真田幸村
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…主人公に[編集] NHKのコメント信繁は2016年の大河ドラマ『真田丸』の主人公となった。信繁の一生を描くにも関わらず、その生涯のごく一部を占めるに過ぎない大坂の陣にまつわる題をつけることに対する疑問は容易に予想されるが、それに関しNHKは「真田家を『戦国の荒波に立ち向かう一艘の船』に例えた」とこじつけている。

また、信繁役を演じるのは42歳(2015年時点)の堺雅人である。しかし『真田丸』は武田家の滅亡からストーリーが始まっており、作品初期においても信繁役に子役を用いていない。よって42歳の堺が当時16歳の信繁を演じるという珍事が発生し、堺は戦国BASARAをプレイして役作りしたが、これに関するNHKのコメントはない。さすが上野樹里に3歳の姫をやらせた大河ドラマである。
ウィキペディアで【幸村】

今更言うまでもないが彼の本名は信繁であるとされている。でも現在では幸村と呼ばれている。世間に幸村の名前が定着した理由についてはめんどくさい長くなるので詳しくはここでは省略させていただくが、簡単に言うと幸村の方がカッコイイからである。確かに信繁って…なんかジジむさいしオヤジ臭いし…。 ここでも信繁と書いているが、それでも言うべきことは言うべきではないだろうか。

彼の子孫達も人から「真田幸村の子孫ですか?」と訊ねられると喜んで先祖の話を一講釈語ってくれるが、「真田信繁の子孫ですか?」と訊ねると、無視されるとのことである。

まあ要するにほとんどの人は「幸村でいいじゃん」と思っているし、教科書や参考書にも真田信繁と載っているものは見たことがないまあ、歴史ヲタ以外の人から見ればどっちでもいいことである。 が・・・

それを許さない人達がウィキペディアにはいる!!

あそこで「幸村」と書き込むや、何処からともなくうじゃうじゃと知ったかぶりの粘着厨ども歴史に詳しい執筆者達が集まってきて編集合戦となる。

今は多少は沈静化しているが、以前は荒れてもめまくった末に【真田信繁】と【真田幸村】が2つのページに別れていた時期もある。挙句の果てには滋野信繁だの豊臣信繁だの聞いたこともないような名前にタイトルが書き換えられたり、編集合戦の飛び火が他の歴史上の人物のページにまで及んだりと、ムチャクチャであった。

常識あるアンサイクロペディアの編集者諸君は、このような馬鹿げたことに巻き込まれることもないとは思うが、くれぐれも用心していただきたい。

間違ってもウィキペディアで「幸村」と書き込まないように。

正直「信繁」って名前もちょっと怪しいよね。もちろん「幸村」という名前の初出は、本人の死後50年以上過ぎた1672年刊行のベストセラー軍記物語「難波戦記」とみられるが、幸村という名前なのかは語源を含めて不明である。ところでさ「信繁」という名前も元を正せばさ 前述の通り、昌幸が仕えていた武田信玄の弟の信繁と同じ名前になるが、当時のマナーでは家来筋の者が勝手に主君筋の名前を丸パクリすることは考えにくく、もし同じ名前になったら家来が憚って改名すのが恒例であった。考えてみよう。主君やその近親の名前から一字借りるの、よくあったとはいえ、この場合、名前そのものを丸写しにするって。wwwwwこいつらは本当の根拠があって言うのか?

いずれにせよ、その時代の記録というものが、幸村が主君と逃げたとか、それとも徳川のあの狸が雪村に殺されて幕府が一年の間影武者としてだまして一年後に死んだことにしてしまったとかの噂が多いのも事実だし、この人の名前も結局はそう確定できないような、風説じゃなかったか、そうじゃない?この自称歴史マニア兄さんたち?
関連項目ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「真田信繁」の項目を執筆しています。

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更新日時:2021年2月26日(金)14:32
取得日時:2021/04/05 17:01


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