皇居前広場
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皇居外苑(こうきょがいえん)とは、皇居脇に存在する公園の名称。公園と言っても利用するのは一般市民ではなく、集団自決をするための右翼や警察と戦う左翼の人たちである。

以下は、主な利用者のみなさんによる解説である。

この記事は左右に寄っているのでバランスが保たれています。

目次

1 概要

1.1 (右翼による)概要

1.2 (左翼による)概要


2 歴史

2.1 (右翼による)歴史

2.2 (左翼による)歴史


3 設備一覧

3.1 (右翼による)設備一覧

3.2 (左翼による)設備一覧


4 関連事項

概要
(右翼による)概要 利用者その1

世界で最も長い歴史を持つ偉大な国、日本。その地に住む日本人の長が天皇家であり、皇室である。日本という国と共に、現存する中で世界最古の王室である天皇家は、ローマ法王アメリカ合衆国大統領と並ぶ世界最高の権威を誇る(格付け・権威で言えば大統領は民選である時点で王室よりも下であるし、ローマ法王も民選であって特に血筋は重視されない。なにより天皇家はキリスト教が始まるよりはるか昔から存続している。このような点からすれば、世界最高の権威は日本にまします天皇家である)。そのような類まれなる血筋を持った家系は、その威容に相応しい住居に住まうべきなのである。日本ではこのような視点から、世界有数の大都会・東京中心部の広大な敷地を皇居として天皇家に畏れ多くも献上し、そこにお住まい頂いている。そしてその皇居脇に皇室御用達の御庭として存在するのが皇室苑地である。

本来、皇室御用達の苑地ではあるが先帝の昭和天皇・また今上天皇の御意向により、一般市民にも立ち入ることが許可されている。全日本国民は天皇の有難い御慈悲に思いを馳せ、利用する際は感謝を忘れず厳粛な態度で振る舞わなくてはならない。またこの外苑は常時解放され、日本国民が自由に出入りできる範囲として最も天皇の御身体に近い場所である。故にここを訪れる国民は天皇のお手を煩わすことが無きように、無駄な大声・空騒ぎなどは絶対にしてはならない。この皇居外苑においては、かつては偉大な大日本帝国臣民たちが集団で自決に及んで華と散った地であることを胸に刻み、歴史の重みを感じながら粛然と過ごすべきである。どこぞの国のように国名を連呼しつつ馬鹿騒ぎに興じるのは日本人らしくない態度といえる。日本人としての誇りを懸け、凛として動じない姿こそが美しいのだ。
(左翼による)概要 利用者その2

我々一般民衆とは違って天皇家は東京の中心部に大邸宅を構え、悠々自適に暮らしている。なぜ、天皇とその家族だけがあのように優遇されるのだろうか。誰もその疑問を真面目に考えない、考えようとしない態度を日本人は改めなくてはならないであろう。そもそも天皇家の出自は明確でなく、日本の王という地位は歴史上の単なる既成事実に過ぎない。日本の歴史は天皇の歴史なら、その天皇という無上の存在に抑圧されてきた一般民衆が存在していたのも自明である。そう、日本の歴史は天皇とそれに媚つらう既得権益層による民衆弾圧の歴史なのだ。そして天皇家は許し難いことに、未だに第二次世界大戦の戦争責任も明確でないまま国家の象徴として戦後の日本に君臨し続けている。このような現状は戦後国家としての汚点に他ならず、単なる日本の面汚しであるばかりか、民衆による平和を基調とする世界の体制・潮流に真っ向から挑戦するものだ。

いまこそ天皇制は廃止し、真の人民による日本共和国を作り上げるべきなのだ。国家に洗脳された右翼どもが皇居外苑と呼称するだだっ広い空き地はその手始めである。ここに人民が集い、天皇家に対し反対のこえを上げることが求められている。この皇居外苑もとい人民広場は、1950年の人民広場事件、1952年の血のメーデー事件など、数多くの同志たちが国家権力の手先である警官隊とたたかい、闘争を繰り広げてきた地である。資本主義の牙城である丸の内、戦争責任もままならぬまま天皇家が不法占拠を続ける千代田区1丁目1番地の空き地に囲まれたこの地で、同志諸君よ、今こそ団結して天皇制反対・人民共和国の独立を声高に掲げよう。その先にあるのが戦争のない真の平和であり、既得権益もない真に平等な社会なのだ。
歴史
(右翼による)歴史

