甲陽軍艦
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甲陽軍艦(こうようぐんかん)とは、戦国時代の武田氏が率いていたとされる無敵艦隊。甲陽艦隊とも呼ばれ、後に清国の北洋艦隊と並び称された。
目次

1 概要

2 影響

3 関連項目

4 脚注

概要

甲陽軍艦は、戦国時代後期、武田信玄の時代に建造された軍艦の総称である。「甲陽」とは、「甲板に陽が当たる」という意味であり、常に天からの光に照らされることを祈願し、信玄によって命名された。当時最新鋭の装備を備えた巨大な軍艦であったとされ、川中島の戦いを始めとする各地の合戦に出撃し、武田氏の領土戦争の要として活躍した。その提督・山本勘助は、現在でもホレーショ・ネルソンやジョン・ポール・ジョーンズと並ぶ大提督として世界中から崇敬を受けている。

甲陽軍艦の存在は周囲の戦国大名達に恐れられ、また影響を与えた。例えば織田信長はこれを参考に九鬼嘉隆に命じて鉄甲船を作らせ、また後世のことであるが、徳川家光が武家諸法度で大船の建造を禁止したのは、祖父・徳川家康三方ヶ原で完膚無きまでに叩きのめした甲陽軍艦の復活を、極度に恐れていたためと言われている。

甲陽軍艦の艦隊は意外と小回りも利き、相手を挟み撃ちにして十字砲火で焼き尽くす「キツツキ戦法」という戦術を得意とした。しかし、川中島の戦いでは、上杉謙信の猛攻によって艦隊の半分が轟沈、山本勘助も戦死した。驚くべきことにこの時相手の上杉軍はただの騎馬隊であった。ただの騎馬隊で艦隊を半壊させる上杉謙信は、まさしく軍神と呼ぶに相応しいチート武将である。
影響

甲陽軍艦は武田信玄の死後、長篠の戦いで織田信長の鉄甲船の砲撃を受け、その殆どが大破した。[1]しかし、その後も甲陽艦隊の活躍は講談や小説の題材として好まれ、多くの脚色を加えられながら庶民にまで広く浸透していった。こうして誕生したのが所謂「武田最強艦隊伝説」である。このような伝説が生まれた背景には、上記の徳川家康の敗北も関係していると言われている。しかし、時が経つごとに脚色が増えた結果、現代では、一体どこまでが史実なのか分からなくなっており、そのため一部の専門家は「甲陽軍艦は捏造である」とか「山本勘助は実在しない」とかいう珍説を必死になって唱えている。が、ググると大量に引っかかることや、この記事を作成した時点でアンサイクロペディア内の多数の記事からリンクされていたという事実から、軍艦の存在はもはや歴史上否定し難い史実として、一般に受け入れられているというのが現実のようである。[2]
関連項目

武田信玄

脚注^ 武田信玄の跡を継いだ武田勝頼は船酔いが激しく、ろくな指揮が執れなかったと言われている。また武田信廉穴山信君が甲陽軍艦の建造、修理に使われる費用を横着していた為、予算が十分に揃わず軍艦の質が劣化していた。
^ 今川義元が死ぬまで領内のどこを探しても海がなかった武田氏が、一体どこにこんな軍艦を隠し持っていたのか。それは日本史最大のミステリーである。しかし、現在海に面していないボリビアボリビア海軍という精強な海軍を保有しており、海に面していない国が軍艦を保持していても何らおかしいことはない。「船頭多くして船山に登る」という諺にもある通り、武田家は甲陽軍艦を山に曳航させていたのかもしれない。
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更新日時:2013年4月23日(火)08:28
取得日時:2017/12/10 19:39


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