老人と海
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考えても見るがいい。もし人間が月を殺すために毎日あがいていなければならないとしたら。月は逃げ出しちまうだろう。だが、考えてもみろ。もし人間が、太陽を殺そうとして苦心惨憺しなければならないとなったら、いったいどんなことが起こるだろう。俺達は幸せに生まれついているんだ

老人と海は、アーネスト・ヘミングウェイ作の小説。1952年に作られた。この作品が作られてから9年後、ヘミングウェイはショットガン自殺するが、既に自殺の9年前のこのころから精神を病んでいたことが、この作品からは伺える。
目次

1 あらすじ

2 概要

3 この作品が夢である証拠

4 ヘミングウェイのメッセージ

5 関連項目

あらすじ

キューバにサンチャゴという漁師がいた。彼はヨボヨボの年寄りである上に、漁師としても不漁続きで、周囲からはオワコン扱いされている人物であった。そのサンチャゴが、漁に出かけたところ、巨大なカジキマグロが網に引っ掛かる。サンチャゴは四日に渡る格闘の末カジキマグロの息の根を止め、漁に成功する。

しかし、その帰り道、カジキマグロを狙うの群れに襲われる。サンチャゴは銛を片手に鮫とカジキマグロを狙う壮絶な殺し合いを行い、何匹かの鮫を始末することに成功するが、結局鮫によってカジキマグロは貪られ尽くし、彼が港へ帰ってくるころには頭部と尻尾を残して骨だけになってしまった。漁夫の利という諺があるが、実際に美味しい所をかっさらったのは不器用な漁夫ではなく貪婪な鮫であった。老人の努力は全て無駄骨に終わった。サンチャゴと仲の良い少年はサンチャゴの努力を労うが、サンチャゴは疲れて寝てしまい、ライオンを見始めた。
概要

作者のヘミングウェイがあえてぼかしているが、実はこの物語は夢オチである。老人は漁にも行っていなければ巨大なカジキマグロも取っていない。終始一貫して家で寝ていた。友人である老人の少年が、老人の船の脇に巨大なカジキマグロの骨が流れ着いていたのを、老人がカジキマグロを漁で手に入れたと勘違いしただけである。

カジキマグロとの壮絶な戦い、それを奪おうと襲ってくる鮫との殺し合い、全てサンチャゴ老人の一睡の夢である。勿論夢であることは作中では描写されない。老人が夢を見ていることを示唆する文章は散見されるが、「これは夢オチ」などと明言した場合台無しになってしまうので、所々に標を設けるだけに留まっている。

その結果、老人は本当に漁に出かけてカジキマグロや鮫と格闘したと勘違いする読者が続出した。
この作品が夢である証拠

「老人と海」は、基本的に三人称視点で地の文が展開されるが、所々主人公のサンチャゴの一人称視点での文章が混在する。一人称視点と三人称視点の文章が混ざり合い、地の文は混濁している。ヘミングウェイは意図的にこの文章構成を行った。夢オチであることを、間接的に示唆するためである。

夢を見ている時は、意識が混濁しており、現実妄想、覚醒と睡眠の区別がつかなくなっている。一人称と三人称で視点が交互する「老人と海」は、まさしくこの作品が老人の夢であることを示している。

作中では、「そうだ、魚だって友達だ」「太陽を殺さなくてもいいというのは、何といってもありがたいことさ」など、ところどころ詩的、空想的な表現が使われているが、これも、この作品が老人の夢を地盤としていることの証明となっている。

極めつけは最後の文章である。

道の向こうの小屋では、老人がふたたび眠りに落ちていた。(中略)老人はライオンの夢を見ていた。

「ふたたび」という表現からも分かる通り、これまでも老人は眠りに落ちていたのである。どこから眠りに落ちていたのか。それはこの作品の最初からである。
ヘミングウェイのメッセージ

ヘミングウェイは何を意図してこのような作品を作ったのか。「老人と海」が書かれたのは1952年。ヘミングウェイは1961年に自殺したが、彼は長らく鬱病を患っていた。「老人と海」を書いたこの頃には、相当の段階まで悪化していた。

