神_(無神論)
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この項目では、無神論者から見た神について執筆しています。一般的な神についてはを参照して下さい
「神は死んだ。いや、元々いないので死にようがない、そういう意味では不死なのかもしれん。」
? 神 (無神論) について、フリードリヒ・ニーチェ「神様なんてないさ。神様なんて嘘さ。頭イカレタ人が見間違えたのさ。」
? 神 (無神論) について、ある有名な童謡より「神なんていませんよ、ファンタジーやメルヘンじゃないんですから」
? 神 (無神論) について、花京院典明

神(かみ)とは、この世界の創造主(世界の支配者)なのに、人間以外にはまったく必要とされていない可哀想な存在である。人間によるご都合主義の産物であり、宗教信者は「無神論者は神を否定して傲慢だ」と言うが、「人類は神によって選ばれた特別な存在であり、全生命体の頂点にいる」という人類中心に考える信者たちのほうがよっぽど傲慢である。

それ以外にも、最終兵器ユートピアと並んで役に立たないものの代表にあげられたり、「神は死んだ」などのひどい言葉を投げつけられるなど可哀想な目に合うことが多々ある不幸な存在であり、可哀想に思った人々は物をあげたり「よいしょ」をしたりして慰めてあげている。

※この項目の閲覧者は実質、キリスト教によって支配されている全世界から共産主義者(赤)のレッテルを張られ迫害される恐れがあります。ご注意ください。
目次

1 概要

2 神の存在

3 スーパー無神論による神の不在証明

4 神の裁きの例

4.1 神の存在の理由


5 神を体感する瞬間

6 神をとりまく状況

7 存在に関する社会的影響

7.1 問題点

7.2 プライバシーの侵害

7.3 利点


8 神の死

9 神の不存在証明

10 関連項目

概要

神とは、人間の精神観念上に存在する「全知全能なる存在」を示す架空の言葉である。全知全能であるため、何でも出来ると考えられているが、出来ることが多すぎて何からして良いかわからなくなっているため、どれだけおだててもおべっかを使っても脅しても、何もしてくれないし何も教えてくれない、ただそこにいるだけの存在である。しかしながら、神の存在を疑ったり「無知無能」などと言おうものならもれなく地獄へご招待しちゃうような、ちょっとお茶目なところもあるんだけど、人間からはおそれられたりしている。また、神は閉鎖空間のなかで神人呼ばれる巨人を暴れさせ、ストレスを発散させている。

ちなみに全知全能は嘘である。それを証明する方法は、神に向かって「あなたの持ち上げられない岩を作って下さい」と言えばよい。作れたらそれを持ち上げられないことになり、また作れなかったらその時点で全知全能とは言えない。しかし律法にはこう書かれている。「あなたは、主なる神を試してはならない」と。これを破れば恐らく地獄へ行くのだろう。
神の存在 神はいる?

神は人間が創造した創作物であるが、人間もまた神が創造した創造物であるため「神が先か人間が先か」という問題が良く議論されるが、もっと現実的に考えて欲しい。そもそも神など存在しないのである。

神の存在を信じている連中が言っていることは、現代の理性と科学に基づく精神社会に乗り遅れた前時代な老人の戯言でしかない。科学的な見地に基づいていえば、神は存在しない。神が存在しないのだから、人間もまた存在しないのである。そして、人間が存在しないのだから神も存在しないのである。
スーパー無神論による神の不在証明

スーパー無神論は、人の知的体系と未知の関係から無神論を導く無神論の一派である。

彼らによると、人は知的生命体である。そして人の知の発展に関して大前提として次のことが成り立つ。

1.知の前提仮定:「人はすべてを知り、かつ説明できる(ようになる)」

2.学問の前提仮定:「すべての知は体系的につながる」

3.一般仮定の前提仮定:「知的体系にはその体系のすべての知を導けるような一般仮定が存在する」

そして神の実体は「未知」である。すなわち宗教方程式「神=未知」が成り立つ。未知は知の前提仮定より、時間が無限にあれば確実に消滅するから、神も消滅する。ゆえに神は解ける数学的方程式における未知数と同じように未知を示すために置かれた文字に過ぎず、これより神は存在しない。
神の裁きの例

転ぶ

財布を落とす

心臓麻痺

昇天

ゴットハンドクラッシャー

ゴットフェニックス

大凶

さばきのつぶて

石像化

GKBR

PCが無くなる

自殺

不死

世界崩壊

その他

神の存在の理由

責任転嫁の対象(?祈りが足りないせいだのような)

いわゆる、マゾ。苦しみを試練や修行であると思いこむ

ある事象には、意味が無いのにあたかも意味があるかのよう捏造する。(生きる事、死ぬこと)

村の平和を保つために都合よく生み出された存在なのです

某巨大電子掲示板で他人を褒め称えるための言葉として

神を体感する瞬間

神はあなたのもっとも身近にあり、あなたの頭上からあなたを見守っている。あなたは時に神の存在を愛おしく思い、時には神の存在を疎ましく思う。あなたは神が自分自身と一体であるのを感じ、また神が自身から失われていくのを感じる。

ときには神に完全に見放されたようなものも見受けられるが、どうか安心して欲しい。神はきっと姿かたちや名前をかえて、あなたの脇や股間から見守ってくれているはずだから。

