源義家
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…タロウ7代後に天下を[編集]防衛の任務を真面目に果たしていたハチマンタロウだが、それに対する評価が正当でないことから、変身してまで戦うことをやめる。そして、「7代後に生まれ変わって天下を取る!」という置き手紙を残して去っていった。以降の義家は単なる暴れん坊の中級官人でしかなくなってしまう。

ちなみに、「7代後に生まれ変わって天下を」という宣言は、見事に実行されることとなったとみられる。以下の系図を参照のこと。


(源為義が義家の孫であるという見解に基づいた系譜)

義家 ー 義親 ー 為義 ー 義朝 ー 坊門姫 ー 九条良経の妻 ー 九条立子(順徳天皇の中宮) ー 仲恭天皇


(源為義が義家の子であるという見解に基づいた系譜)

義家 ー 為義 ー 源義朝 ー 坊門姫 ー 九条良経の妻 ー 九条道家 ー 九条?子(後堀河天皇の中宮) ー 四条天皇

義家 ー 為義 ー 源義朝 ー 坊門姫 ー 西園寺公経の妻 ー 西園寺実氏 ー 西園寺?子(後嵯峨天皇の中宮) ー 後深草天皇・亀山天皇

しかし天下を取ったと言っても、この当時の天下は実質上は武士のものであり、天皇にはほとんど実権が無かった。実際に天下を取ったと言えるのは源頼朝であり、義家から4代(もしくは3代)後の子孫であり、完全なフライングである。生まれ変わった義家が(仮に前世の記憶を持っているとして)、自分の玄孫(もしくは曾孫)の出しゃばりを激しく憎んだ事は、想像に難く無い。

余談だが、この置き手紙を勘違いしたために重大な過ちを犯したのが足利家時である。偶然、置き手紙が足利家に伝わっていたため、義家の血を引く足利家では、「7代後」というのが「足利家の当主で義家から数えて7代後」という意味だと思い込んでいた。別段有力でもなかった足利氏がなぜそのような思い違いをしてしまったのかは不明である。身の程知らずも甚だしい。ともかくとして、ちょうど7代目に当たるのが家時だった(義家 ー 義国 ー 義康 ー 義兼 ー 義氏 ー 泰氏 ー 頼氏 ー 家時)。しかし、家時の代では天下取りが達成できないことが見込まれていたため、家時はなんと、悲観して自殺してしまったのである。遺言として彼は「3代後に天下を取るように」と言い残し、天下取りを先延ばしにするが、孫の尊氏(つまり2代後)も曾孫の義詮(3代後)も結局は南朝に勝ち切ることができず、天下を手に入れることなく没している。勘違いとは恐ろしいものである。
キャラソング

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鷲の棲む深山(みやま)にはすべての鳥は棲むものか同じき源氏と申せどもハチマンタロウは恐ろしや

上記の歌は、平安時代後期のヒット曲全集である『梁塵秘抄』に記載されているものである。意味は、「鷲の住んでいる山奥に他の鳥が住むようなことがあろうか。同じ源氏(これを鳥に喩えている)の中でも、ハチマンタロウは鷲のように恐ろしい(ので他の源氏は近づけない)」というものである。ここでいう「他の源氏」とは村上源氏を初めとする公家の源氏であろう。ハチマンタロウこと義家が院昇殿を果たした1098年当時は、左大臣源俊房・権大納言雅実・権大納言師忠・権中納言雅俊・参議師頼・参議国信などに代表される公家の源氏たちが藤原氏を押しのけて出世していた時期であった。なよなようじうじとした彼らお公家さんたちがハチマンタロウを怖がって院(深山に喩えている)に近寄るのもためらってぴよぴよと鳴いている様子を、鷲の住む山奥に行けないような、か弱い鳥たちに喩えているのであろう。
関連項目

ウルトラマンタロウ

久保田万太郎・・・作家のクボタマンタロウ

谷万太郎・・・新撰組のタニマンタロウ


更新日時:2014年12月23日(火)14:14
取得日時:2020/03/19 05:44


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出典: 八百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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