鬱病と共に併発する病気はいくつかあるが、その中の一つに夜尿症、つまりおねしょおもらしがある。鬱病にかかると、子どもしかしないと思われるおねしょ、おもらしをしてしまうのである。ヘミングウェイも、長らくおねしょに悩まされていた。人には相談できなかった。相談すれば笑われるからである。ましてヘミングウェイは、ハードボイルド作家として剛直なイメージを持たれ、「パパ」と呼ばれて慕われていた人物である。そんな人物が「実はおねしょしてるんですが」などと悩みを披歴すれば、笑い者の種である。相談など、どれだけ親しい人間、家族や親友相手にも、絶対に出来なかった。

おねしょをする際は、にまつわる夢をしばしば見る。海水浴をする夢、氾濫した河川に溺れる夢、そして、漁をする夢。これは特に漁師やその家系に生まれた子供がよく見る夢である。

サンチャゴが見た夢は、大海原でカジキマグロと戦ってこれを仕留めるも、帰り道に鮫にそれを貪られ、自分が捕った魚は骨だけになってしまったという夢である。内容の濃さに読者達は目を奪われ忘れてしまいがちだが、海に出ての漁という、れっきとした「水にまつわる夢」である。

作中では明言されていないが、サンチャゴはおねしょをしており、友人の少年や彼の知り合いたちはその始末に追われているような描写が見られる。サンチャゴはおねしょをしたのを自覚しているのかいないのかは作中からはうかがえない。その後、サンチャゴは二度寝してしまい、ライオンの夢を見る。

なぜ、ライオンの夢を見たのか。夢の中にライオンを見るのは、子供が多いという。大人になるとライオンの夢はあまり見れなくなる。

いわば、ライオンの夢は子供だけが見れる特権である。しかし、子供はライオンの夢を見る代償に、おねしょをしてしまう。おねしょをしなくなるような年齢になると、今度はライオンの夢を見れなくなってしまう。

つまり、作中の最後の描写である、サンチャゴがライオンの夢を見たというのは、彼がおねしょをすることと、表裏一体であり、ライオンの夢は、おねしょの間接的な示唆でもある。そして、作者のヘミングウェイも、鬱病に随伴するおねしょに悩まされていた。

ヘミングウェイはこの作品を通して、おねしょをする自分を許して、認めて欲しかったのだ。おねしょをしてしまうが、その代わりに、自分は老人でもこんな冒険的な夢を見ることが出来るんだ。そう言いたかったのだ。

ストレス社会である現代、ヘミングウェイ同様、おねしょをしてしまう大人は多い。彼らは悩んでいる。「大人でおねしょなんて恥ずかしい、ありえない」という強迫観念や、誤った常識に苦しめられている。そうした、おねしょに悩む大人達に、この作品は希望を与え続けてきた。だからこそ、名作として長らく語り継がれている。

この作品を読んだ皆さん、一考して欲しい。果たしておねしょは恥ずかしいことか? 少しばかり、洗濯の手間がかかるだけじゃないか。少しばかり、ふとんがばっちくなるだけじゃないか。おねしょをすることを代償に、この作品の中で描かれているような、すばらしい夢が見れるなら、むしろおねしょはした方がよいではないか。おねしょをする者だけが、いつまでもライオンの夢を見続けることが出来る。希望は、おねしょの中にあるのだ。

さあ、皆で一緒におねしょをしよう!
関連項目ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「老人と海」の項目を執筆しています。

おもらし

おねしょ

サメ

アーネスト・ヘミングウェイ

フィデル・カストロこの作品に込められたヘミングウェイのメッセージを看破して感動したらしい。つまりカストロもおねしょをしていたことになる。もっとも彼の場合寝てる間に放尿のみならず脱糞もしていたようだが。


更新日時:2018年9月25日(火)20:31
取得日時:2019/06/05 14:44


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