逝ってしまった時は、貴方はすでに神である。
神をとりまく状況 イワシの缶詰も信心から…あれ、缶詰

神を学術的に論じる学問に神学というものがあるが、そこでは神学者たちが毎日のように「ピンの頭の上に何匹の天使(神の使い)が乗せられるか」といったような、誰の役にも立たないパーティーゲームに明け暮れている。また、人間の不安定な精神をコントロールする役割を果たすものとして宗教があるが、そこでは神について「これが神です。凄いです」とだけ教えられる。
存在に関する社会的影響

神はその存在を疑われているにもかかわらず、様々な方面で利用されている。それこそ便所ロール神(非常に薄いが無いとその有り難味が良くわかる)から各種宗教上の神々(多過ぎて、有り難味が薄い場合もある)まで、様々な状況で様々な神が利用されている。
問題点

この存在は、仮想上にあるため、物理構造は存在しない。あえて言うなら多くの愚かな宗教に於いて、神を発明した人間が、自分たちの姿に似せて作った想像図や、あるいは彫刻が存在するのみである。どうして全能の支配者である神が自分たち人間に似た姿をしているのかについて、彼らは一切の言質を残していない。普通に考えて、世界そのものの創造主である神が、人間などという蛮族を特別視する訳がないのだが、それについての宗教者の見解は『人間は全ての動物の支配者として、神が己に似せて造ったものであり、神の子そのものであるから』などという意味の判らないものである。地球などという辺境惑星の食物連鎖の頂点に立っている程度の生物が、神の子供であるとは到底考えられないというものだが、人間如きが神の考えを理解しようという考えそのものが浅慮であり、その傲慢な態度こそを改めるべきだと同宗教者は語っている。

ただユダヤ教イスラム教だけは聡明な事に、神の姿を自分たち人間に似せて作るという愚を犯さなかった。が、そのイスラム教にしても、コーランという本を作ってしまった事で、その背表紙を使って他人のを殴り倒す輩は後を絶たず、多くの宗教同様に、極めて非生産的な状況に陥っており、ことにラマダーン期間中のイスラム教圏では、全体の生産性が著しく低下するという問題を抱えている。ユダヤ教にしても同じ事で、現在の旧約聖書のネタ元にも流用されている彼らの聖書が、あまりに古い時代に執筆された物であることから表現が古過ぎ、その解釈をめぐっては論争が尽きないほか、当時の生活事情に合わせた説話を掲載しているため、しばしば現代の読者が、当時の生活事情と同じレベルで生活しなくてはいけないと誤解していたりする。

勿論、多くの神像を持つ宗教では、この神を煽てようとして像を制作したり、その像を納める無駄に立派な建物を建てたり、その像に祈る事で時間を潰すといった非生産的な行為に没頭している。
プライバシーの侵害

もし、神が存在するとしたらいつも覗かれていることになり、プライバシーの侵害に当たるはずである。女風呂も女子トイレも覗き放題である。女子高生のスカートを盗撮し男風呂を覗いたド変態田代神以上の愚行である。それなのに、神は存在すると言っている多くの信者たちが、なぜ神を相手取り裁判を起こさないのか疑問でならない。
利点

神が存在する事は、人間にとって一定の利益がある。それは自分の不幸を呪ったり自己欺瞞する際に、明確な原因となる対象に出来るためである。例えば自分が愚かで弱く貧しいのを神の試練だとして慰めたり、あるいは神の不手際だとして罵る事が出来る。

また妻が不貞を働いた際に、聖書の言葉を元に妻を射殺する事は、 3989 アメリカ合衆国でしばしば見られる風習で、同じ理由で妻が不貞な夫の睾丸を蹴潰す際にも聖書が引用される。

つまり神は、人間にありとあらゆる残虐な行為に及ぶ事を許しているのである。例えばキリスト教では、隣人が気に食わないからといって右の頬を殴った際に、相手が反撃しようがしまいが左の頬も殴り飛ばさないといけないとしている。つまり、左胸の心臓を銃弾で打ち抜いたら、右の胸も打ち抜いてあげなければいけないのである。そしてこの教えにより、隣人を確実に仕留めることが出来るという次第である。その結果相手が死んだら、「いい隣人は死んだ隣人だけだ」といって愛する事も出来るし、また隣の夫婦の片割れに横恋慕することもキリスト教の上では推奨されている。

こうして神は人の最も不道徳で退廃的な性質を尽く許し、推奨しているのである。

この他、神に関係する施設は、まことに結構な見世物にもなるため、神を見世物にして物を売りつける商売をしたり他人から金銭を貰ったりと言った悪徳商法では、まさに神は崇拝に値する利益をもたらす。
神の死

大前提;基本的に神が死ぬことは無い。存在しないものは死にようがないからである。同じ理由から老化もしない。

小前提;田代まさしは神である。

結論;よって、田代は不老不死であることが証明された。
神の不存在証明
又吉イエスは全知全能の唯一神であると仮定する。真か偽か。

唯一神というからには、一人しかいないはずである。

しかし、この世には田代神が存在する。

よって、又吉イエスが唯一神であるという定理1は誤りであるから、田代が唯一神である。

関連項目ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「無神論」の項目を執筆しています。



かみ

ネ申

無神論者

ニーチェ - 神に対して死亡宣告を行った無神論界の神。あれ?

神の不在証明


更新日時:2019年6月27日(木)22:41
取得日時:2019/09/16 23:28


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