1940年
- 皇紀二千六百年記念行事の中核となる紀元二千六百年式典が宮城外苑にてしめやかに執り行われる。またそれに合わせ、宮城前広場も現在の形となった。

1945年 - 大東亜戦争終戦に伴って、宮城外苑において多くの大日本帝国臣民が集団自決を遂げる。ここで英霊となった軍人・臣民は、偉大な大和民族の誇りである。

1947年 - 昭和天皇の御慈悲により、皇居苑地が国民公園として解放される。

1954年 - 二重橋事件。一般参賀に訪れた殊勝な国民が警察の不手際により将棋倒しになる。終戦後においても国民が山のように押し寄せる、天皇の権威を示す好例である。

(左翼による)歴史

1904年
- 日本帝国主義・資本主義の権化である住友家、人民を不当に使役し虐殺した別子銅山開山200年を記念し楠正成像を設置。国家権力と財閥の癒着の象徴として君臨する。

1946年 - 在日朝鮮人生活権擁護委員会による集会が人民広場で開かれる。生活権を要求しただけのデモ隊に対し、アメリカ憲兵隊が不当な弾圧を加える。国家による言論封殺の一例。

1950年 - 人民広場事件。GHQによる共産党不当弾圧に反対するために集った同志が、5万人規模の人民決起大会を開催。その大会に私服警官の潜入させるという占領軍・日本政府の挑発に対応し人民が反対の声を上げる。

1952年 - 血のメーデー事件。再軍備を進める吉田内閣に軍国主義復活の脈ありと見た民衆が日本警察と闘争を繰り広げ、勝利する。

設備一覧
(右翼による)設備一覧

皇居前広場 - 戦前?戦時中は宮城外苑、皇室苑地が正式名称。力強い日本の繁栄と経済力の現れとして、丸の内・大手町・日比谷方面の超高層ビル群が一望できる。

二重橋 - 普段は皇宮警察によって閉鎖されており国民は通過できないが、正月の一般参賀の時は許可無く立ち入ることが許される。天皇家による威厳を感じることができる橋。

桜田門 - 桜田門外の変、桜田門事件など数々の事件の舞台となった地。特に桜田門事件は不逞朝鮮人が昭和天皇弑逆を試みたものであり、決して許されるものではない。

坂下門 - 畏れ多くも皇室にお仕えする宮内庁の通用口。幕末の動乱期に皇室の権威を汚した安藤信正が、ここで水戸藩有志により天誅を下される(坂下門外の変)。

楠正成像 - 後醍醐天皇の忠臣、大楠公を記念する像。戦死を覚悟の上、大義の為に逍遥と戦場に赴く姿はまさに日本人の鑑と言えよう。

和田倉噴水公園 - 今上天皇の御成婚を記念するために開園し、さらに皇太子徳仁親王の御成婚を記念し整備された公園。

(左翼による)設備一覧

人民広場 - 今は皇宮警察・警視庁など数多くの国家権力による監視の目が光っているが、ゆくゆくは民衆によって真に解放されるべき広場。

二重橋 - 日本警察勢力によって不当に封鎖されている橋。天皇制廃止のためには、同志たちはここを突破せねばならない。

桜田門 - 江戸末期には天皇を崇拝する水戸藩が井伊直弼を不当に殺害したりするなど、右翼勢力が蔓延る地である。桜田門事件においても天皇制反対を叫ぶ民衆の一人が大逆と見做されて死んでいった。

坂下門 - 1970年代の第1次坂下門乱入事件
、第2次坂下門乱入事件などで有志らがここから進入したが、警察に不当に拘束される。

楠正成像 - 前述の通り、国家権力と財閥の癒着の象徴として君臨する像である。戦後日本の汚点である。

人民広場付属噴水公園 - 人民広場脇の噴水公園。日本の王家を祝福しようとするものであり、許されざるものである。

関連事項

一般参賀

皇居

公園

千代田区

右翼

左翼

皇居侵入罪


更新日時:2017年4月19日(水)20:16
取得日時:2018/05/24 03:25


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