コンテスト
本項は第16回執筆コンテストに出品されました。
ウィキペディア専門家気取りたちも「良書に譲る」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。

良書に譲る(りょうしょ - ゆず)とは、学術書などで常套的に用いられる言い回しのひとつである。
目次

1 概要

2 考察

3 ここまでのまとめ

4 考察(続き)

5 まとめ

6 関連項目

概要

「良書に譲る」は学術書などで説明を割愛する時に用いられる言い回しである。おもにその本の中でメインに述べたい事から話が脱線してしまう時に、強制終了の意味合いで用いられる。しかしこの言葉、“よく”考えてみると、とても奇妙な言い回しである。
考察

よくよく考えてみると「なぜ単に『他書』などではなく『良書』なのか」「なぜ『譲る』という言い回しなのか」などなど、とても奇妙な言い回しであることに気づく。本ページでは、この奇妙な言い回しについて考察を加え、籠められた真意を明らかにしていく。
自分の書は「悪書」であるとの宣言
他の書を「良書」ということで、自書のことを相対的に「悪書」であると宣言している、という考え方である。謙譲語が自らを貶める事で相手を相対的に高めているのと丁度逆の構造と考えると分かりやすい。この場合は謙遜と受け取る事が出来るので、「良書に譲る」はとても素晴らしい言葉であるといえる。
事前に「譲った」既成事実をつくる
ある記述に関して『良書に「譲る」』という宣言を事前にしておくことによって、その記述に触れた他の学術書が自然に「譲られた」形になるという考え方である。当然、その記述は「良書」に対して「譲った」のであるから、「譲られた」書は自然に「良書」であるということになる。ある記述に触れた本を自動的に良書と見なすことによって、以下の効果が期待できる。
友好関係が築ける
自分が手塩にかけて執筆した本を「良書」と言われて嬉しくない人はまずいない。そのため「良書」認定をされた人と「良書」認定をした人の間で、自然に良い空気が生まれることが期待されるのである。A「君が良書に譲られたBくんかね」B「あ、先生が私の良書にお譲りになってくださった方ですか!あの節は本当にありがとうございました」A「いやいや私はただ良書に譲っただけで、大したことは何もしていないよ」B「いえいえそんなことないですよ。先生の良書への譲り方とても参考にさせて頂き(以下略)」
若い執筆者を育てる
業界で既にある程度の地位にある人が、自分でも説明可能な簡単な記述を若い執筆者に、あえて譲り渡す事で育成へと繋げている、という解釈もも出来る。自分が説明することが出来るから、といって重鎮が何でもかんでも説明してしまうと、新たな若い芽は活躍する場所を全く失ってしまう。この場合は、自分は自分で活動しつつ一歩引いて若い執筆者の育成にも注ぐ、という非常に優れた行為と考える事ができ、「良書に譲る」はとても素晴らしい言葉であるといえる。以上のような効果を期待するために、あえて数多くの記述について「良書に譲る」というのもひとつの手である。しかし余りに譲りすぎてしまうと、そもそもの本の内容がスッカラカンに無くなってしまうから、気をつけなければならない。
ここまでのまとめ

「良書に譲る」はとても素晴らしい言葉である。
考察(続き)

しかし何につけても簡単に結論を出してしまう事は気をつけなければならない。こうも考えられないだろうか。
あえて簡単な記述を譲り渡して「やっている」
自分でも説明可能なことをあえて他書に譲る行為は、一見非常によくデキた行いのように思える。しかし何故「譲る」などという言い回しをするのか良く考えてみると、少し疑問が生じてくる。「譲る」という言葉からは、自分が元々所有していたものを、自分の善意によって、他人に無償で渡してあげる、というニュアンスが感じられる。たしかに、自分でも説明できることをあえて説明せずに譲り渡しているのだから間違ってはいないだろう。しかし此処には少しの「別に私はぁ、自分で説明してやってもいいんだけどぉ(どうせ俺の方が上手く説明できるし?)、それだと他の人の出番がなくなっちゃうから、ま、譲ってあげるけど☆」というドヤ顔感が含まれてはいないだろうか。もしそうだとしたら、「良書に譲る」はとてもウザい言葉ということになる。
難しい問題の丸投げ
ここまで当然のように、譲り渡す側はその記述について理解しているものだと考えてきたが、しかしこれも筆者が勝手に考えた前提のひとつに過ぎない。そもそも良書に譲った執筆者が、その問題について分からなかっただけという可能性はないだろうか。知らない、分からない、上手く説明できない、やるきがない、
だるい、、など理由はいろいろ考えられる。そのように考えると今までの見方も全て一変してくる。
自分の書は「悪書」であるとの宣言
他の書を「良書」ということで、自書のことを相対的に「悪書」であると宣言している、という考え方が出来ることは既に述べた。しかし、本当に悪書なだけだったということはないだろうか。実際は、知らない、分からないために説明できないものを、恰もあえて譲り渡してやってるごとくにカモフラージュするために「良書に譲る」という言葉遣いをしたという考え方である。謙遜に見せかけて、謙遜してる自分偉い!というエゴであるばかりか、そもそも謙遜するだけの土台がないのである。これはとてもウザく、また狡猾極まりない言葉であるということになる。

更には・・・
事前に「譲った」既成事実をつくる
この考え方も見方を一変させて再考しなければなるまい。事前に「譲った」既成事実をつくることで、友好が築けたり、若い執筆者を育てたりする効果が期待できると述べたが、そもそも譲るものなどなかったということである。まさしく譲っているフリに過ぎないのであり、自分に著作権がない歌詞を販売した某プロデューサーに等しい蛮行である。若い執筆者を育てる意図についても、簡単な記述を譲り渡すことで自分は一歩後ろに引き、まぁそこで精々ドヤ顔を浮かべるぐらいなら別段そこまで問題はないが、その実自分の手に余るものを他人に譲り渡し、そしてそれを上手く説明できた本に上から高圧的に「良書」の烙印を押しつけて、あまつさえ業界の重鎮として顔面いっぱいにドヤった表情を漲らせているのに至っては、何という言葉をもって形容したらいいのか分からない。
まとめ

「良書に譲る」は最悪極まりない言葉である。
関連項目

紙面の都合


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更新日時:2018年9月19日(水)21:47
取得日時:2019/11/15 10:08


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出典: へっぽこ実験ウィキ『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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